ブログトップ

東都アロエ

d0080566_9491226.jpg


福留真紀 著
 
将軍と側近


新潮新書



アマゾン→こちら



セブンネット→こちら



福留真紀氏は江戸の側近政治(側用人や御用取次)の研究をされて
いらっしゃるので、論文はもちろん、旧著の『将軍側近 柳沢吉保』なども拝見してまいりました。
なので、今回も書店でこの新刊をみつけると、中身もみないで、レジへ直行した次第です(笑)。

※ちなみにワタクシ、江戸末期にハマるよりはるか昔から、
将軍家宣公にぞっこんでして、ベストオブ徳川将軍はもちろん、今でも家宣さまでございます。

柳沢の本の次は、ぜひとも間部詮房をと・・・・・と思っていたわけですが、
これは吉宗の儒者・室鳩巣の本。
とはいえ、読んでいくと、室さんの生涯をたどる内容ではなく、
その書簡から家宣・家継・吉宗政権をみつめるという、私的にどストライクな本でした。

というのも、室鳩巣は新井白石と同僚(といって、家宣信頼度ランキングでは下)だったので、
家宣や家継に直接会う機会は少ないものの、新井からその様子をとれたて新鮮な状態で聞く
ことができて、それを親しい人への書簡に書いて今に伝えてくれているのです。
吉宗政権のせいで、その前政権の事があんまり残っていないし、
新井白石の本は晩年の、かつて華やかなりし時代のドリームは入っていて、
そのまま受け取れないシロモノなので、家宣や家継についての情報が少ないのです!
なので、今回の本は、まさに、ありがたや、ありがたや・・・・・。

しかし、今回室鳩巣の書簡情報から浮かび上がる家宣公は、
新井白石のドリームをはるかに越えた、おそるべき仁徳の将軍でありました。

前政権綱吉さん(家宣のおじにあたります)がバブルの勢い&晩年の江戸地震や天災
でお金を使いすぎて、家宣が将軍職を襲ったときには国庫はからっぽに近い状態でした。
なんと、家宣の将軍宣下の儀式をまともに行えないほどの貧乏ぶりだったのです。
そこで、勘定奉行たちは、家宣に貨幣の改鋳を進言した。
すると、家宣は・・・・・

そなたたちは、金銀吹き替えを御先代が命じられたので、地震などの時、
無事に済んだと申した。しかし、それが無ければ、地震などの天災は起らなかった
のではないかと思う。そのようなことはせず、将軍宣下なども、どのようにでも済ませ、
金銀はそのままにすべきだ。
その上で、思いがけずまた、地震、火災などの大きな変事が起こった時は、
天下のためにこの身が潰れても構わないと覚悟している。
(同書 P37~38)

これを聞いたある人(たぶん進言した人ね)は
御自身の身に代えても天下の難儀をお救いくださるとのこと、
何もいうことがきでない
」と泣いたそうな。
白石も聞き、そして白石から聞いた室鳩巣もみな感涙にむせんだというが、
この本を読んだ、わたくしめも、マジで泣いてしまいました(笑)。

家宣が言っていることがわからないという方も多いと思うので解説すると、
これは儒教の教えで、ざっくりいいますと、施政者に徳がないと(天からのバツとして)天変地異は
起こるというもの。家宣は綱吉が生類憐れみの令の乱発や改鋳を行ったことが
天を欺く悪いことで、そのために元禄地震、富士山の噴火等々がおこされたのだと
考えていたようです。

だから自分は貨幣の改鋳はやらないと。そのための責任は一身にうけるという
すばらしいお覚悟。
・・・・・・ここまで、儒学にどっぷりだなんて、さすが学者将軍!お見事です。

こういうタイプは理想論で頭ガチガチ、浮き世離れした人と思われがちですが、
(現にこの本でも、家宣のことを理想論者としている・笑)
旗本が困窮して困っていると知って、大量に登用したときなど、
まだ子供なのに年齢を偽って役職に就こうとするズルい人がけっこういたようなのですが、
そういうのは目をつぶってあげます、採用してあげましょう、と寛大だった家宣。
建前は建前として、良いことの場合はちょこっとぐらい大目にみるという幅の広い人なのです。
(といっても、儒教ってそもそもあの中国の教えですから、もともと現金なトコロがある(笑)。
江戸の人はそのあたり、儒学の教えの奥の奥を、うまく汲み取って有効に活用していたと思います)

こういう家宣に対して、室鳩巣もいたく感激して、
珍しいほど心が広く情け深い主君」とか「権現様の再来」などと
褒めたたえています。
(権現家康って、こんなに情け深かったっけ?などと突っ込んではいけませんな・笑)

家宣公は亡くなる際も最後まできちんとして立派なのですが、
今回、幼い家継将軍の後見となっていた尾張吉通(25歳)の高潔で素晴らしい様子を知った
ことも、たいへん収穫でした。
(綱吉は御三家の序列を無視して、紀州に自分の娘が嫁いだからといって、紀州綱教
を後継者にしようとしましたが、家宣は御三家の序列はしっかり守る人でしたので、
家継になにかあれば、その後継には、尾張以外は考えられない、としていたそうです)
この吉通も家宣の遺志に応えようと、家継将軍の後見役としてしっかりと支えていたそう。
ところが、それほどたたないうちに急死してしまったのですよね・・・・・。
もしご存命でしたら、おそらく8代将軍になっていたはずなのですが、
きっと良き将軍になったでしょうから、こちらも本当にもったない!!!

このほか、家継がまだ4つや5つの子供なのに、かわいらしさのなかに聡明さが垣間見られる話や、
(この子が大人になっていたら・・・。顔良し、頭良しのすんごい将軍になったかも)
老中や増上寺の坊主どもにナメられそうになったときの間部詮房の完膚なきまでの
理論攻撃が素晴らしすぎる点等々、どれもこれも、記事にしたいぐらいですが、
営業妨害になりますので、このあたりで落ちつこうと思います。

最後に、8代将軍に紀州の吉宗を推すことになった、家宣の御台所こと天英院が、
越前守(間部詮房)のことは、文昭院様(家宣)の御取り立て者なので、
以後お見捨てになりませんように

と吉宗にちゃんと伝えていたのだという。

よくある巷説の大奥ドラマや漫画や小説だと、天英院と間部がさも対立しているように
描かれていますが、私は昔からそういうのは「たわけ!情報収集不足じゃ」と思ってきました(笑)。
家宣を甲府宰相時代から支えていた両輪こそ、天英院煕子と間部詮房なのですよ!
2人は奥と表から、それぞれ役割分担して、家宣を助けていた同志であり、
7代将軍生母の月光院などと間部がくっつくわけがないのです。
(間部詮房はそもそも、そんなセコイ次元で生きていません。自分の栄達より、
ひたすら家宣への忠誠で頭からつまさきまで構成されているのが詮房なのです)
月光院dって、自分の立場はよく心得ていて、天英院の下で、間部の指示もよくきいていましたし。
この2人を越えようとかそういうくだらない野心もありません。

なので、今回、吉宗にこのように天英院が伝えていた、という書簡があると知って、
本当に、ワタクシ、「ほらごらんなさい!」とどや顔になってしまいました(笑)。

この本が多くの人に読まれ、早くですね、「大奥」ものとか「江島生島」などで描かれるような
腐りきった家宣家継政権のイメージが一掃されることを願ってやみません。
(家宣が好色エロジジイに描かれている作品などもってのほかです!!)

今年最後に、本当にいい本に出会えました。
この本のなかの家宣や詮房の言葉を読み返すだけで、ごはん5杯いけちゃいますよ!
本年にマイフェイバリットBOOKの第1位と、勝手にさせていただきます。
(2位は氏家幹人氏の新書♪)
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-25 14:39 | | Comments(0)

※この前の記事は1日前にありますので、そちらからご覧ください☆


小田又蔵が、古賀謹一郎から勝麟太郎を引き離した・・・・・!?

って、私も最初に読んだとき、なんじゃそりゃ!?って、大爆笑したのですけど。
(こういう人間関係のもつれに、いまいち不似合いな、さらり系江戸ッ児・勝海舟(笑)。
とはいえこういう勝さん、どこかの大河とかで見てみたくもある)
とりあえず、続きをごらんください。

小田又蔵という人は、元勘定方につとめていた人であり、川路聖謨の元部下。
ところが、天保の改革中に御役御免になって以来、長いこと無役でした。
この無役のあいだに、蘭学を学んでいたようです。
勘定奉行所に勤めていた時代の元上司川路聖謨はこの間も
小田のことを暖かく見守っていたみたいで、チャンスがあれば、
なんとか官界へのカンバックを後押ししてやろうと思っていたので、
洋学所準備掛りにも推薦したわけです。
小田には、もともと川路という大きなツテがあったわけです。

ではなぜ、小田は古賀から、勝を引き離さねばならなかったか?

彼らのあいだには、洋学所の方針をめぐり意見対立があったといわれております。

そもそも洋学所は「蘭書翻訳御用」ということで、外国の文書を翻訳する機関なのですが、
勝麟太郎と古賀謹一郎はどうせつくるなら、ただ翻訳するだけでなく、
多様なジャンルの洋学を学べるような機関にしよう、という方針だったのに対して、
小田又蔵は、洋学所で学ぶのは現実的に必要な、語学と西洋兵学限定でいいと。
ほかはいらないという方針だったのです。
というのも、小田は勘定方の川路の意向に沿うように動いていました。
この小田が「洋学所で学ぶのは語学と西洋兵学だけでいい」と主張するのも、
慎重開国論で(西洋の余計な知識を学んで耶蘇教にハマッたらどーするんだというご時世でした)、
予算の都合を考えている勘定方の意向を踏襲しているところもあったのです。

これ以外でも、なにかと意見は2(勝・古賀)対1(小田)に別れがちだったよし。
つまり、小田又蔵は、孤立しがちだったようです。

ちなみに、彼ら3人の関係はというと・・・・・。

勝麟太郎はかねてより謹一郎の父・古賀侗庵の開国論にたいへん共鳴
しており、その息子(こちらも開国論)の謹一郎ともウマがあったようです。
謹一郎という人は繊細で神経質な人なので、他者との交流に慎重なところが
あったようですが、勝麟太郎の意見書の内容が自分のそれと合っていたこともあり、
変人の古賀謹一郎としては珍しく勝麟太郎に親しみを感じていたようです。
(勝麟太郎もいささか変人・・・・だし・笑)

勝麟太郎と小田又蔵ですが、その仲は不明です。
ただこの2人、8月4日に浜御殿で開催された将軍上覧のイベントで、
協力しあって例のモールス信号機を動かし、将軍家定に披露しているんです。
でもですね、この信号機の実験は小田又蔵が一人でやってた時期が長く、
本当は小田一人で披露したかったかもしれず、勝麟太郎が邪魔だったかも(爆)。
なにせこの年のうちにこのモールス信号機の動かし方について書いた本、
『和蘭(オランダ)貢献電信機実験顛末(てんまつ)書』というのを著していていますので。
これも「おれの研究だ!」という小田の強いアピールとも解釈できます(笑)。
(ということは、彼らの関係はあまり良好とはいえないな、と)

さて最後に、古賀謹一郎と小田又蔵の間なのですが。
これがもう、ホントに最悪なのです。
古賀のほうが小田をたいそうお嫌いのようでして(汗)。

↑いや、これこそが、まさに今回の勝さん一件の火元なのではないかと思うのです!

再び、小野寺龍太著『古賀謹一郎』(P180)ですが、
謹一郎は小田のことを「骨力とは言い難し。是は呂恵卿、蔡京の流なり」とかなりボロクソです
(呂恵卿、蔡京は宋代の政治家で陰謀の多い人たち。古賀からすると腹黒系という意味)。
さらにこの小田を推している水野&川路両勘定奉行に対しても、どこに眼がついているのだ、と
厳しい言葉が(ちなみに古賀さん、川路のことも俗吏として、すごくお嫌いです・笑)。
そもそも潔癖な古賀はちょろちょろ策を巡らせる小人タイプが大嫌いなのですね。

・・・・・以上のあれこれを鑑みて、大胆な推理を働かせますと!!

ズバリ!!
勝麟太郎の長崎海軍伝習への派遣はですね、
小田又蔵がいろいろ根回しして(おもに勘定系、それも元上司の川路が濃厚!)、
古賀謹一郎の洋学所での勢力を削ぐために、勝麟太郎を長崎へ遣ることにして、
洋学所から追いだしたのではないか・・・?
逆にいうと、勝麟太郎はまったくのとばっちりながら(笑)、小田又蔵によって、
長崎へ追い払われた、というのが真相なのではありませんでしょうか。

3人の艦長候補生ですが、目付系の岩瀬が推しただろう、
矢田堀&永持が目付推薦で2枠使ったとしたら、あとの1枠を勘定系が推した人が入ったとしても
なにも不自然ではありません。
(拙ブログで何度か触れましたが、目付と勘定方というのは、ず~っと前から何かと
対立する不倶戴天の敵同士。3枠あったら、3枠全部に目付の意中の推薦人が採用されるなんて
ことはまずありえません(笑)。かならず、互いに誰かしら別候補を出してきます☆)
しかしそれがなぜ勝麟太郎かっていうのが不思議なところですが、
(川路たち、勝のことあんまり知らないだろうし)
勘定方が小田の推薦をそのまま取り入れたとしたら、成立しそうではありませんか?

小田又蔵が洋学所から勝麟太郎を追い出したいと考えていたところ、
ちょうど長崎伝習所派遣話がふってわいてきた。
小田はこれを利用することにして、川路などの勘定方に勝麟太郎を推薦してみる。
勘定方の川路は小田の悪意など感じず、素直に良き人材として勝さんを推してしまう。
目付の岩瀬たちも、勝なら大賛成なので、誰も異議なし!→決定、というわけです。
(勝麟太郎は、自分の船酔い体質も、数学が苦手で艦長修行ではヤバイこともわかって
いたので、大久保や岩瀬になにかしらアクションを起こしたハズですが、どうやら
そうした苦情は、「長崎行けるんだからガンバレよ」という周囲と同じ反応で終わった?)

そして勝麟太郎を洋学所から追いだして、小田は何がしたかったかというと、
洋学所頭取の座を狙うことです。
邪魔な勝さんがいなくなれば、古賀と1対1の戦いになる。
勘定奉行との太いパイプもあるし、充分勝機はあるとみた。
ところが、順当な人事で古賀謹一郎に決定。

頭取になった古賀は、勝の長崎行きの件を(小田の仕業だと)疑っていたので、
学問所教授方だった元同僚の岩瀬修理などの目付衆に相談。
「そういう腹黒い奴を洋学所に置くわけにはゆかぬ」と目付衆が運動して、
かくして、小田又蔵は大坂へ・・・・・。
(なにやら、この期間の、目付と勘定方の激しい対決の火花がみえるような・・・・)

もしそういう流れならば、この8月の時期に小田があちこち運動をしていた内容は、
すでに洋学所から消えた(つか消した・笑)勝のことではなくて(爆)、
洋学所頭取の座を狙っていたためではないか、とわたしなぞは考えちゃうのですが。
(だって、小田さんにだって、正月からずっと洋学所を準備してきたのは自分だという、自負もありますしね)

もしもそうした流れで「同年12月 小田又蔵、大坂の具足奉行に転属」を考えると、
この人事、かなりヘビーであります(笑)。

なにせ、小田又蔵の転属は、蘭学者なら誰しもがあこがれる勝さんの長崎行きと違って、
蘭学とまったく関係のない大坂(緒方洪庵先生はおられるが)、部署も具足って・・・・・。
完全な島流しじゃありませんか。
なにかの罰ゲームみたいな転属なのであります。

この古賀VS小田の対決話。勝さん抜きでまだ続きがあるのです。
文久2年5月5月1日に、外国奉行組頭になっていた小田又蔵が、
蕃書調所組頭として、戻ってきた。
すると、15日後に古賀謹一郎が蕃書調所を退いているのです。
どーですか、この小田の洋学所(蕃書調所)への執念!
これをみるとですね、やはり小田又蔵には、
勝麟太郎などぽーんと長崎へ投げ飛ばすほどの、はげしい野望があったとしか思えないっ。

ここまでだらだらと「考察」してきましたが、つまりなにを言いたいかというと、
幕末当時から、西洋算術が不得意で、船酔い体質の勝麟太郎に対して、
「海軍不適格者」というかなり厳しい意見があったわけですが(今でもある・笑)、
もしも、今回の記事の想像のように、洋学所内の人事事情で(しかも自分のせいとかでなく)、
やむおえず、「不本意」な状態で長崎へ行かされていたとしたら!?
海軍に入れさせられたとしたら?!!
「海軍不適格者」で何が悪い!選んだほうの責任だ、勝のせいじゃない!
ともいってあげたくなったのですよ。

進んで自分で長崎海軍伝習へ行きたいといったのなら、それはもう馬鹿モン!って感じですが、
行かされちゃったものをどうしろというのか、とね。

ひどい船酔い体質(なにせ長崎行きの船旅ですでに露呈していた・笑)と、
西洋算術(数学)が超苦手の勝麟太郎は海軍伝習所で苦しみ続けます。
(しかも、完全無欠のエリート矢田堀景蔵という、すんごいライバルのそばで)
しかしここで敗退したら、勝さんの官吏人生は終わりです。
いきさつはどうあれ、長崎に行ってしまったからには、結果を出さなくてはならない。
3人の艦長「候補」とはいいますが、補欠は用意されていません。
石にかじりついてでも、艦長にならなければならなかったのです。

現代だと「やめちゃえば?」「氷解塾あるじゃん」って簡単にいえるのですが、
この当時の直参のメンタリティでは、無役から役付きになったら、
もう後戻りという選択はなく、走り続けられる限り走って行くというのが、当たり前です。
(それに長崎海軍伝習でしくじった、なんて評判がたったら、塾経営だって危ういっす)

当時の勝麟太郎はまだまだ官吏として、新人選手です。
徒目付として実績のある永持亨次郎みたいに、「艦長って仕事は自分に合わないっす」と
さっさと転属するなど、そんな夢みたいなことはできない立場でした。
(抜けた永持の代わりに、伊沢謹吾が急遽長崎へ派遣されましたのですが。このおかげで
謹吾にくっついて長崎へやってきた榎本釜次郎青年の未来が開けましたネ)
だから、勝麟太郎は第一期伝習ではほぼ落第の成績ながら、二期に居残って、
(一期総監の永井玄蕃頭やペルス・ライケン、カッテンディーケのように彼に優しい人々に
恵まれたのはまさに幸運でした)
その後、スレスレでも艦長合格となっただけでも、
すごい事じゃないかと、褒めてあげたいわけです。

あわせて、海軍というゴールありきで勝さんを考えがちだった自分を反省しました(笑)。

そもそもが台場とか陸側からの防衛をメインにした研究者で陸軍寄りの彼がですよ、
まさかの海軍でよくぞがんばった!おめでとう!!と、
誰か言ってやってもよさそうでしょ(笑)。
(この点では、西洋兵学者でさえなかった矢田堀景蔵も、もっと褒めてあげたいです!!)

二期海軍伝習やアメリカへ行く咸臨丸のなかで「不機嫌で、いつも不満の」勝に
当たり散らされて気の毒な木村摂津守(一期艦長候補にあがった勘助サン。二期海軍伝習総監)が、
勝に対して、友人の福沢諭吉も驚くばかりの寛容さをみせ続けたのも、
兄貴分の岩瀬修理からいろいろ深~い人事事情を聞いていたからカナ?
なんて想像したりして(笑)。


しかし、小田又蔵についても、ただの悪者とは思えません。
小田はたしかに、古賀のいうような小人かもしれませんが、
安政2年にはすでに51歳なんですよね(勝麟太郎は33歳、古賀は40歳デス)。
天保の改革の時代に御役御免になって(蘭学と関わりがあったことが原因か?)、
以来長らく冷や飯を食いながら、コツコツ蘭学を学んできたこの人からすれば、
やっと巡ってきた「復活」のチャンス。まわりのライバルを蹴落としてでも、
より確実なものにしようと・・・・・ちょっと「一所懸命」で必死になっただけ、とも思えなくない。
年齢をみると、そういう焦りがあったとしても、なんか憎めないんです。

結果的には、勝麟太郎は不本意でもなんでも、長崎に行かされたおかげで、
多くの外国人と出会って、おおいに刺激を受けて、江戸で書物に頼って学ぶ蘭学者では
到達できないところまで成長したわけですし、のちにはアメリカまで行くことができました。
勝さんの人生は長崎行きなしには語れない、とも言えます。

ひょっとすると、安政4年に岩瀬伊賀守(まえは修理)が長崎へ出張したので、
小田又蔵の陰謀の顛末について知ったかもしれませんが、
勝麟太郎も長崎での自由な生活になれ、
初の浮気相手のおくまさんとも出逢ったし(おいおい・笑)
それなりに幸せだったので、「小田、ふざけんな!」と怒ることもなかったことでしょう。
(ただ、日記類で小田の名をみないので、記憶から抹殺はしていたかも(笑))

なので、今さら騒ぐことじゃないかもしれませんが(笑)、
晩年の人を食ったような勝じいさんの談話だけを読んでいると、不適で癖のあるオヤジですけど、
そんな勝さんにも、若い頃は人生山あり谷ありで、人事に翻弄されながら、
与えられた役職を必死につとめて歩んだ、けなげでカワイイ時代もあったのだ、
と、そんなことをつらつらと寒い冬の夜長に感じていただけましたら、
このバカ長い記事も、必死になって書いてよかったなと思う次第です。
(大学とかの研究なら、ただの「妄想」でバッサリの、確証のない不馴れな仮定話がメインなもので、
なんやかんやと1週間以上かかっちまいました・笑)

今後、なにか「確証」の史料と出会えたら、改めて報告いたします!
ただ、幕末史って史料がたくさんあるので、
こうして細かい事をああだ、こうだと調べる楽しさが、たまらなく魅力的。
これだから興味が尽きませんネ(笑)☆


《参考文献》※記事のなかで紹介したものは省いています
原平三「蕃書調所の創設」(『歴史学研究』103号 1942年)
二見剛史「蕃書調所の成立事情」(『日本大学精神文化研究所・教育制度研究所紀要』10号1979年)
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-24 10:45 | 長崎伝習所系 | Comments(0)

本日の記事は、久々に、
どーでもいいことを激しく突っ込んで調査する、拙ブログらしい内容です(笑)。
長いので、御暇なときにご覧ください♪


幕末の勝海舟こと勝麟太郎は、「海軍の人」と言われることが多いです。
これがあまりに有名なので、
この人の人生の流れを、先に海軍というゴールありきでついつい考えがちです。

自分もそう考えてきて、勝さんが海軍の人になるスタートとなった、
安政2年の長崎海軍伝習所行きについて、それほど疑問を持ってこなかったほうでした(笑)。

ところが、数年前に『勝海舟全集』の2の書簡集を読んでいて、ちょっとひっかかりができました。
長崎へ出発する直前、義弟の佐久間象山に
是迄航海之書は読み申さず、今更当惑之仕合に御座候
という愚痴の手紙を送っていたのを読みまして。

勝麟太郎は西洋兵学を学んでいましたが、陸上からの防衛研究がメインでした。
ペリー来航時に提出した建白書でも海軍の創設が海防に大切であることをのべていますが、
それは台場を築くなどの陸側からの海防策のひとつとして挙げただけのことで、
自分が海軍創設にかかわりたいなど、一言も発言したり、意見書に書いたことはありませんでした(笑)。

ただ、航海之書を読んでいないから海軍伝習なんかムリです!・・・・といったところで、
一緒に行く矢田堀景蔵もそのほかの人達も「みんな同じだから!」と宥められて終わってしまう。
しかも勝麟太郎にとって長崎へ行くことで、小普請から小十人組へ「昇格」するのだから、
俸禄も増えたりと、けして悪い話ではなかったのです。

それでも、勝麟太郎にとって長崎行きは不本意だったのか・・・・・・。
というあたりはぼんやりと記憶にとどめて、そのときは終わっていたわけです(笑)。

その後、たまたま洋学所(のちに蕃書調所とか洋書調所などに改名)設立時の流れを
突っ込んで調べることがありまして、なにやら勝さんの長崎行きに洋学所の人事が
かかわっているような、そんな様子がみえてきたので、
再び気になり出して、いろいろ調べてみました次第。
すると、今まで語られたことのない麟太郎と洋学所の人間関係がみえてきて、
長崎へ行くきっかけと思えることが出て来ました。

ただ、これだ!という確実な証拠が残念なことにみつけられなかったので、
以下はあくまでも「一考察」としてお楽しみくださいませ。
(みなさまの思考のヒントのひとつになれば幸いです)

まずは洋学所創設の流れについておさらいします。
洋学所の設立を建白したのは、昌平坂学問所教授方の古賀謹一郎。安政元年のことでした。
それが動き出したのは、年があけて翌年の安政2年の正月。
徳川公儀としては、相次ぐ外国使節の来航で、オランダ語以外の通訳、翻訳機関が
必要とのことで、従来、翻訳を担ってきた天文台蛮書和解御用掛を拡充し、
古賀の提案してきた「洋学所」の設立を決定します。

安政2年正月18日に異国応接掛手付・蘭書翻訳御用として、
市井の蘭学者二人、小田又蔵(小普請・無役)と勝麟太郎(小普請・無役)が、
さらにその準スタッフとして箕作阮甫(天文方出役)、森山栄之助(和蘭通詞)が選ばれました。

ちなみに彼らの上には異国応接掛の筒井肥前守(大目付)、川路左衛門尉(勘定奉行)、
水野筑後守(勘定奉行)、岩瀬修理(目付)、古賀謹一郎(儒者)がいます。

異国応接掛手付・蘭書翻訳御用となった蘭学者の二人ですが、
小田又蔵は元勘定所の上司だった川路が、
勝麟太郎は目付大久保忠寛(のちの一翁)の推挙をいれて岩瀬が、
それぞれ推薦してこの仕事に就いたそうです。
(つまり、勘定方系推薦の小田、目付系推薦の勝、となるわけです)

この勝麟太郎の、異国応接掛手付・蘭書翻訳御用というポストですが、
これは翻訳の専門職です。
実はこの仕事につくにあたって、目付大久保忠寛は老中首座の阿部伊勢守正弘の意向を
うけて、勝にはこの専門職とあわせて徒目付海防掛にならないか、と持ちかけたよし。
(大久保や岩瀬、阿部などは「政治家勝麟太郎」の才能を見出していたのではないかと)
ところが、当時の勝麟太郎は私塾「氷解塾」の経営も順調で出世欲がなく、
「俗吏にはなりたくない」と官界にさほど興味をしめさなかった。
(アノ権勢家阿部の意向を蹴った、という市井の学者でないとできない離れ業デス)
そういうわけで、翻訳の専門職だけでの出仕となりました。

さて。
この小田又蔵、勝麟太郎に古賀謹一郎を加えた三人が中心となって
洋学所の設立が準備されていくのですが、この時点では洋学所という名前さえ
きまっていない、ほんとうにゼロからのスタートでした。

ところが・・・・です。
この安政2年正月ごろは、ロシアからやってきていたプチャーチンへの応接、
日米和親条約の批准にやってきたアメリカ使節のアダムスへの応接などなど、
異国応接掛の古賀謹一郎は筒井肥前守、川路左衛門尉、水野筑後守、岩瀬修理らと共に
フル回転の大忙しで、下田と江戸を行ったり来たりの日々。
勝麟太郎も目付の大久保忠寛とともに、数ヶ月にわたり、上方方面に海防視察へ出掛けてしまう。
勝は連名で洋学所に関する意見書を提出してはいるものの、この年の前半は
小田又蔵がほぼ一人で、せっせと洋学所発足の準備に励んだ形となっていました。

小田&勝にはもうひとつ課題がかせられていて、ペリーが置いていったモールス信号機を
動かせるよう研究もしなくてはならなかったのですが、
これもはじめは小田だけがコツコツやっていました。

勝麟太郎が小田と合流するのは、視察から戻った4月以降で、
言い出しっぺの古賀謹一郎も下田御用があって行ったきりになり、
江戸へ腰を落ち着けたのは6月のことでした。

しかし、こののち、古賀・小田・勝の3人にいろいろ起きていくのです!!!

まず安政2年7月29日 勝麟太郎に長崎海軍伝習所行きの命が下りました。

洋学所の方針がいまだはっきりと決まらないうちに、
安政2年7月、長崎海軍伝習の人選会議がはじまります。
人選選びのメンバーは具体的にはよくわかりませんが、勘定方と目付が中心なのは
意見書、上申書の出し具合からみても、明らかであります。
この後、普請奉行伊沢美作守政義と目付の岩瀬修理等が江戸での伝習所人事の窓口に
なりましたが、この段階からそうだったのかはさだかではありません。

その人選会議で、洋学所創設の準備中で忙しくしていた勝麟太郎の名前が、
矢田堀景蔵、永持亨次郎、木村勘助、平山謙二郎らと共に艦長候補生としてあがりました。
オランダ語が読めて(といっても初歩レベルだったという説もある)、西洋軍学に通じた人材なので、
ここで名前が浮上してもおかしくはありませんが、洋学所創設の掛りなのにいいのか?
という疑問がなきにしもあらず(笑)。

当時、徳川公儀は3隻の洋式軍艦(2隻は購入予定、1隻は贈呈を受取済)の艦長が
必要だったためこのなかから3人を選び、
矢田堀景蔵、永持亨次郎とともに勝麟太郎の名が残ったのでした。

正直申しまして、江戸の柳営有司がオランダ海軍伝習の内容について
どこまで正確に把握していたか、少々心配なところがあります(汗)。
(今なら、海軍士官&艦長候補は若い頃から叩き込むのが常識ですが、このときは
30歳前後のおっさんばかり選んだり。木村勘助などは「若すぎる」ので候補からハズされたっぽい)
二期生募集で是正されるまで、そんなトンチンカンやっていました・笑)

なので、この3名の選抜理由、また選抜基準などもいまいち微妙だったりします。

しかし人事は発令!
突然ながら、勝麟太郎に長崎海軍伝習所への出張が決定となりました。
洋学所に勤めるものだと思っていた勝麟太郎からすればまさに
「じぇじぇじぇ~!?」(懐かしい)の展開になりました(笑)。
(なので、かなりブツブツ愚痴っていたみたいで。佐久間への手紙以外でも、
箱館商人の渋田利右衛門などにも数学できないのになぜ自分なのだと愚痴って
「ぜひ西洋数学を学んできてください。楽しみにしています」などと励まされています(笑))。
周囲の御祝いムードにいまいち乗れていない、勝麟太郎でした。

・・・・・ところが。
冒頭にも書きましたとおり、今まで読んできた勝海舟の伝記、評伝本などでは
とくにこの「長崎行き」は問題になっておりません。
海軍の男・勝海舟の人生のプロセスとして、「当然」の流れという扱いです。

勝海舟の評伝としては、勝部真長氏と松浦玲氏の本が代表的だと思うのですが、
松浦玲氏の『勝海舟』でも佐久間宛ての手紙に不満を述べていることは挙げていても、
そのまま、幕府に期待されて、いざ長崎へ!という展開。
また勝部真長氏の『勝海舟』のほうでは、
大久保忠寛の引き立てで・・・(略)・・・長崎に赴任することになった」(430P)
と盟友の大久保の後押しで、いってきまーす!と元気に旅立っていることになっています。

でも・・・・大久保さんとは一緒に伊勢や・志摩への視察旅へ行ったばかりで、
勝が陸からの防衛の専門家であることもわかっているのに、
いきなり軍艦の艦長になれ、なんて無茶な事はいわないはず。
ただ、徒目付を振られていることもあり、ちょっとでも勝に官界で活躍してほしいと考える
大久保は、このふってわいた長崎人事、むしろ賛成だったかもしれません(笑)。
(西洋軍艦の船将(艦長)ともなれば、専門職というより、番方(軍人)なので、将来性がある♪)

それからさきほどから登場の岩瀬修理ですが、この時期、大久保とは名コンビでした。
意思疎通はバッチリです。勝麟太郎の意志は大久保から聞いているはずなので、
あえて洋学所掛りの勝を推すことはないのではないかと。
岩瀬はどちらかというと、矢田堀や木村など、学問所以来のかわいい後輩たちを
なんとか盛り立ててやろうと、そっちで忙しかったような?(笑)
なので、3人の艦長候補生のうち、自分の学問所の後輩の
矢田堀景蔵、永持亨次郎が入って、それでもう満足だったような気がします。
ただ、さらにもう1人の候補として、目付系がもともと推薦していた勝麟太郎の名が出たら、
もちろん異論はなさそうです。
(岩瀬は大久保の紹介で、勝麟太郎と何度か会っているし、互いに認め合う仲でした)


じゃあ、誰が、率先して勝さんを推したか、なんですけど。
そこがわからないので「一考察」なわけです(笑)。

ただ、手がかりになりそうな大きなヒントが勝さん去りし後の
洋学所の人事にあるのです!

同年8月30日 古賀謹一郎が洋学所頭取を拝命。

同年12月 小田又蔵、大坂の具足奉行に転属。

結局3人のうち、古賀だけが洋学所に残りました。
言い出しっぺの古賀なので、この人事は至極真っ当です。
(しかもほかの2人のように小普請・無役ではなく、それまで3代にわたって
昌平坂学問所で教授方をつとめてきた実績もあり、頭取はぴったりです)

問題に感じるのは、小田の大坂行き、のほうなのです。

小野寺龍太著『古賀謹一郎』のP206によると、
古賀が安政2年8月の日誌に書いている
褦ネ戴(たいだい)俗子機心恨絶」というのが、
(暑い盛りに礼服を着て真面目くさった様子で伺候している俗吏という意味)
小田又蔵のことを指しており、
小田がこそこそとあちこちに取り入って、勝麟太郎を自分から引き離したのではないか?
と謹一郎が疑っていた・・・・・と小野田氏は指摘しているのです。

・・・・え?

小田又蔵が、古賀謹一郎から勝麟太郎を引き離した・・・・・!?


あまりに長いので、ここで一端、切りますネ☆
続きは、あした!
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-23 10:26 | 長崎伝習所系 | Comments(2)

「ごめんね!青春」が終わりました。

ごめんね!青春公式サイト→こちら


最後まで面白かった!いいドラマでした☆


「あまちゃん」で鍛えたおかげで、「あまちゃん」以前の作品にたまーにあった中だるみもなく、
わりとさくさくと話が進んだように思いました。

原平助が最後に学校を辞めちゃったのは、さみしいですが、
長く引き摺っていた青春から卒業できてよかったな(笑)。

生徒たちも個性豊かで、本当にどのキャストも良い味出していました♪

なんだか、最後まで視聴率が低空飛行だったようですが、
クドカン作品は、視聴率などかんけいなく、面白いので、
次回作品を、早くも楽しみにしております~~~!



で、同日、「軍師 官兵衛」も終わっちゃいました~~~~っっ

大河ドラマって、後半になると、主人公が成功してしまい、だらけてしまう傾向がありますが、
(あとは幕末大河で、明治編になると急につまらなくパターンとか(笑))
この官兵衛さんは、大名になってから、秀吉や三成との関係で、
むしろ緊張感が増していき、最後まで面白かったです。
主役の岡田准一が本当に頭を剃ってしまったのも、ジャニーズの仕事があるのにエライ!
と感じ入りました。
人物的には、どちらかというと、もともと長政派なのですが(笑)、
今回は黒田父子、いやいやその祖父、目薬やさんの曾祖父ともに
黒田ファミリー、好きでした☆
長政はバツ1ですが、そのほかの代々の黒田家当主は家庭内に波風をたてない
優れた家庭人でもあったなと(笑)。

そして今回、かつての軍師大河こと「風林火山」とならぶぐらい、音楽が好きでした~~♪
メインテーマはあいかわらずN響ですが(笑)、
そのほかの曲は「風林火山」と一緒のワルシャワ交響楽団!
「武蔵」のモリコーネ作&ローマ交響楽団も良かったですが、
今回の大河も、たいへん素晴らしいサントラでした。
(テーマもワルシャワ響バージョンできいてみたかったっっ。「武蔵」にはローマ響版あるんですけど、
すんごく良いんですよ~~~(涙))
やはり、大河には壮大な音楽が似合いますね~~~♪

さて、官兵衛も終わったし、あとはさ来年の三谷大河「真田丸」情報待ちといったところです♡
(書店にいくと、松陰本だらけで、しょうじき、邪魔くさいです(笑))
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-22 14:36 | ほんの世間話 | Comments(4)

一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)

自分一人が投票したところで何も変わらない、と多くの人は思う。
選挙を前にして自分が無力であると感じる。その感覚に傷ついて無関心になる人もいる。
だが、「自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人」が投票すると社会が変わる。
私は何度かそういう選挙を見てきた。
デモも同様である。
「私一人が出かけようが出かけまいが何も変わらないと思う」人が実際に出かけると、
それが膨れ上がる列になる。

その時、世界は何かしら変わる(ただし根本的に私は、変わろうが変わるまいが思ったことを
主張しに出かければよいだけだと考えるのではあるが。そもそも世界を変えたい場合、
有効性ばかりを先に考えることは無意味だ。なぜなら変わる前の世界から見た有効性の
基準は必ず「古い」から)。

がらりと世界が変わることもある。それはほとんど次元の移動のようだ。
今生きている世界から別の世界に、人は突然接続する。
私は決して疑似科学を語っているのではない。

これが選挙の謎なのである。

代議制の、つまり多数の者が少数を選び、選出された者に政策をまかせるシステム、
すなわち民主主義の厳密な数学、ないしは物理学がこれである。

多数の者が少数の権力者に影響を与えるわけだから、それはデモの謎でもある。

私が変わると「私たち」が変わる。
私が行かない投票には何千万人かが行かない。
私が行く投票には何千万人かが行く。

特に浮動票と言われる「私たち」は渡り鳥のようなものだとイメージしてもいい。
渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、
みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。

その時、どの鳥が出発を決めたか。

最後はリーダーが決まってくるとしても、飛ぶ群れの起源を遡ればどうなるか。
「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。

さて、
もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」
と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを
刷り込まれているのだと私は考える。

国民が「政治不信」になればなるほど、組織票を持つ者が好き勝手にふるまえる。

むしろ無力なのは選挙に落ちるかもしれない政治家の方だということを思い出して欲しい。

選挙期間というのは「無力」さの逆転が起きる時間なのであり、
結果を決めるのは例の「私たち」以外にない。

つまり「私」以外に。

その時、「力」はどちらにあるか。

あなたにある。

これが選挙というものの恐るべき、スリリングな本質だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネットで見かけまして、素敵だなと思ったので、記事にしてみました。
(いとうせいこうさんが自由にどうぞ、とツイッターで書かれていたので、
そのとおり、転載させていただいた次第です☆)

わたしも無党派渡り鳥なので、
ええもう、共感させていただきましたっっ

それから、最高裁裁判官国民審査2014のほうも、ありますヨ!

それぞれの判事さんの経歴は→こちら



明日は寒波が来ているし、大雪でたいへんという地方もあります。

それでも、選挙に行くことはどうかお忘れなくーー!
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-13 19:24 | ほんの世間話 | Comments(0)

久々の新曲!



台湾映画「匆匆那年」の主題歌だそうです。

だけど・・・・・・。

せっかく林夕なのに、なんだか「フェイの前の曲のアレとコレを足すとこうなる」的で、
新鮮味がなさすぎるんですけどぉぉぉぉお。

大陸はほっといて(笑)、
なんですか、香港・台湾の音楽界も最近新しい才能ある作曲家とか、
作詞家とかいないんでしょうか?
(ちょっと前はけっこういたんですけどね~~~~~)

もっとも、今はフェイ・ウォン(王菲)としては、新曲の新鮮味問題よりも、
ニコラス・ツェー(謝霆鋒)との復縁話ネタのほうが盛り上がっているかもしれん(笑)。

だがしかし、かつて付き合っていた頃(10年以上前)、ニコラスの浮気がもとで別れたハズ。
また繰り返さなければいいのですが・・・・・・・・っっ(汗)

音楽といえば、「歌聖」ことジャッキー・チュン(張学友)が7年ぶりに
ニューアルバムを出すらしい。

え!???7年も出てなかったっけ???

ちょっとその数字にびっくりです!!!

こういう大スターでしかも歌唱力のあるシンガーさまが、もっと頻繁にアルバム出して
くれないと、たしかに音楽界は盛り上がりにかけていき、人材流出もあるかもしれない。
(同じ大スターですが、マドンナのアルバムリリースペース&内容充実度は本当にすごい!)

マドンナと比較するのはどうかと思いつつ、王菲とか張学友や、
そしてラウラウさまこと、アンディ・ラウ(劉徳華)とかね、
そういうBIGなみなさんがもちっと音楽でも活躍してほしいなぁぁぁと
(もちろん、若手で活躍している歌手さんいますけど!)
昨今の香港音楽界のそこはかとないさみしさを考えると、
まだまだBIGなみなさんがひっぱってほしいものです。

だから、フェイもね、いい恋して素敵な曲をいっぱい作って
早くアルバム出して~~♪(笑)
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-11 14:37 | あじあん音楽 | Comments(2)

12月14日。
吉良ファンには、吉良さまの命日。
浪士ファンには、討ち入りの日です。

・・・ですが。
軍師官兵衛とごめんね青春!の最終回も、
ダウントン・アビーの第3回も、21日におあずけ。

それは14日に選挙があるからですネっっ




街を歩いていて感じるのは、ニュースや新聞でもとりあげているように
まったく盛り上がりにかけていること。
なんだかしらけムードが漂っている。
そんなわけで予想投票率も低く、与党は圧勝という予想になっているとか。
(そんなに少ない人数に信任されただけじゃ与党も嬉しくなかろうて)

うーん、なんだか、これでいいのだろうか???と思ってしまいました。

だって、
盛り上がっていないと、選挙にいかないというのはいかがなものか?
とも思うのです。

もう「お上」がそれなりに政治をまわしてくれる時代ではありません。

投票する候補者や政党が見当たらなくても、
今の政治は投票にいくに値しないと冷めているとしても、

それでも国民主権者の責任がありますので、やはり投票行動はしっかり
やっておいたほうが、
今後の政治に文句もつけられます(笑)。

もし用紙に書きたい候補者がいなかったら、
投票用紙になにかしら書いてくるだけでも(落書きじゃなくてできればなにかご意見を)
いいじゃないか、と思うのです。

来年は自衛隊の集団自衛権のこと、原発再稼働のことなど
これからの日本にたいせつなことが決められる一年になります。

来年のそういう動きもふまえて(笑)、

自分の意志を政治にかすかでも反映できる数少ないチャンスですから、

期日前投票でも、当日投票でも、
とにかく選挙へいったほうがいいんじゃないか☆


と思う次第です。

あ、最高裁の判事さんを審査する、最高裁判所裁判官国民審査もありますしね♪
(こちらもすごく大切!)

というわけで、無責任な無党派ですが(ええ、どこの団体とも無関係でございます)
官兵衛とごめんね青春!の最終回&ダウントン・アビーあおずけの14日日曜日、
せめて選挙速報を楽しもう!そのためには投票率が多くないとスリルがないな!、
というけっこう単純な思いつきで書いた記事でございました(笑)
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-09 19:16 | ほんの世間話 | Comments(2)

今年は馴染み深い漫画作品との、思わぬ再会の多い年でした☆

まずは、まさか、まさかの新刊!!!!!のベルばら。


d0080566_192541.jpg


  ベルサイユのばら 11巻
  
池田理代子

  アマゾン→こちら










番外編やサイド・ストーリー収録の短編集なのですが、
それでも連載終了から40年余すぎて、新作がでちゃうなんて、
ホントに素晴らしい!!!!!

さすがは、ベルばらです!!!!!

今回も顔を出しているアランやロザリーのその後は、
ナポレオンの『エロイカ』でその最期が描かれているのですが、
どーしても気になるジェルジェ伯爵(オスカルパパ)はこの先どーなっていくのか、
どこか異国へ亡命するのか、気になりますっっ。
(本編でもお気に入りキャラだったので、この方には畳の上・・・じゃなく、ベットの上で
やすらかな最期を迎えていただきたいっっ)
ひょっとしたら、まだ新作あるかも・・・・・らしいので、そのあたり見てみたいです☆

ただ、絵は背景などが緻密になったものの、
やはり本編のころのなんとも色気のある、油ののりこった時代の絵柄が好きなので、
一抹の寂しさを感じなくもないです。
でも、新たなエピソードがみられるのはとても嬉しいことです☆

ちなみに本編のほうは、最初に買った文庫版がボロボロなので、
数年前から少しずつ完全版を集めているところ。
(冊数があるので、江戸関係の本の合間に集めているとなかなかラストまでたどり着けず(笑))



次は、ベルばらとはまた違った、わが愛すべき漫画。

d0080566_19151893.jpg

  夢みる惑星 愛蔵版 全4巻

  佐藤史生


  アマゾン→こちら








小学館のサイトによる、内容説明↓

大スケールで描く、SF古代叙事詩。
それは遠い古代の都のこと。その祖先は聖なる船に乗り、
星の海を渡ってきたと神話に伝えられていた。
その都アスカンタは富貴と美にあふれ、
人々は翼竜とともに空を翔ける。
この国に若き大神官が生まれようとしていた。
幻視者ライジアに育てられた銀の髪、銀の瞳の王子イリスである。
だが、繁栄を謳歌するアスカンタのうえに、
凄まじい運命の序曲が響き始める。


・・・・この説明だと、なんだか甘ったるいファンタジーみたく
誤解されてしまうのですが、こういう舞台だけど内容は甘くないです(笑)。
(魔法とかドラゴンとかそういうお話だったら、あっしは最初から食いつきません♪)

この漫画は、内田善美『星の時計のLiddell』とともに、
ほぼ1年に1度はかならず読み返す、わが永遠のフェイバリット漫画です。
なので、まだオリジナル版の4冊(そして大判の「ノート」も含めて)は健在なのですが、
カラー扉やまだ読んだことのなかった番外編などを収録してくれるというので、
隔月発行のたびにゲットして、ついに集めちゃいました(笑)。

何度読んでも、いい作品です☆
オリジナル版を、新刊が出るたびに発売日に本屋さんに飛び込んで読んでいたものですが、
今思うと、王国とかのある、古代っぽい時代(気候は中東とかそのあたり)を舞台に、
未曾有の大災害を前に、捨て身の人類救出作戦にひとりで奔走する主人公の
この物語は、とても現在と繋がっていた、すごい作品だったなぁと感動を新たにしました。
(といっても、ハードすぎず、ロマンあふれる、詩情豊かな美しい世界です)

オリジナル版のラスト、それまでどこかの世界のSFファンタジーだと思っていたら、
どこかの星じゃなかった!という衝撃の発覚は、電車のなかで思わず声を出しそうに
なった記憶がございます(爆)。

佐藤史生さんは『ワン・ゼロ』なども面白かったのですが、
すでに亡くなられているので、新作は読めません。
愛蔵版が出て嬉しいけれど、新作や著者のコメントが見られないのが残念です。



そして、できれば『星の時計のLiddell』もぼちぼちオリジナル本が経年ヤケがひどくて
ボロってきたので、愛蔵版出ないかしらと思っているのですが、
どうも出版社が著者さまと連絡がとれないらしく、無理らしい。
・・・・・・これも、日本の漫画文化として残しておきたい、読み継いでいってもらいたい、
すごい作品なのですがっっ。
(ラストがわかっているのに、毎回読んだら感動で泣ける!傑作です)

なんとかならないものか~~~~~っっ


と、いずれもネタばれしないように、ストーリーにさわらず語ってみましたが、
上の2冊はよいとして、今の状態で愛蔵版も再版の予定もみえないリデルの場合、
こんなに気をつかったところで、この先何人の新規読者が現れるのだろうかっっ(涙)。
語り出したら、ずーーーーーっといけちゃそうなぐらいなのをこらえている必要があるのだろうかっ。
(と、葛藤しつつ・・・・・)
いや、いつか愛蔵版などが出ることを祈願するためにも、
このままネタばれナシで終わりま~~~~~~すっっっ。

わたしの本が崩壊する前に(けっこう背の部分とかヤバイ)、
ぜひとも愛蔵版を~~~~~~~~!!!
[PR]
by aroe-happyq | 2014-12-08 15:55 | | Comments(2)