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東都アロエ

都内にお住まいで、都立中央図書館へ行く用事がある方へのお知らせです☆


東京文化財ウィーク2013参加企画展
「最後の江戸城~建築図面から見る幕末の姿~」


平成25年10月26日(土)から11月10日(日)まで
【休館日 11月7日(木)】
午前10時から午後5時30分まで
会場:東京都立中央図書館 4階 企画展示室、多目的ホール(入場無料)


都立中央図書館のお知らせサイト→こちら

都立中央図書館特別文庫室では、
国の重要文化財である「江戸城造営関係資料(甲良家伝来)」646点を所蔵しています。
江戸城の本丸御殿は江戸時代を通じて5回、西丸御殿は4回焼失したとされますが、
この「江戸城造営関係資料」の中には4回目の焼失後に再建された万延元年(1860)の
本丸御殿に関する図面が多数含まれているほか、
元治元年(1864)造営の最後の西丸御殿に関する図面も含まれています。
最後の江戸城となったこれらの建築図面を中心に、
特別文庫室で所蔵している貴重資料により江戸城の姿を紹介します。


本当は「江戸城造営関係資料(甲良家伝来)」646点をどーんと一挙に
展示してくれるような、ザ・江戸城造営史料展みたいなものがあったらいいのですけど、
都立中央図書館で、小出しにせよ、貴重な図面を公開してくださるのは
たいへんありがたいことです。
(いままでも何度かこういうプチ展示がありましたが、毎回楽しいであります・笑)

現在公開中なので、図書館に行かれる方はこの展示のこともお忘れなく♪
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by aroe-happyq | 2013-10-31 18:27 | 江戸東京あれこれ | Comments(0)

今年の夏、このゲームの岩瀬さんを紹介しましたが
なんと、今度は永井尚志がいるらしいと教わりました(笑)。
(いやほかにもいろんな人がでているようです)

なので、いろいろ調べてみたところ・・・・・・・・・・・。


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なんだか少年ジャンプのどこかのマンガのキャラ的な、
どちらかというと堀織部正っぽい、熱さが全面にでているイラストですっっ。

しかも・・・・箱館奉行という肩書きで登場しているのに、けっこう若いな~~(笑)。
(箱館奉行のころ、永井さんはすでに50歳のおじーさまです)

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こまかいところですが、『幕末の幕府官僚。軍艦奉行、大目付、徳川の慶喜の側近として
若年寄を歴任した』という並びが正確カナと。

ただし!!!!

特技:鉄の意志

というのは、鋭くこの人物の本質を突いています☆

(ただ、そういう本質を感じさせない、ほっこり系の穏やかな人というのが、
この人の特徴だったりします)
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by aroe-happyq | 2013-10-30 19:55 | 外国奉行ズ | Comments(0)

渋田利右衛門と箱館丸

渋田利右衛門というのは、幕末箱館の豪商です。
極貧蘭学研究時代の勝海舟のよき理解者にして後援者として、有名なのではないでしょうか?
(渋田利右衛門に関する基礎情報は→こちら

箱館弁天町の渋田屋はもとは廻船問屋でしたが、貸船業、金融等々の多角経営に乗りだし、
今回紹介する四代目渋田利右衛門の時代には江戸へ大量に鮭なども売りさばいていたとか。
毎年、春から数ヶ月間、江戸に滞在し千五百両もの大きな商売をしていた、豪商のひとりです。
でも、本当に凄いのはその売り上げのうち、六百両ほど使って、江戸の書店をまわって
蘭書をメイン(それもたいへん貴重な書籍ばかり)にして多くの書籍を買い込み、
これを箱館に持ち帰り、渋田文庫と称して箱館市民に開放していたということ。
弘化嘉永頃に設けられた、この渋田文庫は北海道の図書館のはじまり、とのことです。

というのも、四代目渋田利右衛門は幼い頃から無類の読書癖で、本を読みすぎて病を得てしまった
ほどの学者肌の知識人だったのです。
ホントは学者になりたかったようなのですが、渋田屋を嗣がされてしまった・・・・ようなのでした。
(子供の頃、あんまり本ばかり読んでいるからと、土蔵のなかの柱に縛りつけられたとか。それでも
土蔵に落ちていた草双紙をみつけると足で寄せて、これを夢中で読みふけった。
この姿をみてついに父親も読書を止めさせるのを断念したそうな・笑)

渋田利右衛門の親友で同業者の林儀助はいつも一緒に江戸に出てきて、
深川の止め宿も渋田の真向かいに泊まるのが常だったよし。
渋田は箱館から江戸へ廻船してきた船手からの貸金勘定の所用が済むと、
朝から晩まで宿を留守にしてしまう。儀助が江戸観光に誘うと時間がないという。
訳をたずねると、利右衛門いわく、毎日書林(書店)に出掛け、
また有名な学者を訪ねては説を聞き、理を論じているのだ、とか。
さらに儀助がきくと、その学者とは蘭学者ばかりとか。
弘化嘉永頃は、天保年間にシーボルト事件や蛮社の獄があったため、蘭学といえばかなり
世間の目が厳しい、たいへん危険な学問という扱いでしたので、儀助は利右衛門に
やめるように説得したが、「なあに、話を聞いているだけです。大丈夫ですよ」と感謝しつつも、
やめる気配はなかったようです(笑)。
そういえば、
勝海舟の談話ではすっかり有名な、この渋田利右衛門との出会いも、書店の店先でしたネ。
(勝さんとのお話は有名なので、ここでは割愛いたします。勝さんの談話にいっぱい出てきます。
たいへん肌が白く、背の小さい、物静かな人物だったそうです)

こういうわけで、渋田利右衛門は箱館の豪商でしたが、かなり筋金入りの蘭学研究家でも
あったのでした。
嘘かまことか、ペリーが箱館にやってきた際、通訳にかり出されたという話もあります。
(蘭語はできたかもですが、英語は・・・・。よほど松前藩も慌てたのでしょう)

こういう人物が、開港都市箱館にいて、しかも文庫を開き、
時には江戸から高名な学者を招いて講演してもらうなどなど、
(ご本人もたまに登壇していたようです)
箱館市民の教育にも尽力していた、ということはもっと多くの人に知ってもらいたいお話です。


で、話の途中に出てきた、渋田文庫。これが今回のメインです(笑)。


この渋田文庫といえば、五稜郭を設計・築城した武田斐三郎もここで洋書を借りて
蘭学研究に励んでおりましたぐらい、この図書館は箱館の洋学情報の要であったようでした。

そこで調べたら!!!あの箱館丸の建造時にも、この渋谷文庫の蔵書が一役買ったというのです。

箱館丸といったら、箱館初のメイドインニッポン船・・・・・なので、どーやって設計したのか
参考資料とかどうしていたのか、前から気になっていたんですけど、
これでもう、スッキリ♪

そもそも堀織部正等々の箱館奉行たちが、この文庫を知らないわけがなく、
むしろ真っ先に渋田利右衛門と面会したような気がする(笑)。

この豊富すぎるぐらいの、しかも良書ばかり(なにせ本の見立ては渋田本人だけでなく
勝麟太郎たちも請け負ってましたので・笑)がうなっている文庫があったからこそ、
箱館丸の建造もできたし、ここからは推測ばかりですが、武田の例もありますので、
五稜郭・弁天台場建造、また箱館海軍伝習所構想も、医学所の設立にも、
この文庫が原動力となった可能性はありますネ!

たいへん残念なことに渋田利右衛門は安政5年12月4日、43歳(41歳説もあり)という
若さでなくなってしまいます。
どうも結核を患っていたそうで、死の予感があったのでしょうか、
勝海舟が安政2年に長崎へ海軍伝習に行く際、自分がいなくなったあと頼れる豪商を
何人か紹介しましょう、といったそうですし。
こういう人にはもっと長生きしていただきたかったですネ。
(勝さんて、彼を深く理解している友人たちが文久前後に相次いで亡くなっていることで
かなり損をしているなぁ、と思います)

で、四代目の死後、養子が五代目を嗣ぎますが、商売がうまくいかず、
渋田屋はだんだんと衰退し、やがて廃業したそうです。
渋田文庫の蔵書は、勝海舟談話によれば、その数、数万冊。明治維新の頃に、箱館奉行所に
買い取らせたということですが、その後、現渡島支庁所在地に保管されていたのですが、
明治12年の大火で焼けてしまったそうです。

・・・・ということは、榎本釜次郎たちが箱館に行った頃、この蔵書は箱館奉行所のなかに
まだあった可能性が???
つまり、榎本はもちろん、大鳥圭介、澤太郎左衛門はもちろん、永井玄蕃やその友人(儒者)
たちも、その蔵書を眼にしたかもしれませんネ。
(てか、そうなったら、彼らのことだから、本気で蔵書を戦火から守ったことでしょう☆)

今もその蔵書が残っていたら、函館に渋田利右衛門記念館が建っていたかもしれません。
これもまた、もったいないお話です。


《参考文献》

白山友正「渋田利右衛門の研究 ー近世函館商人の一典型ー」
(『北海道経済史研究』30輯)

「渋田翁雑録」
(『諸国叢書』9輯 成城大学民俗学研究所)

江藤淳・松浦玲 編『勝海舟 氷川清話」(講談社学術文庫)
※談話はこのほか講談社版の勝海舟全集の22巻『秘録と随想』などなど
あちこちにも収録されています。
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by aroe-happyq | 2013-10-21 18:53 | 箱館または釜さん | Comments(4)

8月に記事にしました、企画展「没後百年 德川慶喜」@戸定歴史館
にこの週末、行ってまいりました☆

公式サイト→こちら


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この企画展は静岡市美術館との共同企画ということで、
はじまる前からわくわくしておりました♪

週末なので、混んでるかな~~~と思ったのですが、台風が来てしまうので
天候がおちついているうちに、ということで急遽訪れることに。
結果として、14日がイベント日ということで、その前には玄人はこない!のか、
とっても快適に展覧会を楽しめました♡

おかげでほぼ貸しきり状態で、ゆっくり拝見できたのですが、
戸定歴史館はとってもコンパクトなので(笑)、2~3周したりして・・・・・。

歴史館のある戸定邸は慶喜の弟、おフランスに行ったこともある徳川昭武が
その後半生を過ごしたお屋敷。常磐線で上野方面から松戸駅へ向っていると、
松戸駅の少し手前で向って右側に緑のこんもり山が見えます。それが戸定邸。
駅から歩いて10分(しかもほぼ一本道でわかりやすい♪)デス。
慶喜と昭武は仲がよく、かつ写真趣味も共通することで、この歴史館といえば、
慶喜の撮影した写真がたいへん豊富に所蔵されており、
今回の企画展でも、かなり大放出してくださっています♪

なかでもわたしが大好きな慶喜撮影の「くちなしの実」をこのほど、
生でみることができて、大感激でした!!
色合いといい、くちなしの置き方といい、現代アートのようにモダン。
最後の将軍のセンスの良さがいかんなく発揮されています。
今回、この写真と逢えるかな~~と期待していただけに、嬉しかったです☆

もちろん、ご本人が被写体になってる幕末期の写真も、明治期の写真も
コンパクトなスペースにけっこうぎっちり詰まっていました。

・・・・・そのなかで、前になにかでチラとみて、カッ飛んだ、
(だけどそれ以来、みたことはなくて)わたしのなかでの伝説の写真と
ついに再会しました。

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図録からの、ぼやぼやのお写真ですが、言葉では伝え切れないので、
デジタルカメラで撮ってみました(笑)。

どーでしょうかっっ。
この当時のオフブロードウェイの舞台ポスターか、はたまたチャップリン映画に出てきそうな
20世紀すぎるお写真!!!!
でも撮影されたのは、慶応2~3年(京都で撮影?)なんですよ!!

あえてなのか、それしかなかったからなのか、のだぼだぼのジャケットに、
(なぜこんなに袖だけがワイドなのか・・・・ひょっとして国産の特注品?)
今にもタップを踏んでしまいそうなポーズで、
どこから運んできたのか、のでかい西洋椅子に手をかけた慶喜公です。

このセンスが凄すぎて、眼が釘付けになります!!!!!
誰がこの写真を撮ろうと言い出したのか(っておそらくご本人ですよね・汗)、
まわりの人々は止めなかったのか、止めてもやっちゃったのか(笑)、
慶応年間の写真にしては凄すぎるじゃありませんか~~~~っっ。

ポーズをとるのはだれでもやっておりますけど、なかなかここまで思い切った
写真は撮れますまい。
・・・・・いや、本当に徳川慶喜、恐ろしい人です(笑)。

もちろんこういう写真だけではなく(って当たり前ですネ)、
幼少期の絵(なにせ父の斉昭が溺愛する七郎麿クンなので、角度違いで2枚も♡)
や、刀、鎧、身の回りの品々(お箸やらさまざま)、大政奉還に関する書類などなど
貴重なものがたくさん展示されております。
なかでもほかの記事のコメント欄でも話題になりましたが、
いろいろ内緒の事がかかれた明治の『秘密事情』や『慶喜日記』はもっと
ほかのページもみてみたかった。誰か翻刻しないでしょうかっっ

それから期間限定展示ですが、日本橋のために書いた、慶喜の「日本橋」の文字。
日本橋のホンモノよりも、わたしにとっては向島百花園にあるほうの「日本橋」が
馴染んでいるのですが(笑)、なんだか好きなので、本人の書かれた字がみられたのが
これまた嬉しかったです。

この企画展、3期にわかれて12月まで開催するので、
もう1回ぐらいは行けたらなーと思います。

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上のほうが、今回の企画展の図録。
静岡市美術館と共通図録ということで、静岡のほうへいけなくても
この図録にはどちらの展示物も紹介されています。
静岡のほうへは、京都の二条城が所有している新門辰五郎の遺品&日記
(以前、江戸博の二条城展でも展示されていました♪)が登場するらしい。
嗚呼、だからこの辰五郎の日記も、誰か・・・・翻刻して・・・・(涙)。
で、下のほうが、98年に戸定歴史館で開催された『最後の将軍 徳川慶喜展』のもの。
98年といえば慶喜が主人公の大河ドラマの年で、いろいろな企画展がありましたが、
この企画展、そしてこの図録がもっとも充実しておりました。
ですが、図録はカラーページがとっても少なくて、悲しかったわけで・・・・。
一部内容がダブっている両者、見比べてみると、やはり今回のほうがカラーも多くて
解説も多く、充実しております。

なので、前の図録にはさんざ、お世話になってきたので(といっても、わたしが購入したのは
開催年のちょっと後。大河がおわり、ブームが冷めて、古本屋さんでお安く出ていたものです・笑)
記念にツーショット写真にしてみました☆

ホントはね、没後100年なのですから、江戸博あたりでもどーんと特別展を
やってもいいんじゃないかと思うのですがね。最後の将軍なんだし。
(勝海舟はたしか没後100年の年に、江戸博で特別展あったのになぁ)
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by aroe-happyq | 2013-10-15 17:20 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)

フェイ(王菲)関連の記事はすんごーーくお久しぶり☆

だって・・・・記事に書くことがなかったんですものっっ、ずっと、ずっと(涙)。

なんとなく久しぶりに香港新聞あさっていたら、りんご新聞で
こんな記事が出ていました→こちら(中国繁体字の記事)

先日、離婚を発表していたので、フェイ姐さん、ひょっとして
本格的にお仕事に戻ってくれるかしら???
なんて、ごくごく淡い期待を寄せていたら!(笑)

香港の著名な音楽プロデューサーにして、フェイの香港デビュー作から
アルバム制作を手がけてきた、アルヴィン・リョン(梁榮駿)とのツーショット記事がっっ

しかもフェイと新曲を完成させた、そうなんです!!!!

・・・・・嗚呼、よかった・・・・・。

あのまま北京で新曲つくられたら、もうダサくて聴けねぇ・・・・(涙)と
ぐったりだったんですけどっっ。
(いや・・・・もう、本当に昨今の新作シングル曲は・・・・マジで勘弁してほしかった・・・・・)

アルヴィン・リョンなら・・・・・・また90年代のような、素晴らしき楽曲を
提供してくれるはずっっ。


香港発売の新作アルバム、待っていますっっ!!!!!

・・・・しかし。いまどき、香港のCDってどーやって買うのだ?
以前はタワレコやHMV、ヴァージンメガストアでフェイなどは予約受付まで
してくれたのだが(特典ポスターまでつけてくれた・感涙)、
今はもうそんな制度はなかろう・・・・・。
やはりyes.asiaで香港から通販か。

数年のあいだに、香港からの輸入CD環境はけっこう不便になったかもしれなひ・・・・・。
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by aroe-happyq | 2013-10-11 17:46 | あじあん音楽 | Comments(2)

今年は開催されないんじゃないかと思っていた、公文書館の「旗本御家人」展シリーズが
本日から開催されます♪

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「旗本御家人III お仕事いろいろ」公式サイト→こちら
※リンクが切れていたようで、失礼しましたっ。今はリンクできています!【追記:10月9日】

概要は以下のとおり。

秋の特別展は、平成21年春の〈旗本御家人〉、22年春の〈旗本御家人II〉に続き、
〈旗本御家人III〉と題して、江戸時代の幕臣である旗本御家人に関わる資料を展示します。

展示は、まず大奥女中や大奥で生まれた若君姫君にお乳をさしあげる「御乳持」(おちもち)
と呼ばれる幕臣の妻たちに注目。続いて幕府の医療を担った奥医師や天文観測をもとに
暦を作成した天文方、書物保存のために複本の作成や修復作業を行った書物方の活動
などを取り上げます。天文方の資料としては『貞享暦』(重要文化財)を展示。このほか小
性・小納戸など将軍の身近に仕えた人々の仕事ぶりを伝える資料も。最後のコーナーで
は、幕末に京や大坂に出張滞在していた幕臣が江戸の同僚や家族にあてた手紙と、金
座で行われた金貨鋳造の詳細を描いた絵巻をご覧いただきます。まさに「お仕事いろいろ」。

幕臣の中には、文学・芸術の世界ですぐれた才能を発揮した人もすくなくありません。
活躍の舞台はさまざまですが、今回は、狂歌・音曲・園芸の世界から、それぞれ名人大家と
讃えられた人物を紹介します。役人の世界に身を置きながら、精力的に趣味を極めた彼らに
よって江戸文化はさらに豊饒で多彩なものとなりました。


今年は江戸博での「江戸の園芸」展などなど、マニアすぎる武家たちをじわっと堪能できる
企画が多くて、とっても有り難いです☆

本日から、10月24日(木)まで。無休です♡


・・・・・・・・・・・【追記:10月10日】・・・・・・・・・・・・・

昨日、行ってまいりました。
いや~~~、さすがの充実ぶりです!!!

大奥の御乳付、薩摩婆などなどさまざまな女性の「お仕事」の史料から、
小性、小納戸、目付等々までいろいろな場面での勤めぶりを紹介する史料まで、
細かく、だけどぎゅっと詰め込んで、展示されています。

なかでも驚いたのは、公金の運用が元禄期以前から行われていたことです。
先手組鉄砲頭を勤めた天野長重の史料によると、
公儀から先手組鉄砲頭に支給される「救金」は代々の担当者が引き継ぐそうで、
天野は前任者から五百両を引き継いだとか。この金が増えれば、配下の与力や同心に
渡せる金も増えるということで、天野は引き継いだ五百両のうちの三百両を旗本へ貸し付け、
その利子で公金を増やしたそうな。この公金の運用はほかの先手頭たちもやっており、
老中から「当然そうするべきだ」と褒められる行為だった。
後任者へ少しでも多くの金額を渡そう・・・・というその努力が素晴らしいです。
(どっかの霞ヶ関みたいに、年度末までに予算を使い切らないと、次の年に予算を
減らされちゃうーとかいって、復興費まで西の某県の道路整備に使っちゃうのとは大違い。
今の日本も「うちの省はこれだけ予算を残せました」が褒められるシステムになったら
無駄使いも減りそうなのになぁ・・・・。別に天野みたいに運用せんでもいいから(笑))
先手組頭の運用上手といえば、真っ先に思い出すのが長谷川山城守。
石川島の人足寄場の費用も、米相場で得た資金を投入したことで有名ですよネ♪
だけど、長谷川だけでなく、代々の先手組頭が金の運用をしていた、ということに
驚きました。
(こんな公金の倍返しだったら、まさにウエルカム!です・笑)

このブログにお越しのみなさまの多くが気になっているはず!?の幕末ネタは、
最後のほうの展示、「幕臣の手紙」というコーナーにありました。
京大坂へ出張していた名も無き直参のみなさんが、家族や同僚に当てた手紙が
紹介されていました(なので有名人の手のものではありません)。
しかし・・・・これがなかなか、ナイス!

①大坂城で慶喜将軍が英国公使のパークスと謁見した際に、そばでその様子をみていた
某氏の手紙。あまりに慶喜公が立派なので、パークスが緊張して愛想ばかり口にしていた、
とか、通訳のアーネスト・サトウは緊張のあまり、声を振るわせていたよ、へへん!
というかなりドヤ顔の内容です(笑)。
いつも日記で言いたい放題のサトウが!?ガミガミ屋の切れキャラのパークスが!?
・・・・・たしかにこの手紙の展示をみた自分も、慶喜ファンの端くれとして、ドヤ顔になりました(爆)。

②大坂城滞在中の家茂公のそばに仕える某氏は、同僚への手紙で、
家茂公の御中﨟がもしも懐妊したら、大坂城での出産の前例がないので、どうしたらよいか
参考になるような御留(記録)を送って!という内容。ただ、まだそういう事実はないので
あまり騒がないでねーっという添え書きが笑えます。

などなど。ほかに長州戦争のために大坂まで出張中の某氏は、
戦争に行かなくてはならないことへの不安を正直に家族に書いています。
(武士だって、人間だもの。命のやりとりを怖がらないほうがおかしいのだ)

ちょっと笑ったのは、京へ出張中の直参が家族へあてた手紙。
京の印象について、ああだ、こうだと書いているなか、
京の店ではこちらが江戸者とわかるといきなりぼったくろうとするのだ、と(笑)。
だからボラれたくないから、京弁を覚えて買物をしているヨ!、だとか。
(いや、なんちゃって京言葉使っても、バレちゃうんじゃ・・・・・!?)
それにしても、こんな昔から好印象を振りまくよりも儲けてなんぼ的な、
いまいち「お・も・て・な・し」の真心に欠ける、殿様商売系の観光地だったんですね、京都って(爆)。

このほか、金座で金貨を製造する過程を描いた絵巻が、面白かったです☆
(絵巻に白いわんこが登場。入り口付近で金座に出勤する人々に愛想を振りまいています。
解説でも書かれていたが、このわんこ、金座のアイドル犬かな!?・笑)

などなど、旗本御家人について興味のある方は、ぜひぜひ展示をご覧になられることを
オススメします♪
(毎度のことながら、図録はありません。パンフを無料で配布しています)

いや~~~ぜひとも、ぱーと4も開催してほしいです!

以上、駆け足での感想文でした♡
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by aroe-happyq | 2013-10-10 19:25 | 江戸東京あれこれ | Comments(12)

明治20年前後の時期、江戸回顧ブームがあり、
その頃『旧幕府』や『同方会』誌など、旧幕臣の人達による雑誌が発刊されました。
上記2誌はVIPが次々に登場する、かなり華やかな内容ですが、
このほかの『江戸会雑誌』『江戸会誌』『江戸旧事考』などは少し地味めながら、
江戸の制度や文化を真面目に伝えてくれる雑誌だといえましょう。

この3種が2010年に全4冊にて、まとめて復刻されました。
おかげで大きな図書館などで手に取りやすい形になりましたので、
先日、なにか面白い記事はないかと、千代田区図書館(日比谷公園内のネ)でチェックしてみました。

『江戸会誌』というと、『旧幕府』に先駆けて、
はじめて近藤勇の逸事をのせた・・・・・・ぐらいにしか記憶がなかったのですが、
読んだらけっこう面白かったです☆

近藤以外ですと、幕末史関連記事はかなり少ないのですが、
そのほかの江戸時代の記事で面白いのがあって、ちょいちょい複写してまいりました。

で、そのなかのひとつが、「長谷川平蔵逸事」。
平蔵がつくった「人足寄場」の逸事とともに、『江戸会誌』第二冊第六号に収録されています。

鬼平でおなじみの長谷川平蔵は池波正太郎氏の小説のなかに生きる、
超「かっけー」時代劇ヒーローの代名詞ですが、
ホントの長谷川山城守(と呼ばれてました)はどうだったのか?
いちおう、いろいろ新書本も出ていて、長谷川が生きていた同時代の記録本
『よしの冊子』などからこの人の史実におけるあれやこれやが語られてきました。

今回紹介するのは、長谷川山城守が生きていた寛政前後からかなり経っている明治期に
息づいていた「逸事」です。
山城守とは呼ばず、平蔵としているあたりがすでにツボ。
ですが、けっこう月日が経っていますので、「逸事」というよりも「伝説」に近いかと(笑)。
しかし、この長谷川平蔵伝説が、どうして、どうして。
・・・・・まるで、池波正太郎氏の小説から抜け出してきたような御仁なのであります!(驚)

平蔵、毎夕市中を巡検して親しく民情を察し、風説を探り兼ては組支配の勤怠をも
撿せしよし。或いは夜組のもの何某、麹町九丁目を巡行せしに一人笠を深く冠りて行過くる
ものあり。其の風体頗る怪しければ何某、待テと呼びかけたれど、聞こえぬ体にて
急ぎ過ぎ去るゆえ、彌(いよいよ)怪しみ追い駈けて、笠を引きはぎ其の面を見れば
すなわち平蔵なり。何某慌てて拝伏すれば、平蔵声色を和らげて、
「ヤレヤレ、御大儀、よくこそ心付けたれ」と再三これを労して立ち去りしとなり。


どーです、どーです!!
なんだかもう、そのものですネ♪
すると、何某は『鬼平犯科帳』だと誰にあたるでしょうか???(笑)
(吉右衛門版ドラマだと木村忠吾あたりが適役???)
なんて、思ったり。

明治期の段階で「伝説」はすでにこのクオリティなので
長谷川山城守の死後、江戸の後期のあいだにもいろいろ「逸事」が口から口へと
伝わっていたのですね、きっと。

ま、これだけじゃ小説のイメージと似ているじゃん!で終わってしまうので、
小説では登場しなかった平蔵の姿も紹介します。

或書の記する所に拠れば、昔加役(←火附盗賊改メは先手組頭の誰かが兼務するので加役と言いマス)
は常に獨密行し殊に遊里、劇場、角力、両国の烟火(花火のこと)その他祭日等の
如きは総て自ら出て視察したるに是も後には追々に止みて天保弘化の頃には
已に其の事絶えてなかりしと云へり。


火附盗賊改のお頭は、たいへんだったんですね!!!
中堅の旗本なのに従者もつけず、常に「獨り」で「密行」して市中を視察しているとは!
遊里はわかりませんが、芝居小屋や相撲、そして両国の花火大会の日などは
スリがすんごく多かったそうですし、いろいろトラブルもあったと聞きますので、
そういうあたりにも注意しながら、見て歩いていたのでしょうかっっ。
(江戸の中期はわかりませんが、後期の両国の花火大会のおりには町奉行所の与力などはみんな
で両国の料理茶屋の桟敷席に招かれて歓待を受けるのが恒例でした。火附盗賊改メは
そのあいだも働いていたのでしょうねぇぇ・・・・・)

しかし!!!天保弘化の頃のお頭はもうやらなくなったそうなので、
嗚呼~~~っっ、われらの外国奉行水野忠徳サンも火盗の加役だったんですけど(嘉永2年)、
ダメなのかぁぁぁぁぁぁぁ(涙)
編み笠被って、ひとり市中を偵察して歩いている姿・・・・・みたかったけどなぁぁぁ!!!
(水野本人いわく、すっごく真面目に勤めてたって言ってたけど・・・・@昨夢紀事)


毎歳除日(大晦日)には加役、市中を終夜巡行し、高輪又は深川に於て
初日を拝して家に還るゆへ、加役年頭の参賀は二日に登城するを旧例なりといふ。


町人もそうですが、武家でも(将軍家も含む)大晦日から元旦の夜は、
1年に1度、屋敷中みんなで起きていて、無礼講にて酒盛りして盛上がる楽しいオールナイトなのに、
火盗改メの長官になると、家族と過ごすこともできず、外を見て歩き、
初日の出も一人で町のどこかで拝むのか・・・・・・・。
(でも↑この深川あたりで初日の出みている平蔵の姿、想像するだけで、か・・・かっこいい・・・・・)
なんか、つくづくたいへんなお仕事ですっっ。これを8年間やってたのか、平蔵さん。
やはり、「五鉄」みたいな馴染みの店がないと、やってらんないな~~~~っっ(笑)
小説でない、長谷川平蔵にも、そういうお店があって、気のおけない仲間がいますようにと
思わず祈ってしまいます。

このほかも楽しい逸事がたくさん出ておりますので、ぜひとも原文のほうを
ご覧いただければと思います。
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by aroe-happyq | 2013-10-08 10:15 | 江戸東京あれこれ | Comments(4)