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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

<   2014年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧

中根香亭の『零砕雑筆』を読んだら、
かの初代外国奉行筆頭こと水野忠徳の詩が載っていたので、
紹介いたします☆

ただし、漢文を横に並べるといふ、暴挙に及びますが
そこはどうかご容赦くだされ(笑)。

○ 水野復斎の詩

  下田港漫吟

海鶻呼 風送 暮潮。 松声稷々沸  中霄。
   レ  二         二

夜来便有  清明月  。 独上 高厓  坐 寂寥  。
    二    一    二   一  二  一

忠徳初め復斎と号し、後痴雲と改む。嘉永の末、任官として筑後守と称す。
在職中の功績諸書に精しければ玆(ここ)に書せず。


               (『続日本随筆大成』4 308p)

水野サン、プチャーチンが下田にいた頃、勘定奉行でして、
川路聖謨や岩瀬忠震などなどと下田出張されておりましたので、
こういう漢詩を詠まれたのでしょう♪


さて、同じ本の中根香亭の『零砕雑筆』には筒井政憲の狂歌も収録されて
おりました。こちらはどこかで見かけた気もするのですが、
ブログで紹介したか憶えがないので、あわせて紹介(笑)。

○筒井鑾渓の狂歌

いぎりすもふらんすも皆里なまり度々来るはいやでありんす

鑾渓は政憲の号なり。若き頃赤坂鈴振稲荷の側に住みける故此の号ありと聞けり。

                   (『続日本随筆大成』4 269p)

さすが、筒井サン(爆笑)。やってくれてます♡
(筒井の息子さんの印象では堅物の親父サンだったらしいのだが、この狂歌をみると
とても柔らか頭で面白い人物にしか思えないのに・・・・(汗))
20年ものあいだ、江戸町奉行として活躍、その後は役職は別として、
阿部正弘のブレーンのひとりとして、外交を支えた冴えた官吏の代表ですが、
一方では長崎でロシア使節プチャーチン一行に「好々爺」として愛された、
魅力あるおじいさま♪しかしてその実体は・・・・!?

ま、いずれにしても、水野といい、筒井といい、才能豊かな人々です♪
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by aroe-happyq | 2014-07-31 18:07 | 外国奉行ズ | Comments(0)
久々に(数年ぶり?)に乙骨耐軒について検索しておりましたら、
悲しむべき記事に出会ってしまったので、その記事を紹介したいと思います。

グーグルで検索して、上から4件目に出て来たのが・・・・以下のページ。

歴史REALWEB記事→こちら

優れた文人ながら、多くの儒者がそうであるように、大酒呑みの乙骨耐軒サン。
ドブにハマルのはよくきくのですけど・・・・・。

問題は「寝糞伝説」のほう。


夜着の中に寝糞をこてこてとたれて有りしとぞ


お願いだから、岩瀬忠震のウチで「こてこて」寝糞はやめて(涙)。
・・・・いいえ、もししちゃったとしても、そのお布団をたたむのはもっとやめて~~~っっ。
被害が拡大するだけから~~~~(笑)。

ただ、忠震さんのウチなんで、乙骨耐軒のゴージャスな粗相を発見後は、
たぶんみなさんで「クソ~ッ、やられたぁ」なんて大爆笑だったのではないかと、
勝手ながら想像させていただきます。
(岩瀬家はそういう明るいご一家なんです)

それにしても、こんな素敵なネタが満載の『醇堂叢稿』。
誰か、マジで翻刻してくれないだろうか・・・・・・。
(とあいかわらずの他力本願だったりする)

しかし徒目付に推薦してもらった御礼に訪れたのに、岩瀬邸にとんだ置き土産をしてしまう
乙骨耐軒、やはりタダモノではありませんね。

忠震さんからすると、なんだか「フンだり蹴ったり」。

お後がよろしいようで・・・・・(笑)。
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by aroe-happyq | 2014-07-16 09:47 | 外国奉行ズ | Comments(2)

ドイツの優勝で幕♪

長い1ヶ月でありました。

いろいろあった、ブラジルW杯も、ついに終わりましたネ。

ドイツ優勝、おめでとうございます!


・・・・多くの人が予想していましたが、私もドイツではないかと
思っていました(笑)。

南米的な情熱で突っ走るサッカーは、組織力はもちろん総合的に磨き上げてきた
ドイツサッカーには勝てないだろうなぁぁぁと思っていたわけですが、
でも延長戦までもつれこんで、素晴らしき激闘でありました。

それから、

3位オランダ、無敗おめでとうございます!


今回はオランダチームにハマリました。
格好良かったです!!!
(ロッペン様のゴール前の絶妙位置でのコケっぷりにも拍手☆)

いつもW杯は凄い戦いに魅せられますが、
今回も本当にどの試合も、ドラマがあり、面白かった。

嗚呼、また4年後かよ・・・・ってなんだか遠いなぁぁぁぁ。

日本代表もまた新たな4年が始まります。
4年後のロシア大会、どんなチームになっているかわかりませんが、
今回よりはレベルアップしていて欲しいと願うばかりです。

ところで、各賞の受賞が決まりましたが、

フェアプレー賞 コロンビア代表


↑これ、マジで耳を疑ったんですけど(笑)。

え? FIFA式の嫌がらせ???
これ、どーゆー顔して受け取れというの??(爆)

いや~~、最後の最後まで、楽しませてくれたぜ~~っっ058.gif
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by aroe-happyq | 2014-07-14 09:58 | ほんの世間話 | Comments(0)
永井尚志の命日の、7月1日に更新しようと思っていた記事です(笑)。

よくあるのですが、国会図書館でコピー待ちの時間に近代デジタルライブラリーを
いじっていて深みにはまるパターンでみつけた、
澤太郎左衛門の息子、澤鑑之丞が著した『海軍70年史談』に書かれていたお話です。

箱館戦争以後、東京大手門の獄舎にいた榎本釜次郎、松平太郎、荒井郁之助、
永井玄蕃、大鳥圭介、澤太郎左衛門は明治5年正月、赦免されて出獄と相成りました。

で、その頃の様子は榎本武揚が家族にあてた書簡や大鳥圭介の談話などでも
伺い知ることができているわけですが、澤さんが息子に語った話ということで、
本人による談話よりは信憑性はアヤシクなるわけですが、
榎本&大鳥両氏の史料の隙間を多少なりとも埋められるのではないかということで、
引用してまいりたいと思います。
(読みやすく、いろいろ工夫しておりますので原文通りではありません)

在監中の面々は、当初から死罪の判決を受けるのは当然であると、何の苦慮する事なく、
却ってその処分の遅延するのをかこっていた。
時々糺問所の白洲に呼び出され、形式的な吟味があるばかりで知らず知らず三ヶ年余を
経過し、明治も壬申五年を迎ふるに至った。
ところが、明治五年壬申正月六日卯快晴、水曜日、この日は、定例一六の日ゆえ、
獄中の者一同は入浴をした。この日ひる七ッ時(午後二時)頃獄吏が来り、
榎本釜次郎外八人御用の筋有之に付、即刻糺問所白洲へ可罷出旨申聞く、
一同駕籠で八代洲川岸兵部省糺問所に出頭した。
意外にも、同所に於いて左の申渡があった。

                       榎本釜次郎
其方儀悔悟伏罪に付揚屋入り被仰付置候処特命を以て親類御預被仰付候事
  壬申正月六日
         糺問正     黒川通軌奉行

                       松平太郎
                       荒井郁之助
                       永井玄蕃
                       大鳥圭介
                       澤太郎左衛門
其方儀悔悟伏罪に付揚屋入り被仰付置候処特命を以て赦免被仰付候事
  壬申正月六日
         糺問正     黒川通軌奉行

・・・・・(略)・・・・右の申渡相済み、一同を糺問司応接所に通し、兵部省の掛役人から
慰労の挨拶があって、不自由の物は何でも調達可相渡旨申聞あった。
一同三ヶ年以上、獄中にあって、火気に觸るることがなかったが、
この日俄に大火鉢三個へ、炭火を多分に入れて出してもらったから、さすが二十余畳敷の
広間ながら何れも逆上の気味で少々気持ちが悪かった。
 食事は兵部省の賄掛で料理の膳部を供してくれ、久々で丁寧な馳走を受けた。
(三ヶ年余、普通物相飯を供せられたるに比して実に天地の相違だったと云う)
此の夜は広間で久方振りで深更迄四方山の話をし、なんとも云い難い愉快を覚えた。
夜具はかなり綺麗なものを供せられ、その他慰労の注意は最も行き届き、
却って恐縮の外なく、翌正月七日辰快晴、木曜日、糺問司役人から各自引取方を
担当すべき親族に関して尋問があった。夫々から申し出て退出の用意をした。
この夜も糺問司の広間に宿泊した。
正月八日巳快晴 金曜日、糺問司からの通達に依って、各親族続々糺問所応接所へ
来集した。その時、対面の有様はどうしても筆舌に尽くせぬものがあった。
そして駕籠の用意など出来、いづれも糺問司を退辞して、
久方振りに夫々無事自宅へ引き取った次第である。


実は、榎本たちの赦免については、結構前から話が出ていたようです。
例えば明治4年10月頃、勝海舟はしきりと黒田了介に接触しているのですが、
(勝なりに榎本たちの救出運動をしていたのであります)、

明治4年11月9日 榎本釜次郎已下近々御免之趣内話有之

 (『勝海舟関係資料 海舟日記』 (5) 105P)

などとすでに11月に出ている所をみると、むしろ年明けまで待たされたみたいで気の毒・・・・。
(理由はいろいろありますが、赦免に反対している木戸たちが外国へ出掛けるのを待っていた
というスケジュールによる事情が大きいようですが。ちなみにこの11月9日、勝の日記には
大久保利通が海外へ出掛けるために御所へ暇乞いにいった話が出ている(笑)。早く
出掛けろ、おっと!ダサい事に全権委任状を取りに戻ってくるんだっけか(爆))

榎本釜次郎たちは、『榎本武揚未公開書簡集』によると、明治4年12月朔日の書簡(68)Pに
出獄が近いというような雰囲気が出ているので、このあたりからワクワクして
待っていたのではないでしょうか。
はっきりと赦免がわかったのは、明治5年1月2日の書簡(69P)によると、
元旦に届いた大晦日の新聞に、赦免についての記事があったようで、
一同大悦」で、
しかも差し入れでビールが届いて「少々ドロンケン
になっていた模様です(笑)。

さて、『海軍70年史談』に戻ります。
細かい突っ込みとしては、獄中生活は3ヶ年余ではなく、2ヶ年余・・・・ということぐらいにして、
私が思わずほろりときたのは、
大火鉢三個へ、炭火を多分に入れて出してもらったから、さすが二十余畳敷の
広間ながら何れも逆上の気味で少々気持ちが悪かった
」という箇所。
2ヶ年余ものあいだ、火気のない暮らしをしてしまったため、火鉢の暖房で
逆上(のぼせちゃったわけですな)するなんて、皆さんがおいたわしい~~~~っ。
それにつけても、
此の夜は広間で久方振りで深更迄四方山の話をし、なんとも云い難い愉快を覚えた」とは、
どこまで仲がいいんだ、この人達は!
せっかくふかふかの夜具なんだから、早く寝ればいいのにっっ(笑)。
・・・・・そこで2泊しているのも、なんだか楽しそう。
ううむ、彼らの四方山話を聞いてみたいものです♪

あと、少々捕捉ですが、彼等はそのまま自宅に帰ったのではなく、
確か一端、糺問所のそばの旅館へ入り、湯につかって垢やら、髪のシラミやら
残らず取り去ってさっぱりしてから自宅へ戻った・・・・・・という話を何処かで
読んだのですが、出典をド忘れしたので、思い出したら書き加えます(笑)。

ちなみに、この『海軍70年史談』はネットで閲覧できます☆→こちら
    

                   
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by aroe-happyq | 2014-07-11 17:59 | 箱館または釜さん | Comments(0)

まさかの7-1(笑)

W杯準決勝 ドイツVSブラジル。

準決勝ではなかなか見られない、7得点という偉業をみせたドイツは凄かった!

でもブラジルの「崩壊」はもっと・・・・・衝撃でした(汗)。

日本戦などでは、心が折れる場面をよくみますが、
まさかブラジルチームでお目にかかるとは思いませんでした。
(ある意味、ホッ。だって、日本だけじゃないんだーってわかったので(笑))

やはりネイマール、シウバ不在は大きかったのかな~~~っっ(涙)。
それにもともと守備のほうは不安定だったから、
そこをドイツにガッツリ突かれちゃったのは痛かった。

それにしても、7-1!

正直、ドイツは好調だし、
なんかブラジルが負けちゃいそうな気がしていたのですが、
2-1とか、そういう点差だと思っていたので、本当に驚いちゃいました。

優勝が当たり前というプレッシャーはさぞかし大変だったと思うので、
スコラリ監督以下、カナリアさんたち、かなり疲れていたのかもしれません。
大惨敗での敗退は無念の一言に尽きるとは思いますが、ここまでご苦労様でした!
(しかし、こうなると、ネイマールを負傷させた選手、マジで命を狙われそうで心配です)

そして、次はオランダVSアルゼンチンかあぁぁぁぁ。
決勝戦はドイツとどっちが戦うんでしょう~~~??
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by aroe-happyq | 2014-07-09 09:59 | ほんの世間話 | Comments(0)
勝海舟記事はいろいろ書きためているのですが、
やはり最初に更新するのなら、この「江戸っ子」問題かと(笑)。
というわけで、まずはこちらから書かせていただきます。

※現代では「江戸っ子」と書くことが多いですが、江戸末~明治の本を
読むと「江戸ッ児」とか「江戸ッ子」と表記しているので、
当ブログでは一番目にする「江戸ッ児」を採用したいと思います。

さて、何か問題なのかというと、です。

随分前に紹介した、戸川残花「戊辰の榎本釜次郎」についての記事で、

勝伯は七分の江戸ッ子に三分の外藩を加味し、榎本子は九分九厘まで江戸ッ子なり

と残花が書いている件のことです。

たしかに榎本武揚は、江戸ッ児の鑑のような人です。
それは間違いありません♡

ですが、勝海舟もですね、九分九厘まで江戸ッ児なのですよ☆
ということをだらだら証明できればと思います。

戸川がいう「三分の外藩」というのは、ぶっちゃけ薩長などの西国の人っぽい
ということを指すわけですが、
それは勝海舟の育った環境に、西国の人と気が合う、気持ちがわかる、と
言われても仕方がないという事情があります。

というのも、勝海舟は、
剣術の師匠の島田虎之助が、豊前中津の出身で、
蘭学の師匠の永井青崖が、筑前福岡の人だったわけで、
まったくの偶然(島田と永井が知り合いというわけではない)とはいいながら、
師匠と仰いだ二人が、どちらも九州人だったというのがとても大きいように思います。
(青崖が黒田家に仕えていたため、黒田家中屋敷へも出入りしていたし。嘉永頃の
黒田家当主は黒田斉溥で、島津家からの養子。つまり斉彬の伯父さんという果てしなき
九州蘭癖人脈が勝海舟の周囲には広がっていた・・・・(笑))

しかも、30歳すぎて、海軍伝習で長崎に長期滞在するなど、西国には何かと縁があったのです。
こういう過程を経れば、ふつうの江戸ッ児よりは、西国の友人もいるし、弟子もできる。
(妻以外の最愛のカノジョさんも、長崎の人だし(笑))

さらに、相手の事もよくわかるので、「三分の外藩」成分が勝のなかにあっても
おかしくはありません。

しかし、その多様性もまた、実は江戸ッ児の性分の一部といえるのではないでしょうか。

というのも、江戸人以外で勝海舟が親しいのはなにも外藩の人だけじゃなく、
外国人も大勢います。
伝習所時代にカッテンディーケ(2次伝習の蘭人側トップ)とは、この人が
帰国したあとも文通友だちでしたし、アーネスト・サトウやクラーク博士、
清国の李鴻章などなどいろんな国の人と交流しています。

で、この交際上手成分は、もちろん勝海舟だけのものではありません。
あの江戸ッ児の鑑の、榎本武揚も、そうだったりします。
(ロシア皇帝とまで親しいということで、むしろ榎本のほうが凄いんですけど(爆))
つまりは、誰とでも分け隔てなく、腹を割った話し合いができる、交際好きな江戸ッ児
の特性でもあるわけです。
ということは、勝海舟も榎本武揚と同じ、九分九厘まで江戸ッ児ではないかと思いませんか?(笑)。

このあたりを、勝部真長氏は『勝海舟』でこう語っております。

勝海舟の人間の特質は、単細胞的ではなくて、非常に複雑で矛盾した両面を
同時に備えており、多面的・多角的・複眼的なのである。
江戸育ちの江戸弁で、歯切れのよい語り口は、一見、軽薄な都会児のごとくであるが、
シンは強いのである。
強情で、意地っ張りだが、あるところで妥協し調和する。
頑張り屋で努力忍耐・堅忍不抜でいて、執着心はない。物にこだわらず、洒々落々と
しているが、節操は固く、守るべきところは守り抜く。
人情豊かで。侠気あり、血も涙もあり、他人の貧乏を見過ごしにできず、
気前よく金をバラまくが、口は悪い。いいにくいこともポンポンいって、
人が避けて通る忠告・忠言はあえていう。
"徳をもって怨に報いる"の雅量はあるが、しかし前に受けた不当な非難や辱めには
どこかで必ずお返しするをするというところもある。
田舎者と違って生粋の江戸っ子、都会人であるから「党派性」を嫌う。
他人と肩を組んだり、手をつないだり、団結するとうことは、野暮くさくてイヤなのである。
「一人一党(アンデパンダン)」ということを尊ぶ。・・・・・・(略)・・・・・・・

(勝部真長著『勝海舟』(下)PHP研究所 422P)

↑もうこれ以上の江戸ッ児を説いた文章はみたことがないぐらい完璧ですが、
これがまた勝海舟=江戸ッ児として書かれている点が素晴らしいのです。
(つまり丸ごと、勝さんの性格を示すものと言っても過言ではない!)

勝部真長氏は松浦玲氏と共に
勝海舟研究のツートップといえるのではないでしょうか。

最新で、詳細な事実確認が充実しているのは松浦氏の著書ですが、
東京牛込生まれの勝部氏の著書はちょっと古い本ではありますが、
ご本人が「東京っ子」でもあるので、勝海舟の魂を知るにはまさにうってつけです。

で、上記の引用文を、
前に紹介した戸川残花による「江戸ッ児」の定義(つまり榎本さんはこうなのだ!と
いう意味も含んでいる)と照らし合わせてみると。

○流暢の辮、 ○圓滑の交際、 ○洒落の氣風、○侠客風の性、○端的の方法、
○個人的にて黨(党)派心なき、 ○小利口にて器用なる


ほら、一緒じゃん!となります(笑)。

たとえば、「侠客風の性」。
榎本武揚が明治期に旧幕臣、とりわけ箱館戦争で苦労をともにした人々への
手厚いケアはつとに有名ですが(だからといって党派を作っていない点がポイント)、
勝海舟も、わかりにくい感じで、頑張っていたのであります。

旧旗本出身の洋画家・川村清雄へのサポートなどは、
赤坂の氷川邸の一角にアトリエをこしらえてやり、住まわせるだけでなく、
徳川家から歴代将軍の肖像画の仕事をとってきてやったり、
ある年の大晦日に清雄がツケを貯めすぎて困っていると「お前の絵を買ってやる」
と言ってお金を出してくれて
川村の野郎め、ズルイ奴だ、貧乏なおれの金を大晦日に百円持ッて往ッちまいやがった
と笑ったとか(出典:『唾玉集』平凡社東洋文庫592 P158)。
口は悪いですが、勝海舟の「ズルイ奴」とか「悪い奴」というのは好意的な相手に
しか発しません(笑)。

このほか、多くの人々が勝邸に借金を申し込みに来ましたが(三条実美まで!(笑))
旧旗本の瀧村鶴雄によれば「返済等を催促されたことがない」とのことです。
(これに感激したわけではないでしょうが、未完成ながら瀧村鶴雄の書いた『海舟伝稿』
はよくできた海舟伝記だと思います☆)。
貸すと称して、こっそりお金に困っている人(多くは旧幕臣)に援助していたのでした。
勝海舟の父こと勝小吉譲りの、なかなかの侠気でございましょう。
口が悪いし、群れたがらない海舟ですが、弱っている人や動物をみると
放っておけない、見過ごせない、余計なお世話をしたくなるという、
けっこう可愛い人なのです(笑)。

これもまた勝が九分九厘まで江戸ッ児である証ではないでしょうか。

もっとも、江戸ッ児といっても、下谷、浅草、番町・山ノ手(のて)、日本橋、本所・深川など
生まれ育った地域によって、言葉も雰囲気もごく微妙~~に違うので
すべてを一括りにしてしまうのはいささか乱暴なのですけど、
ま、この際ざっくりいかせていただきました(笑)。

ただ、勝海舟さんを調べてきて、たったひとつ気になる点がありまして。

江戸ッ児というと、かつて杉浦日向子氏が唱えておられた、
「江戸っ子はラテン系」説があります。
明日はどうにかなるさ的な楽天家で、よく笑い、よく泣く、
陽気で開放的ということで、それをラテン人のようだとおっしゃったわけです。
杉浦氏はおもに町人を指して言われたと思うのですが、大名旗本にも実は当てはまる人物が
たくさんいます(笑)。
もちろん、戸川がいわなくても、間違いなく、榎本さんは筆頭として、
「心に城壁を築かない」で有名な岩瀬忠震や、永井尚志、川路聖謨、
島津斉彬、阿部正弘、筒井政憲等々がそういう人々といえそうなのです(これはほんの一部)。

ただ、武家の場合、公式の場ではそういう面を出さないようにしているので、
なかなか把握し辛いのではありますが。
私的な場での壊れ方で判断させていただきました(笑)。
(慶喜さんも若干、この兆しがみえるのですが、なかなか判断が難しいデス)

しかし、陽あれば、陰あり。
江戸ッ児にだって、開放的でなく、陰性な人もいるわけです。

陰性といっても、性格が暗いとかそういうものではなく、
物事を慎重に考え、派手な事が嫌いで、
感情をそのまま表情に出さないむっつりタイプのことです。

で、その陰性タイプのなかに、勝海舟さんも入るように思います。

この人物がかなり変わっているのは皆さまもちょいちょいご存じかもしれませんが、
「酒を呑むのも、歌舞音曲の流れる宴席も大嫌い」なのに、
元芸者だったお民さんを妻に迎えている、ヘンな人が勝サンなのです(笑)。
(なので、お民さまは夫の留守を狙って、娘たちに三味線を教えていたとか)
酒は下戸というわけではなくて、大勢でワイワイと呑むのが好きじゃないらしい。
宴席というのが嫌いだったようで、公的な宴席はやむおえないとしても、
私的な宴席は、たとえ旧幕臣の親しい宴席でも出ません(爆)。
(永井介堂達が主催した岩瀬忠震没後30年の追懐会の時には、開始時間前に会場に来て、
漢詩を書いた紙と多少のお金を置いて帰っています(笑)。
仲の良い知り合いばかりの宴席でコレです。いや、この徹底ぶりが勝海舟なのデスが)
若い頃は貧乏蘭学者だったのであまり酒を口にしなかったようですが、
晩年にはひとりでぶらりとハシゴ酒をしていたようです(笑)。
(勝海舟の「酒場放浪記」が見てみたい、ワタシです)

そして『海舟語録』(講談社版勝海舟全集20)11Pにあるように、

人の立派な覚悟、決心、又は憐れむべき事、気の毒なる事、浅ましい事などの談話に到れば
必らず両眼の潤い来る、驟雨のにわかに兆するの状であったが、未だかつて
(勝海舟が)落涙せられたるを見たことはなかった。


海舟は目を潤ませても、涙を流すところをあまり人に見せない人のようです。

これもよく泣く(しかもおいおいと泣きます)江戸ッ児からすると、変わっている点です(笑)。
(いちいち引き合いに出して申し訳ないが、榎本サンはよく泣きまする)

それから戸川のいう「圓滑の交際」の一部にもやや難あり。
江戸ッ児は相手によって言語を使い分けますが
(極端な例でいうと突然、町で将軍とバッタリあえば、ちゃんと敬語スイッチが入る)
超平等主義の勝海舟は、将軍でも誰にでも、タメ口に近い、平易な江戸弁で話します(笑)。

どこかに書いてありましたが(出典を忘れました)、明治になって勝サンは用事のたびに
徳川家に行くわけですが、門のあたりで徳川のお嬢サマと出会ったりしても、
勝は「どうだい近頃の様子は」みたいなタメ口調なので、
勝海舟をよくしらないそのお嬢サマは「なんだこのジジイ」って思ったそうな(爆)。

確かにこういうところ、勝サンは変わっております。
でもこれらの変わった点が、
戸川のいう、「三分の外藩」要素かと言われるとなんだか違います。

まだまだ書こうと思えば書けそうですが、いいかげん更新したいので(汗)、
このあたりでそろそろ結論を書かせていただきたいと思います。

勝海舟も九分九厘まで江戸ッ児なのは間違いありません。
しかし、ちいっと変わっている個性的な、江戸ッ児である点もまた否めない。

どのみち、興味の尽きない「なんだこのジジイ」(笑)こそが勝海舟なのであります。

以上、長々と失礼いたしました(笑)。
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by aroe-happyq | 2014-07-08 19:08 | 長崎伝習所系 | Comments(0)
毎回、W杯は激闘が続きますが、今回も凄いですネ!

南米チーム2、欧州チーム2という絶妙な感じで、ベスト4が出そろいました。

どちらかというと朝の試合(5時スタート)はちゃんとみているほうで、
夜中の1時スタートのほうは眠くてですね、あまりちゃんと見られておりません(汗)。

今朝はオランダ戦に魅せられました☆
コスタリカのGKが凄くて、釘付けになりましたが、
PKのためにGKを変更するなんて・・・・オランダの監督さんの名采配にも天晴れです♪
でも、ホントはPKってどちらのチームにとっても残酷なものなので、
延長戦で決めていたらよかったのですがっっ。

さて、オランダと共に応援しているブラジルですが、
まさかのネイマールの負傷に愕然としております・・・・・。
うーむ、骨折なんてぇぇぇ。うそぉぉぉぉぉ~~っ
こうなったら、ネイマールの代わりにブラジルチームが頑張ってもらうしかない。
ドイツ戦が待ち遠しいですが、
スコラリ監督がどういうメンバーでくるのか、それも楽しみです。
ブラジルチームが好きなのは、いつもこのスコラリ監督の時です。
2002年の横浜で決勝の日、スタジアムの控え室のホワイトボードに
わけのわからない数式を書きまくり、「こういう法則で、君たちは絶対に優勝する!」
と選手に魔法のほうに自信を受けつけたというのを後日TVで見て以来、
優勝する監督はやはり違うなぁぁぁと関心して以来、スコラリさんのファン(笑)。
なので、今回もてっぺん目指してほしい・・・・・んだけど、オランダも好き・・・。
(いや、ホントはドイツもアルゼンチンもかなり贔屓のチームなんでございます)

だから、この4チームのどこが優勝しても、ワタシは満足なんだけどね(爆)。

嗚呼、残り少なくなってきて、W杯もまさに佳境です♡

ところで、日本代表監督は本当にアギーレさんなんでしょうか???
わたしはコロンビア代表監督のペケルマンさんが日本には合うような気がします。
せっかく手をあげてくれているんだから、現役で、ベスト8までチームを押し上げた
日本通(←これ大事だと思う。あと紳士的な性格も)のペケルマンさんにしてほしいなー。
だって、アギーレさんて、見るからに性格きつそうで、選手をどつきそうなんですもの。
そういう監督はうちの選手には合わないっつーの。
(というより、コロンビアが敗退したときのペケルマン監督の涙にやられたってのもある(笑))
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by aroe-happyq | 2014-07-06 14:39 | ほんの世間話 | Comments(0)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq