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東都アロエ

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公式サイト→こちら

今週の週末まで開催している「川村清雄」展に
ギリギリでいってまいりました。

どちらかというと、代々のお庭番の「川村家」や
初代新潟奉行や長崎奉行を歴任した清雄の祖父にあたる修就さんに
興味があって、旗本「川村」家の史料が楽しみで行ったのですが、
清雄さん人物のオモシロイさ、そして美しい絵の数々に魅了されてしまいました(笑)。

幼いころから画才を開花させた清雄(嘉永5年生まれ)は、
祖父の大坂町奉行就任時には大坂へ付いていって絵の修行をしたそうですが、
徳川家瓦解とともに家督を継ぎ、駿府へ移る徳川宗家当主家達の奥詰に
抜擢されます。明治4年に徳川家派遣の留学生としてアメリカへわたりますが、
徳川家の「官費」留学生の手前、絵を習いたいという気持ちを抑えていたところ、
大久保一翁に「絵をやりなさい」と言われたとか。結局、アメリカで画才を見いだされて
フランス、イタリアへ絵の勉強へ行くことになります。
帰国後、大蔵省造幣局の紙幣のデザイン係となりますが、イタリアお雇い技師と意見
が合わないとかで、すぐに辞めてしまいます。
(一説には、印刷局の女工さんと053.gifして辞職したとか・・・。さすが
イタリア帰り・・・・といっておきましょう)
その後は、勝海舟夫妻に可愛がられて、赤坂勝邸に住み、ひたすら画業に専念。
ただ、おそろしく筆が遅く、納期に間に合わないことがしばしばで(汗)、
絵画を商売にするにはちょっと不器用なひとだったようです。
フランス派全盛の明治画壇では、
イタリア伝統派の清雄はいまいち注目されませんでしたが、
しかし勝海舟や徳川家達というすばらしき庇護者に恵まれ、
また旗本や江戸趣味の人々に愛されて、「油絵師」として、また挿絵師として
江戸の伝統を描き続けたそうです。

近年、清雄の絵と断定される絵画がいくつも発見され、
「幻の洋画家」とまでいわれていた川村清雄の名が静かに注目されています。
江戸博での展示のほか、目黒区美術館でも「もうひとつの川村清雄展」を開催中。
目黒区美術館サイト→こちら
(江戸博の半券を持っていくと、割引されるそーです!)

わたしは後期展示にいったので、惜しいことに家茂公像(前期展示)
をみることは叶わず、なぜか篤姫をみるハメになりましたが(笑)、
この有名な篤姫像も、実物をみると、背景の模様の美しさ、細かさにびっくり!
何度みても西太后にしかみえない人物部分はさておき(←これは川村さんのせいにあらず・笑)
ホントにキレイな素晴らしい肖像画でした。
「筆が遅い」川村清雄さんは、どうやら完璧主義者らしく、
細かい装飾にもたいへんなこだわりをもって、描いたようです。

家茂、家達、篤姫(天璋院)、慶喜、福沢諭吉、勝海舟・・・・・・等々がお好きなかた
には特にオススメの川村さんの絵です。よく似てますよ!
(思えば、わたしの贔屓すじとはまったく接点のない人だったらしい。残念!)

そうそう!展示で気になったのが、
静岡移住者の美男美女番付という、手書きの史料。
川村清雄は前頭に書かれるぐらい、整った顔でした(笑)。
でもわたしが気になったのは、大関に名があった「堀 〇之丞(か助)」。
堀家もいろいろあるので、決めつけられませんが、堀利煕の老父も息子も
静岡に行っておりますので、その息子とかなにかだったらいいな♪と思った次第。

ここには書ききれませんが、お庭番だった清雄の父の護身用の「手鎖」とか、
勝家でのエピソードとか、留学中の清雄と徳川家達とのかわいい手紙(英文です!)の
やりとりとか、いろいろと旗本ファンには「おお!」と思う展示があって、
楽しかったです☆

なによりも、江戸後期の爛熟した「江戸絵画」界の流れを受け継ぎ、
それを洋画で表現した旗本出身の画家の名が復活しているというのは
嬉しいかぎりです!

川村清雄の油絵は、印刷物だとみえない、絵の具の盛りとか、
木目を大胆に使った持ち味がとってもイイので、
ぜひぜひ実物をご覧になることをオススメしまーす。
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by aroe-happyq | 2012-11-28 18:23 | 幕臣系 | Comments(2)

やっぱり、王家衛だぜ!スンナリと公開にはいたらないらしい(爆笑)

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なんか新ポスターがちゃっかりと↑ 2013.1.8 になってるし!


かつてカンヌ映画祭の上映会場そばで、まだ編集やってたという
ツワモノさんは健在だった!

でも、きっちり締め切り守ってつくった、ハリウッド映画の
「マイブルーベリーナイツ」はつまんなかったから(笑)、
この人の場合、締め切り破って完成した映画のほうが「らしい」のかも。

でもでも、既に出された12月8日公開あわせて香港に行く人も
いたのではないだろうか・・・・・・・・・・・・。
(けっこう大々的に報道されてたし)

そういえば、
インタビューを受けたトニーレオンの奥様ことカリーナラウが
映画の完成が遅れているから、来月の自分の誕生日は一緒にいられないと、
愚痴ってました。
(いや、来月まで撮りなおしてたら、1月8日さえ危ないのでは・・・・??)


わたしの場合、香港版ブルーレイの発売が遅れるのが哀しい・・・・・。
はやく、みたいのになぁ~~~~~~~。
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by aroe-happyq | 2012-11-27 19:31 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

来年の大河は会津出身の女性主人公ということで、
会津関連本が本屋さんでもたくさんならんでいます。
朝ドラみたいなタイトルからしてドン引きなので(ってもう随分前に書きましたネ)、
来年の大河に触れるのはこの記事が最初で最後だと思います☆
(んー、いちおう視聴予定なのですが、わたしの贔屓筋とはほとんど関わらない
はずなので書くこともなかろうかと。
でもあまりに「おいおい」な事が出てきたら書くかもです(笑))

ただ、ひとつも記事なしでは、同じ東国者として仁義なさすぎ・・・・と
いうことで、今回はドラマでも登場するはずの会津藩の蘭癖さんたちに
ささやかなエールを送りたい!という趣旨の記事であります。

で、いよいよ祝砲のお話です。

祝砲に関しては、wikiで確認いただくとして(笑)。
幕末日本における祝砲についての史料はほとんどありません。
有名なところは咸臨がアメリカに到着した際に「祝砲」をうった
話でしょうか。
そのせいか、このおりの祝砲を日本の最初のものだとする
勝海舟や咸臨スキーの手による本があります。

ところがサンフランシスコ入港時の咸臨丸が最初ではありません。

これよりも数年前、安政5年7月 18日(1858年8月26日)。
日英通商条約調印の日、江戸は品川第二御台場で、
日本初の祝砲が、寸分も違えることなく、完璧に発射されました。

第二御台場というと、会津藩の持ち場。
そうなんです☆
つまり、会津藩のみなさんがこの大役を見事にこなされたのでありました!

といっても残念ながら会津さんだけが目立ったわけではありません。
このときのセレモニーは、日英通商条約調印後、
英国から贈られる王室用遊覧船エンペラー(新造船)の引き渡し式
だったりするので、祝砲+エンペラー号試乗会という
二本柱の大イベントだったのでありました。
(なので「+α」と題しましたです)

しかし!この調印後のセレモニーは、けして失敗は許されない、
日本のプライドがかかった、この日の最大のミッションでした(笑)。
つまり、祝砲担当の会津藩受け持ち台場と、
エンペラー号試乗担当の築地軍艦繰練所が、
互いの持ち場をよく守り、見事にクリアしたわけです☆

このときの英国との交渉は、わが愛する5人の初期外国奉行揃い踏みの
初仕事ということ、英国側の訪日録や書簡記録が
手に入りやすいこともあって、昔からの重要な関心事でありました。
うちのブログでも何度か連続企画をやったりしてまいりました(笑)。
ちなみにその日についての過去の記事→こちら

昨年ごろ、さらに深く調べようと思い立ったところ、
英国側の史料には書かれていなかった祝砲の担い手が誰(藩)なのか
わかった次第です。
(けっこう、いやかなり!!!手間がかかりました~~)
なぜいままで誰も触れてこなかったのか?
やはり幕末外交が明治政府(つか現行の日本政府にもね)により、
不当な評価しか与えられてこなかった弊害でしょうねっっ。
しかし!近年その評価が見直されていることもあり、
これからの幕末外交史研究に期待したいところです。


会津藩はそもそもペリー来航前から江戸湾警備担当藩のひとつで
薩摩や佐賀のような蘭癖藩(爆)ではないですが、
西洋砲術、軍学に触れざるおえない立場にありました。
品川台場ができると、第二台場が持ち場となり、ますます西洋学
の必要性が高まり、安政4年には会津藩校日新館内に蘭学所も設けられました。
日本初の祝砲を担ったのはその1年後ということになります。

この日本初祝砲物語ですが、けっこうドラマチックです。
安政5年の日英通商交渉に詳しい方々(おもに外国奉行ファンだけですが)
は、交渉中にこの祝砲を行なうか行なわないかで、
日英双方のあいだで、けっこう揉めていた経緯はご存じのはず(笑)。

アメリカのハリスとの通商交渉時にも議題にあがりましたが、
日本側は、かなり正確に間をとって空砲を打つ、という未体験の「祝砲」が
万が一失敗したら・・・・ということで難色を示して、
一度もやってこなかったのです。
英国使節エルギン卿はアメリカへの対抗心から、
ひとつでも、ハリスが日本でなし得ていないことを、この交渉中にやりたかった。
なにせペリーよりも江戸湾の奥に停泊したくて、いきなり品川へ乗り込んできたし、
遊覧船を日本側に贈呈するセレモニーを江戸湾でやりたいとか、
ホント、いろいろ言ってきたわけです。
(アメリカよりも遅れて日本に交渉にきた分、江戸湾で派手にイベントをやって
大英帝国の存在をアピールしたかったのですネ)
そのなかでも祝砲は、一説ではイギリス海軍が発祥ということもあってか?!、
とにかく英国側は「日本初」の祝砲にこだわりました。
新造船引き渡しセレモニー開催は早々に決まったのですが、祝砲だけは外国奉行も
うーむむと首を縦にふらない。そこでエルギン伯はあんまり交渉内容にくわしくない、
老中との会見の場でこの「祝砲」問題を持ち出し、老中に承諾させてしまうのでした(笑)。

これをうけての安政5年7月16日付の「老中達」は以下のとおり。
(『續徳川実紀』より)

備後守 大目付江

近々英吉利より献貢之蒸気船御請取相成候につき、
品川御台場ならびに彼国船々にて空砲相放候筈に候事


これが18日のセレモニーの2日前!だったのですが、
会津藩留守居役・外島機兵衛が、
公儀の御目付津田半三郎から正式に祝砲を打つべし(笑)との命を
うけたのは、なんとまぁ、その翌日、つまりセレモニーの前日のことでした。
(ちなみになぜ会津藩の第二台場が選ばれたのかは不明。いちおう砲術の技能が
良かったからだと・・・・思いたいです(笑))

普通ですと前日に祝砲やれっていわれても、そんなものすぐにできるものでは
ないのですが、このときの会津藩江戸チームは事前にこの情報を
キャッチしていたと思われ(こういうときに留守居役の外交力、情報収集力が問われますが、
優秀なる外島機兵衛さんのことなので、そのあたりはバッチリ☆だったかと思われます)、
こっそりと練習していたのではないでしょうか!
でも、品川沖は漁場なもんで、ガンガン空砲訓練すると地元の漁師さんから
苦情が出ちゃって、あんまり練習ができない(←時代劇に出てくる封建社会じゃありえない、
民意優先の世界。でもこれが現実なんです。時代劇っていいかげんなんですのヨ)
・・・・なのでこっそりのつもりがなくても、
ひそかに練習せざるおえない環境だったのです(汗)

いろいろバタバタしたわけですが、会津藩は
公儀の無茶振りに見事にこたえた、というわけです☆
(ね?なかなかドラマチックでございましょ??)

で、どういう手順で行なわれたのか、その記録も探しあてることが
できましたのでここに堂々公開!

・・・(略)・・・・夕7つごろ、公儀御役人外国奉行、
異船乗り込み候節、赤旗を振り、
御台場にて受けすぐさま空砲5発ずつ、3度砲発都合15発に御座候。

(『坐漏紀聞』より)

※読みやすくブログ用に工夫しておりますので、
当然のことですが、このままコピペして大事なレポートやお仕事に
ご使用されると大惨事になりますので、かならず原文に当たって下さいませ。
(原史料に当たると本当に素晴らしい発見があるものだと、
最近改めてその大切さを噛みしめて居る次第です)

ちなみに、『エルギン卿遣日使節録』では21発と書かれています☆(笑)

会津側の史料のどこかに、この日の記録(日記とか書簡)があると
いいですね~~~♪
(って、そこから先は調べるつもりはないらしい自分(笑))

それよりも!!!!(ここからはちょっと「+α」な話題へ)
この赤旗振った人は誰でしょうね~~~?(笑)
「異船」ことエンペラー号へ乗り込んだ「公儀御役人外国奉行」は
外国奉行と目付、通訳だったのですが、
この布陣だとやっぱり外国奉行が担ったと思いませんか?
だとしたら、です。
この日、めちゃめちゃおめかししていたという(笑)、
外国使節に「日本海軍提督」とか「海軍司令官卿」とか
呼ばれていた永井玄蕃頭の可能性が濃厚???
それとも外国奉行筆頭なので、水野筑後守??
とにかくかっこいいですねーー!!!どっちでもいいから、
見てみたいですね!そのお姿!
(誰か~中継してーっ(爆))

日本側の祝砲のあと、英国側の艦船からも祝砲返しが行なわれ、
その後、矢田堀景蔵以下、榎本釜次郎等々の築地軍艦繰練所チーム、
つまり日本人オンリーによるエンペラー号の試乗会となり、こちらも大成功しました☆
(これはもう何回か記事にしたので、ここでは割愛)

それもしても、です。
このときの会津藩祝砲チームのプレッシャーはハンパなかったと思います。
というのも安政5年夏、藩主の容保公は参勤交代のため、国許にいたのです。
つまり留守居役が命令を受けてましたが、
本当にお留守番チームでこのミッションを乗り越えたのです!
主君のいないときだからこそ失敗は許されない、というたいへんな覚悟だったと
思います。
(ならぬものは、ならぬのです!の真面目な会津だけに余計・・・・・・かと)

会津藩というと、京都守護職になってからのイメージが強すぎますが、
実はこうして日本初祝砲をやった優秀な蘭学チームがあるとか、
井伊直弼暗殺後、水戸藩とのあいだを取り持って彦根VS水戸戦争を
防いだとか、いろいろ素敵でワイルドなエピソードがあるんですよねーっ♪♪
(会津藩が上洛後、京都洋学所を設けていたことも、あまり映像作品には出て
こなかったし)
攘夷の牙城の京都に「洋学」所を作ってやったぜ~、って、
御所に洋装で行ってやったぜ~の慶喜とならぶくらいの、
かなりワイルドさんですよね(爆) ←さすが一会桑チーム!!

この祝砲問題は、初期の日英外交史に華をそえた素敵なエピソード。
もう会津藩が幕末外交と縁遠いなんて、いわせないぜ!ってことです(笑)。

最近の大河ドラマには期待しないようにしていますが、
上記のような、いままで知られていなかった「白虎隊だけじゃない会津藩」(笑)の魅力が
少しでも語られたらいいですね。
だってほら、八重パパって砲術師範(たしか高島流砲術)ですもんね!
蘭学所や京都洋学所がはじめて、日の目をみるはず!!!?
(ずーっとホームドラマだったら、出てこないかも(爆))

というわけで、外国奉行と築地の軍艦繰練所のやつらを追って
いたら、会津藩とばったり出くわした(笑)という、
そんな記事でありました。

More
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by aroe-happyq | 2012-11-24 13:59 | 広く幕末ネタ | Comments(2)




周星馳(チャウ・シンチー)、5年ぶりの新作!
来年の旧正月に華圏公開とのこと。

ただし!!
今回、シンチーは監督&プロデュースのみで、
出演しないらしい(涙)

なーんかもーっ、がっかり~~~っっ

でも、こうして予告編をUPしてしまうんだなーっ(笑)
(ちょっとかっこよかったから)

ま~~~、昔の若かりし頃の映画のDVDみるからいいけどさー。ぶつくさ。
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by aroe-happyq | 2012-11-23 11:34 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

前々から、日本橋高島屋そばに気になる地図屋がありました。

地図愛好家のあいだではたいへん有名なお店です☆

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で、この店名漢字で書くと・・・・・・・・・・・・・・・。

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ってことになる。

武揚堂ったら、
榎本釜さんのことしか、浮かばない幕臣ファンとしては、
ずっとずっと気になっていたのですが、
まさかいきなりお店にいって、「榎本さんとどのような関係が?」
と聞くのはかなり恥ずかしいので、やめていたのでした。

そしたら、こんな記事が!

毎日新聞サイト→こちら

ぶよお堂の由来である「武揚」の名前は、創業時に名付けられた。
武は「戈(ほこ)」を「止める」から平和という意味。
これと「揚げる」とを合わせて、「平和を促進する」との願いを込めた。
幕臣で明治になって農商務相などを務めた榎本武揚の名にも通じることから、
同社に伝わる歴史は、存命だった本人に願い出て快諾されたと伝える。


おおっと!榎本さん公認だったとわ!!!!

は~~~長年の疑問がスッキリ(笑)。

でも武は「戈(ほこ)」を「止める」から平和という意味
ということは、
「武士」って平和の士ってことですね♪
徳川の旗本さんで、幕末外交を担っていた人々が外国との交渉で
「非戦」を掲げたのは、武人であるからこそ、戦争の恐ろしさ・無意味さを
知っているため、他国とむやみに戦争にいたることのないよう、
平和外交をめざした・・・・となにかの本で書いてありましたが、
そういう意味では彼らはまさに平和の士(笑)でした。

ホント、漢字って奥深いわ~~~~~。


そして、地図の店と榎本さんという組み合わせも、
たいへんしっくりきますね!!

地図の店ぶよお堂
サイトは→こちら
東京都中央区日本橋3の8の16
午前10時〜午後7時。
定休日は土曜、日曜、祝日。


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by aroe-happyq | 2012-11-21 09:44 | 箱館または釜さん | Comments(0)




いままでならこういうドキュメンタリーはDVDの特典映像なのに、
王家衛ったら、太っ腹!!!
まさかの先行youtube公開とは~~~!!


ひとまず(上)が公開されたので、UPしてみました♪

で、さっそくみてみたのですが。
繁体字字幕のおかげで内容がわかります~~(涙)。

監督がこの映画をつくろうと思ったのは「ブエノスアイレス」撮影中とのこと。
96年ごろとは・・・・・ずいぶん、温めていた企画なのですね!
しかもかなり各地の武林世界への取材を重ね、研究された様子。
(いや!すごく勉強になりました。わたしもぜんぜん知らない世界なもんで)

正直、王家衛といえばラブストーリー映画(笑)。
それがたまに違うものを制作して、
武侠映画だと思ったら、ラブストーリーだった「東邪西毒」とか、
ついにSF映画をつくるのか!と思ったらやっぱりラブストーリーだった「2046」とか、
そういう過去があったので、今回もそうくるのかな・・・?と
スイマセン、ファンだけどそうやって疑っておりましたです、ハイ(笑)。

ですが、このドキュメンタリーをみると、
今回はまっすぐ武林映画(っていうんでしょうか?)だと期待できそうな???

メイキングの後半、特訓をうけているトニーさんや張震、ツィイーちゃんが
たいへんそうでした(汗)。
たしかツィイーは大学でバレーとかダンスとか舞踊とかやってらした憶えが
あるので、体が柔らかそうですが(その彼女にしてあの辛そうな表情!)、
あとの男二人・・・・・体堅そう~~~~なんで、ホントによく頑張りましたネと
讃えたいところです。

続きの(下)をみつけたら、またUPしますね~~~!
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by aroe-happyq | 2012-11-17 09:26 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

江戸瓦解時の江戸市中の民政の移り変わりについて調べようと思って、
町触集成あたりをあたろうかとしていたところ、良い本と出会いました。

『都史紀要2 市中取締沿革 明治初年の警察』(東京都公文書館 編)
という本(1080円なり)。
都庁で売っています(笑)。→詳しい案内は一番下に♪

さすが地元東京都の本だけあって、戊辰(慶応4年→明治元年に改元)の年
の政権移譲期における警察権の移行の流れがわかりやすく書かれています。

今回紹介するのは、
この本のなかから上野戦争時期についての情報。

マニア情報満載の山崎有信『彰義隊戦史』や下母沢寛『彰義隊始末』などに手を出す
前にもう少し基本を押さえておきたいので(笑)、上記2冊はまだ未見。
(彰義隊戦史のほうは国会図書館のデジタル化資料で読めるのでちょこちょこは読んでます)

今のところ、森まゆみ『彰義隊遺聞』は読了済みです。
ただ、遺聞を読んだだけの身としては、この本のなかで、
町人たちは十五日と知っていたらしい」という一文がずっとひっかかっていました。

この本によれば上野戦争開戦日が5月15日だと町人たちは「噂」で知って
いたとのこと。
だがしかし・・・・そんなゆるいものだったのか?
という疑問が頭に浮かんで、数年。

『市中取締沿革』を読んだら、あっけなくこの疑問はスッキリと解決しました♪

えーと、この本によりますと、前日の5月14日に、彰義隊とは名指ししては
いないものの、「旗下末々心得違い之輩」を討伐するぞという、
町触れがしっかり出ていました。
触れで宣言するということは、すぐに実行!ということで
5月15日には始まる・・・・・ということが江戸じゅうに知られることとなりました。
(彰義隊士のなかには不意打ちだ、という輩もいたというけど、それは通らない
ということになります・笑)
一説には17日だという偽情報に惑わされた彰義隊士もいたとか・・・・(汗)。

さて、その御触れの内容は下記のとおり。
※なお、読みやすくカタカナをひらがなに、一部手を加えました。
(このままコピペっても大惨事になりますんでレポート等で利用の場合は
かならず原文に当たってくだされ)

今般徳川慶喜恭順の実効を表するに依り、祖宗之功労思召され家名相続仰せ出され、
城地禄高の儀も追々御沙汰に相成、末々之者に至る迄各其所を得ざる者これなく様
遊ばせられ度との思食にあらせられ候処、豈図んや、
旗下末々心得違い之輩至仁之御趣意を拜載し奉らざるのみならず、
主人慶喜の素志に戻り、謹慎中之身を以て恣(ほしいまま)に脱走に及び、
所々屯集、官軍に相抗し、無辜の民財を掠奪し、兇暴至らざる所なく、
万民塗炭の苦に 陥らんとす。故に今般止む得ず之を誅伐せしむ。
素より其害を除き天下を泰山之安きに置き、億兆之民をして早く安堵之思を
なさしめん為なれば、猥に離散するべからず、篤と御趣意を体認し奉り、
末々之者に至迄聊(いささか)心得違いこれなく屹度(きっと)安堵いたし、
各其成業を営み、其分に安すべき者也。


町奉行所が廃止されるのは5月19日なので、
まだ奉行所→町会所経由で出されているはずなのですが、
言い回しがすでに「新政府」的目線なんだな、これが(笑)。

ただ、どちらかというと「無辜の民財を掠奪し、兇暴至らざる所なく、
万民塗炭の苦に 陥らんと」させていたのは、
官軍側の藩兵という話もあるのですが・・・・・(汗)。

というのも討伐目標の彰義隊は
閏4月中は市中警邏をまかされていました(笑)。
つまり治安維持側なんですよねっ、いちおう☆
これが江戸市民にはたいへん歓迎されていました。
この当時、町奉行所が機能しなくなったのをいいことに、
盗賊や辻斬りが跋扈して、治安はないにも等しい状態だったためです。
この頃の吉原では「情人(いろ)に持つなら彰義隊」とたいそう彰義隊士が
モテモテだったのは有名な話ですネ!
そういう評判をみても、彰義隊が江戸市民に迷惑をかけているフシはなし。

では彰義隊が誰に「兇暴至らざる所なく」悪さをしていたか?
答えは官軍に対して、でありました。
(嫌がらせに関しては彰義隊と一緒になって、
町民やそのほかの浪人などもやってたらしい(笑))
これがけっこうシャレにならないバトルを繰り広げていたらしく、
官軍としてはとほとほ手を焼いていたようです。

江戸のいわば占領軍の官軍さんですが、気がつけば江戸湾の制海権は
依然として榎本釜次郎率いる徳川海軍に押さえられ、
陸では彰義隊にちょいちょい官軍藩兵が闇討ちされている始末。
こういう状況が続くと、自然と反官軍抵抗運動の輪が広がりはじめるもので、
「腰抜け」との評判の旗本たちも隙あらば・・・というような、
不穏な空気が漂い始めていたのは事実のようです。

官軍さんは、一旦は彰義隊に委せた市中警邏を5月3日に停止。
官軍側が彰義隊を叩こうと決意したのはこの頃だったらしい(『市中取締沿革』より)。

このように官軍側が寛容路線から強硬路線にかわったのは、
閏四月下旬に江戸へ三条実美が到着して以後のこと。
それまで徳川方寄りで江戸を仕切っていた西郷隆盛をその座から
おろして、三条が木戸孝允プランにそって、徳川方と(小さくてもよいので)戦端をひらき、
勝利して(←これが最優先事項(爆))、これをバネにどーにかして徳川家を70万石に押し込め、
江戸の治安維持権などすべてを手中におさめる完全占領作戦が発動したのでした。
(やっぱり、一度は戦って負かさないと、占領政策しづらいんでしょネ)

こういう魂胆なので、勝海舟に「三条卿以下悪党ばかり」といわれてしまう、
三条であり、その三条が見込んで呼んできた大村益次郎だったりする(笑)。
(まだ詳しい歴史を知らぬ子供の頃から、都内某所にあるデカイ益次郎像をみるたび、
ムカっときて、ひっ倒してやりたいと思ってきたのは都民ゆえの本能か?勝さん(笑))

で、上野戦争を即日で勝利にもっていき、三条のお望みどおりに
なったのですが・・・・。
(これも一日で終わらせないと、旗本たちが決起しかねない状況だったとか。
本所の友人宅にいた田辺太一もあと一日戦争が続けば、
仲間と共に江戸の各地から騒乱を起こすつもりだったそうです)

というあれやこれやの話もあるのですが、それはまた別の機会に(笑)。

さて、再び今回の御触れのテキストに話は戻しますが、
この御触れもけっこうひどいと思いませんか?

ドンパチやるけど「離散するべからず」とか「各其成業を営み、其分に安すべき者也」
とかって随分勝手よねっっ。
この御触れを無視して、自主的に避難した人もかなりいましたが、
『台東区史』などをみますと、焼け出された人もたくさんいたんですよねーっ。
(そうした戦火の被害にあった人々には町会所からお救米や銭が出ましたとさ。
江戸府(5月11日から登場の官軍の役所)は何も出さんのかい(笑))

そんなわけでこの御触れを知って、ひとつの疑問は解消したのですが、
ますます新政府の輩に対する不信感は、増すばかりでありました(笑)。

今回紹介しました『都史紀要2 市中取締沿革 明治初年の警察』のほか、
明治初年の自治体警察制度の流れを知るには
同じシリーズの『都史紀要22 番人制度』(750円)もオススメです♪
この都史紀要シリーズはカバーもなにもないし、
グレー色の表紙で地味な感じですがけっこう使えますヨ!
都民情報ルーム(都庁内にある)で入手可能です☆

都民紀要シリーズの紹介サイト→こちら

都民情報ルームの案内サイト→こちら
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by aroe-happyq | 2012-11-15 09:51 | そして明治 | Comments(2)

香港映画ファンの友人たちと今年最も盛上がった話題は、
「金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件」に
香港の名優エリック・ツァン(曽志偉)が出演するということでした(笑)。
(世間ではビビアン・スーとか飛輪海のウーズンの出演が話題でしたけど)

しかしその後、領土問題→反日運動激化という流れのなか、
エリックさんが出演を辞退したとのニュースが流れてきて、
「時節が悪いのでしょうがない」と肩を落としていたのですが。
下記の記事をみると、ちゃっかり・・・・いえいえ、しっかりと
登場するとのこと。

毎日新聞サイト→こちら

ちょうど香港ロケは例の騒動の最中(9月中旬ってそーですよね?)
なんだけど、現場は良い雰囲気だったみたいじゃないですか♪
さすが、香港特別行政区!!

先月放送された「ダブルフェイス 潜入捜査編」をみた
香港映画迷(ファン)の友人たちと感想をメールしていて、
このドラマは悪くはないけど、
いかにオリジナルの「無間道(インファナルアンフェア)」が面白かったかを
思い知らされた・・・・・という結論で終わることを繰り返し(爆)、
また日本の俳優さんのなかには、
エリック・ツァン(曽志偉)やアンソニー・ウォン(黄秋生)のようなタイプの
俳優さんはいないなぁ・・・とその存在の素晴らしさ(笑)をしみじみ語りあったものでした。

うちのブログも「ダブルフェイス 潜入捜査編」の記事へのアクセスが
とても多い(ありがとうございます!)ところをみますと、
この作品への関心がけして低くないようで、オリジナルファンとしては
本当に嬉しうございます。

ひつこーく申し上げれば、
「ダブルフェイス」に面白さを感じたみなさん!
ぜひぜひ!!!オリジナルの「無間道(インファナルアンフェア)」シリーズ3作を
みてやっておくんなさいまし!!!
面白いから~~~~~~~っっ!!!

そして小日向さん演じるボスのオリジナルキャストのエリック・ツァン(曽志偉)、
角野さん演じる警視正のオリジナルキャストのアンソニー・ウォン(黄秋生)の
名演をご堪能ください♪
(あ、もちろんオリジナル主演のトニー・レオン、アンディ・ラウも良い味出してます!!)

じゃなかった!!!
そんなエリックさんが日本ドラマ初登場する「金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件」の
新春放送が楽しみです~~~~~~!!!
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by aroe-happyq | 2012-11-09 18:08 | 香港&アジア映画 | Comments(2)

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ちょっと通りかかりましたら。
旧江戸城桜田門(内側も)が工場中でした。

観光で桜田門を訪れる予定の方は、
要注意であります。

環境省の工事のおしらせ→こちら

来年3月まで工事は続くようです。

桜のころには、きっとキレイになった桜田門が
みられることでしょう。
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by aroe-happyq | 2012-11-08 14:08 | Comments(0)

↓台湾・香港向けの繁体字幕バージョン予告に差し替えました☆



昨日公開されたらしいです。

今回の予告は2分45秒もある!

お話はブルース・リーのお師匠さんの葉問(いっぷまん)の物語。
ツーイーが奥様役ということは、ともに功夫の出来る夫婦なのかしら?
張震が出てくるらしいのも、嬉しい♪

そしてやはり王家衛。
アクションシーンの細かいところにまで美しさがちらほら・・・・。

はやく見たいものです☆
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by aroe-happyq | 2012-11-06 14:32 | 香港&アジア映画 | Comments(4)