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東都アロエ

外国奉行の率直すぎる発言②の更新が遅れており恐縮ですが、
これが叫ばずにおられましょうか!!!(笑)

日本版の「孤独のグルメ」第五シーズンが、10月2日からオンエアだなんて!!

公式サイト→こちら

ちなみに情報元はこちらのオリコンスタイル記事→こちら


この記事で

先日、さる高名なお寺の方が、断食中に空腹を紛らわすために、
『孤独のグルメ』のDVDを見ていると聞きました。その声に背中を押されてのSeason5です

と主演の松重さんが語っておられますが、ええもうそれ、よくわかります!!!

この深夜の禁断グルメドラマ・・・・・・。
さまざまな効能がありそうです!

今回のシーズンは海外も行くとか。

そりゃ、台湾版もオンエアしているわけですから、ぜひぜひ日本版のドラマのほうも
世界へ飛び出してくださいませ!!

この秋、楽しみが増えました!!!


【追記】
もう再来年の大河の話が出た!
「おんな城主 直虎」・・・・・井伊直虎の話とか!
数年前、直虎を主人公にした小説が話題になったおり、
「女主人公モノとして、大河が飛びつきそうなネタだ」と友人と語り合っていたが、
飛びつき方が早くて驚いた!!!(笑)
そして女大河のタイトルはあいかわらず、ダサイ・・・・・・・(涙)。
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by aroe-happyq | 2015-08-25 10:21 | ほんの世間話 | Comments(2)

UPするのが、すっかり遅くなってしまいました(汗)。
(数日間、非公開にしてせっせと打ってましたっっ)

ちょっと前に、攘夷について真面目に調べてみようと思い立ち、
やっぱり、基本の藤田東湖さんにきいてみよう!ということで、
東湖祭りをしていた時期がありました(笑)。
東湖はたくさん苦労もしていて、なかなか素敵な人物でありました。
ただ、攘夷発言となると、頭がかたくて、困ったちゃんで。
で、この東湖祭りのストレス(だってあたくしは開国派なので)発散として、
文久あたりの外国奉行についても同時並行して読みあさっておりました。

今回は、その途中でみつけた、とある外国奉行の率直すぎて外国公使を感動させて、
そしてわたしは読んでいてたまげたという(笑)、
そんなやりとりについてシリーズでお送りします☆

その外国奉行とは、俊才の宝庫とされて有名な5人の初期外国奉行のあと、
後期外国奉行とでも申しましょうか、そうした時期に活躍した「できる」外国奉行
の双璧とされる松平石見守と竹本甲斐守(図書頭などのときもある)。
そのなかの、竹本甲斐守のほうを紹介します。
(松平石見守はこのとき、遣欧使節としてヨーロッパへ行き、江戸を留守にしていました)

時は、文久2年12月9日。

この数日前まで朝廷からの勅使(三条実美ら)がやってきており、
攘夷の決行をふたたび家茂将軍に迫っていた、そんなおりでございました。

竹本甲斐守はこのとき、大目付兼外国奉行。
もともとずっと外国奉行でしたが、二ヶ月ほど前に大目付になって一旦は外国事務から
ちょっと引いていました。
朝廷勅使がきて、いよいよ家茂将軍が上洛することが決定すると、
大目付竹本甲斐守は一橋慶喜とともに先乗り隊として京へ入ることになっていたのですが、
(もう指令書も出ていたぐらいにほぼ決定だった)
のが突然、12月8日、上洛御用が解かれ、ふたたび外国奉行兼任となりました。
(竹本の代わりに、大目付岡部駿河守が一橋公とともに上洛することになります)

この当時、上洛チームと留守チームとで人事のいろいろなやりとりがあったようで、
「竹本は江戸に残して貰おう」と留守チームの外国局ががんばったのかもしれません。
この年、文久2年8月には例の生麦事件も発生しており、その場面でも
英国側との交渉で竹本が大活躍しておりました。
京都へ行って攘夷ボケの朝廷を説得する役割よりも、外交交渉ですでに場数を踏んでいる
竹本には留守番チームのほうが合っていたのかもしれませんが、
・・・・・・それだけではないかもしれません(笑)。→その事情は②のほうで

さて、前日に外国奉行に復帰した竹本甲斐守は
同僚の竹本隼人正(竹本甲斐守とはいとこ同志)とともに、
さっそく9日、横浜へ出張します。
それは老中からの密命を帯びた大切な出張でした。
(細かい情報ですが、乗った軍艦は咸臨で船将は矢田堀景蔵でした(笑))

彼ら二人の訪問先はイギリス代理公使&フランス公使。
どちらでも、ほぼ同じ内容の話をしているので、
より詳しく記録が残っているフランスバージョンのほうで話をすすめます。

ちなみに今回引用させていただくのは、
『幕末のフランス外交官 初代駐日公使ベルクール』
(アラン・コルナイユ著 矢田部厚彦編訳 ミネルヴァ書房)
です。

会見場所は神奈川沖に停泊中のフランス艦「デュプレックス」号。
竹本は、再び外国事務にたずさわることになった挨拶をベルクールにおこなうと
さっそく本題に入った。
この日のホントのテーマは、御殿山に公使館街をつくる計画を止めるようにという、
勅命がくだったため、要するにフランス公使館を別の場所にしますよという
そういうお話でした。
ベルクールは西洋的な建物の御殿山フランス公使館の建設を楽しみに
しており、日本側としては説得が難しいと考えていた。
そこで、この日の作戦は「日本国内の現状をありのままに語り、苦しい徳川公儀の
立場を理解してもらおう」というものでした。

竹本「これまで外国代表と幕閣との会談において、日本側は常に不幸な事件の発生の原因は
   輿論の不満にあるとだけ申し上げてきたが、これまでのところ、漠然とお話するだけで詳細を
   ご説明することはしなかった。そのため外国側は常に不審を抱いておられることになった」

ベルクール「外国の常駐代表だけでなく、本国政府も同様である。相互関係に信頼を築く上に
   最善の方法は相互的率直である」

竹本「これまでその率直さが日本に欠けていたので、貴公使は日本の情勢の現実に
   疑問を抱いておられた。そのことを知った将軍は、貴公使を往訪して、明瞭かつ率直に
   状況をご説明することを命じたのである」

と前置きがあって、本題に突入する。

竹本「ただいまから、いわゆる国民的感情なるものがどこから来るかを貴公使にご説明する。
  (・・・略・・・・)大名たちがすべて外国人の敵であるわけではなく、そのうちの数人だけである。
  それは外国との条約を結んだ幕府が友好関係の増進を図るうえでの障害とはならないだろう。
  ただ、
島津毛利のような藩主は、その家臣のなかに外国を敵視する者がおり、
  彼らは外国との友好関係を結んだ幕府の非を唱えて、しばしば朝廷に不満を呈している。
  外国人にあったこともない天皇は事態について何も知らず、いったい幕府が外国と関係を
  結んだことが良いことなのか悪いことなのかも分かっていない。
  しかし天皇は、反対派大名たちのたび重なる苦情を信用してしまった。
  そこで天皇は、将軍に書簡を送り、何故幕府は外国と通商条約を結び、
  外国人の日本滞在を許したのかを詰問して、幕府のとった行為に抗議した」
(・・・・略・・・・)
ベルクール「反対派大名は、さきほどの二人だけか? 土佐公もそうではないのか?」
竹本「反対派はほかにもいるかもしれない。しかし土佐公はわれわれの味方で、ただ
その家臣のなかに反対派がいるだけである」
(上記『幕末のフランス外交官 初代駐日公使ベルクール』148P~149P)


ちなみにイギリス代理公使ニール中佐には、アーネスト・サトウの記録によると、

竹本は朝廷およびその背後にある攘夷派の大名との関係で、幕府が置かれている
苦境を正確にニールに伝えるため、老中の命によって横浜に派遣されたと説明し、
その攘夷派とは誰かとニールに問いただされて、
薩摩長州の名をあげた。
(『遠い崖 アーネストサトウ日記抄 1』213P)

なかなか率直な発言でございましょ???
これ竹本の独断の発言ではなく、この日は老中の使者だったりするのです。
(なので、竹本というよりは、徳川の率直な発言といえるかもですネ)

文久2年末の時点で、徳川として、こんなにはっきりと薩摩&長州のことを敵として
みていたことにも驚きましたが(まだ薩摩や長州が「討幕」とか言い出す前だし)、

それにしても、こんなに名指しか!(笑)

って感じです。
(この発言の約8ヶ月後に、糺問使中根市之丞一行は長州で奇兵隊に虐殺されるわけですから、
ううむ、たしかに敵だな!(爆)・・・・・・だが薩摩とは京で一緒に戦っていましたが・・・)

これを聞かされたベルクールも、ニールも、
それまで日本の国内情報は適当に誤魔化され続けていたため、
あまりにも率直な竹本の発言に、素直に感動したらしい(笑)。

もちろん、これも作戦のひとつで、英仏から家茂のために軍事的援助を
引き出すためだったりしました(笑)。

外交交渉はなかなか、虚々実々の世界であります。
(ちなみに御殿山公使館問題は、フランス側としては別の場所は嫌だという回答でした(笑)。
ところが、数日後に御殿山に建設中のイギリス公使館が長州人に焼き討ちされてしまうので
嫌もなにもなく、英仏ともに横浜に公使館を作ることになります)

さて、竹本甲斐守については次回の②で書くとして、
今回はベルクールについて、ちょっと紹介しちゃいます♡

というのも、親日的なフランス公使といえば、ロッシュが有名だと思うのですが、
いやいやいやいや、実はこの初代駐日公使のベルクールの功績あってのロッシュの活躍
に繋がるのです。

安政以来、ハリスの活躍で、日本政府(徳川公儀)の外交顧問的役割は
アメリカがやってきていたのですが、この文久当時は南北戦争のために東アジアへ
軍艦を派遣する余裕がなく、「軍事的優位=発言権の強さ」の時代でもあり、
日本におけるアメリカに立場は弱まり、
かわって、軍事力でも、また日本の対外輸出80%を占めるようになった
大英帝国が、いってしまえば、大きな顔のできる立場となると、アメリカを排除するように。
たとえば生麦事件の外国交渉(薩摩じゃなくて、徳川とのね)では、アメリカ公使プリュインは
なんら仲介役を果たせなくなっていました。
そこに登場したのが、知的で冷静なのにたまに熱い魂がみなぎる、ベルクールさん。
彼はクリミア戦争以来、イギリスと軍事同盟関係であるフランスの立場もあり、
生麦賠償金交渉が難航するなか、
ニールに対して、アドバイスできる立場であり、また徳川方の外国奉行などとも友好な関係を
築いて、イギリスとの橋渡しに尽力しました。
正直、生麦交渉が暗礁に乗り上げ、日英は戦争寸前までいきましたが、
ベルクールさんが昼夜を問わず(だって、夜中の12時とか、朝の7時とかに
神奈川奉行が駆け込んでくるんですよ。よく相手してたと思いますでしょ?)対応したおかげ。
その功績もあって、横浜の治安維持隊の指揮権を得たりと、チャント見返りも得ましたが、
元治元年に任期を終えて、帰国することになったら、徳川公儀から留任運動が起きたぐらい、
ベルクールは日本において、信頼を勝ち得るわけです。

留任運動については、以下の論文の5Pめにあります☆↓
西堀昭「初代フランス特命全権公使ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールについて(2)」
PDFはこちら

今回引用させていただいた『幕末のフランス外交官 初代駐日公使ベルクール』を読んでも、
日本(というか徳川ね)への想いが熱いです。ロッシュと良い勝負かもしれません(笑)。
なので、こののち、徳川がフランスと接近するきっかけを作ったのは、ベルクールということで、
ちょっと知名度ないので、ここでこの人物のことを宣伝しておきたいと思います。

あ!(1)のほうも、紹介しておきましょう。
西堀昭「初代フランス特命全権公使ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールについて(1)」
PDFはこちら


というわけで、外国奉行の率直すぎる発言②に続きます!
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by aroe-happyq | 2015-08-06 18:34 | 外国奉行ズ | Comments(8)