2009年 10月 25日
福山へいってきました☆
備後福山へ行ってまいりました☆
すごいですよね、駅降りたら目の前です!
まさに駅前城郭。です。
もちろん第一の目的は福山城博物館で開催中の「箱田良助と榎本武揚」展では
ありますが・・・・・・。
あるわけですが・・・・・・。
伊勢マニアとしては長年の悲願(いやそれほどでも、ですが(笑))、
阿部正弘像へのご挨拶!から始めないと福山へ参った意味がありません!!
入り口から階段を登り、城門ではないほうへと進むと。
城郭公園の隅っこに、佇んでおられました。
39年の人生のうちで2ヶ月しかこの福山城に滞在しなかった阿部伊勢守ですが、
地元に愛されておられるようで、なんともいえない安堵感が(笑)。
島津斉彬とは大違いです(涙)。よかったです。
場所は下記のとおり、入り口から階段をのぼったら
城門とは違う茂みのほうにおられます(笑)。
できれば本丸城門内に入れて差し上げてほしいものです。
ちなみに阿部正弘像は福山市にもうひとつ、
備後護国神社(福山市丸ノ内1-9)内にあります。
しかしこちらは井伊直弼系の肥えかたをしているのであまりオススメできません(笑)。
さて本丸城内へとすすみました。
観光ガイドにあるように日本の城100選に選ばれている福山城。
なかなか小ぶりとはいえ、美しい御城です☆
伏見櫓ほか見て回りましたが、妙に気に入ってしまったのが。
こちらの「湯殿」。
復原で湯殿があるお城ってひょっとして珍しいのでは??
伊勢守と共に、その父であり素敵な蘭癖の正精公のファンでもあるので、
(正精公については『想古録』から2つエピソードを紹介したことがあります♪)
そうか湯殿か・・・・・・とちょっと楽しんでしまいました。
その他の城内史跡は幕末とあんまり関係ないので(笑)、割愛させてただきまして。
「箱田良助と榎本武揚」展開催中の天守へ、いざ!
博物館内は撮影禁止ですので、こちらポスターをご覧くださいませ。
1~2階は箱田良助と榎本武揚展でしたが、
3階は水野&阿部福山領主両家についての展示がありまして。
そこでこの数年間夢見ていた、
阿部伊勢さま御真筆による、
つまり生・仁義
の字を拝見させていただきました!
今まで図録でしかお目にかかれませんでしたが、ついにとうとう生「仁義」がーっ。
目の前に・・・・・・としみじみと立ち止まってしまいました。
すんごく達筆ではないところが良い味だしていて(爆)、
めちゃくちゃ好きなんですけどーーーー。
これ、手拭いとか、メモパッドとかにして阿部グッズとして売り出してみませんか!
親戚の松平春嶽公にはこういうグッズがあるようですから、ぜひぜひ福山でも☆
さて、箱田良助と榎本武揚展ですが。
エノカマ父はたいそう立派な方でありました!
箱田さんは伊能忠敬内弟子筆頭として測量隊で活躍しただけでなく、
かの有名な「大日本沿海與地全図」を師匠忠敬の死後に完成させた大功労者
でありました。つまりこの人なくしてあの地図は存在しなかった、わけですね☆
それから箱田良助が福山の箱田にいたころ、その地は天領だったそうで。
(嘉永6年正月に阿部伊勢守が江戸城造営の功により1万石加増されたおりに
福山領地になったそうで)
天領だったなら江戸に出てきやすかったほうだし、のちに御家人榎本家の婿養子に
なるにしても(その後榎本家は旗本に昇格。もちろん箱田良助改め榎本円兵衛の功績
あってのこと)スムーズな手続きで済んだだろうな等々細かい情報が楽しかったです。
こんなに箱田良助(榎本円兵衛)さんがスゴイ人物でしたら、
蝦夷についてレクチャーを受けに行った蝦夷御用目付堀織部も、
息子さんを快く預かったことと思います(笑)。
息子の武揚氏関連ではモールス印字通信機(展示されていたのはレプリカ)
とご対面できて嬉しかったです。
でもけっこう大きかったのでびっくり。
この大きさでオランダから船旅で壊れずに日本へやってきて、
開陽とともに海に沈み、のちによくぞ無事に引き上げられたものです。
(そして釜さんと運命の再会をするわけですが、まさに相思相愛の仲だったので
しょう!(笑)・・・・・・なんとなく機械に愛されそうな釜さんですから)
思えば、父円兵衛の生国・福山の兵とも箱館戦争で戦うことになった榎本釜次郎。
福山と榎本父子。浅からぬ縁を感じました。
小さい博物館なので展示品は多いわけではありませんでしたが、
ひそかに充実の特別展でした☆
・・・・・・自分的には阿部伊勢公の「仁義」軸をみられただけで
すでに大満足でもありました(爆笑)。
広島県立歴史博物館で『平氏一門の栄華と瀬戸内海」展をみて(実は平氏ファンでもある)、
公家列影図(重文)で描かれていた清盛公が、
意外に顔が長くて(なんか徳川家慶さんみたい)
いささかショックを受けつつ(息子の重盛のほうはぷっくりとしてよいお顔でホッ)、
城内公園を散策。
続いて、
福山駅周辺でもうひとつ、阿部公ファンとして外せない場所へいってきました。
阿部正弘がつくった藩校誠之館跡です!
今は中央公園となっておりまして、駅からすぐです。
そして園内にはローズコムなる施設ができまして(昨年草刈氏がオープンに来場
してましたっけ)。
こちらの3階には歴史史料室なるものがあったということで
行ってみましたら。
現在は初期阿部家の新史料が展示されておりました。
阿部家は10代もあるのです、正弘公関連の史料ばかりが展示されてる
わけではありませんネ(笑)。
線路をはさんだ反対側の駅南口の広場は三の丸町とのこと。
つまりは福山駅は城郭の一部にあるようでして。
昔は広いお城だったようです。
さて、あまり幕末と関連がないので鞆の浦については
折りたたんでみたいと思います。
阿部正弘像&「仁義」軸のほかに、前々から福山へ行きたかったその理由。
それはもちろん、鞆の浦散歩でした。
たっぷり堪能したのですが、あくまでアジアン&幕末ブログですので
関係のありそうなあたりをいくつかピックアップしておおくりします☆
鞆の浦は
船番所+波止場+雁木+常夜灯+焚場がセットで残っている貴重な港です。
古代の歴史的にハッキリしない昔からこの港は瀬戸内の要所で、
港のそばには神功皇后に纏わる神社などもありました。
幕末としては七卿落ち、坂本龍馬のいろは丸事件などでも有名な港。
ですが、長崎伝習所ならびに徳川幕府海軍ファンとしては、
観光が長崎から江戸へ航海途中に立ち寄った港であり、
(ひょっとすると西洋蒸気外輪船初入港では?なのですが(笑))
そののちに幾度か徳川海軍の軍艦も通ったと思われる場所です。
小さいながらも花街もあったそうですから、
上陸した可能性も高いのではないでしょうか(おいおいそれが理由か!?)。
さてそんな時代の痕跡をさっそく発見。
こちらの常夜灯、安政6年にできたそうです☆
今年はぴったり150年ですね!
こちらは雁木です。
もう少し潮がひいてくれるともっと段々が続いているのがみえるのですが。
この日はこんな感じでした。
波止場です。
江戸時代までは天然の良港だった鞆港ですが、近隣の埋め立てにより、
港の環境が変化。
寛政年間に築かれはじめ、文化文政期などに延長されたそうです。
この写真の波止場の外側にもつくられ、明治期になるまで整備されていき、
現在の形になったそうです。
さてここで幕末系見どころをあっという間に紹介します(笑)。
↑
七卿落ちの七卿が滞在した太田家跡。
いろは丸史料館。
↓
・・・・・・といちおう幕末関連史跡・史料館を紹介し義務完了!(笑)
(ちなみにいろは丸史料館、入ってませんので内容まではわかりません)
どうでもいい話ですが、引き揚げ番組をみて以来、
自分的には紀州藩への同情派です(笑)。
さてここからは少々暴走気味に幕末以外?のMY鞆の浦名所を紹介いたします☆
まずいち押しの場所は!
それはもう!ここです!!!ここ。
福禅寺内にある対潮楼です。
江戸時代、朝鮮通信使の旅館だった福禅寺。
使節の名だたる文人(正使や副使等々)に絶賛されたのが↓この眺め。
まさに超眺めのいい部屋(笑)。
いや~~~~~~~本当に気持ちがよかったです。
行かれる方はよく晴れて穏やかな日にぜひぜひ!!!
実はこのあと、座ってぼーーーーーーっとしていて、
写真を撮るのを忘れたのですが(爆)、それぐらいたいへんに素晴らしい景色でした。
さてこちらも名物、鞆の町並み。
ほんの一角ですがとても素敵な町並みが残っています。
そして鞆の浦名物といえば。
阿部伊勢公イチオシの保命酒。
東京で入手できない酒造屋さんの保命酒を1本ゲット。
それぞれのお店で味が違うので飲み比べるのもおススメです☆
さて、こちらは琉球使節のみなさんの旅館になったというお寺。
小松寺です☆
かつては大きな寺院だったそうで、各時代のVIPがお泊まりだったとか。
かの足利尊氏公もこちらに滞在したよし。
(つか太平記ファンにとって、この鞆港はかなり重要なポイントですよね♪
あちこちに痕跡があります)
実際に歩き回ってみて感じたのは、町じゅうの道が狭いということでした。
今月初旬に訴訟のニュースが全国に流れて連休のときにはマイカーで
観光客がたくさん訪れて、けっこう混乱したと聞きました。
たしかに道が足りず、もう少し増やさないとこちらで暮している方々にとって
不便だというのは、通りすがりの観光客でも感じることでした。
町のなかには埋め立て工事推進の看板やトンネル案のポスターなども
いくつもみられました。
道路が増える事も大切ですし、景観を損ねるのももったいない。
なんとか良い解決策がないものでしょうか。
ただ地元以外の大企業ゼネコンだけがほくそ笑むような、
日本全国じゅうで起きているいいかげんな設計案による公共工事を実行されて、
町に住む人々があとになって哀しい想いをするような、
そんな結末にはならないでほしいと願うところです。
政権交代があり、50年もじわじわ腐り続けていた政治体制に変化が起こりそうな今、
そしてまだ工事が始まっていない今だからこそ、よく考えてほしいなと思います。
通りすがりの観光客のくせに生意気言ってスイマセンっっ~。でもすでに故郷を
効率優先の時代に高速道路だらけ、暗渠だらけでズタズタにされた観光客なもので、
ついつい黙っていられませんでした~~~(笑)。
さてさて。
ブログの趣旨にそって紹介して面白そうな写真はこんなところでしょうか。
このほか寺めぐり、町あるきなどもいたしましたが、
写真を撮りすぎて収集がつきませんので、このあたりであしからず。
福山、かなり気に入りました☆
できれば一週間ぐらい、だらだらと瀬戸内を旅して、その途中で再び訪れてみたいナと
思いました。
そんな贅沢はいつできることやら(笑)。
はははのは←乾いた笑い
というわけで、駆け足でレポしてみました。
鞆の浦は平日に行かれたのですか?写真に全然人が写っていませんね。
私はその訴訟のニュース直後の連休に行ったのですが、観光客が多くて、常夜灯や対潮楼でまったりするどころか、近づくのもやっとな状態でした。
本当に道が狭くて、夕方になると観光客が帰るせいかすごい渋滞で、以前無責任に「景観を残してくれる判断をしてくれて良かった」とコメントを書きましたが、ここで生活している方達の事を考えると、そんな単純な問題ではないのだなぁと感じました。
福山駅からバスがたくさん出ているので、せめて観光客がマイカーを使うのを控えるとか、できればいいのですが。
私も福山、とても気に入りました。
「父子展」がなければ訪れることがなかったかと思うと、釜さん親子に感謝です♪
福山城、石垣も五層の天守も復元とは言え、素敵ですね。阿部老中首座はとても興味のある人物です。はな。さんのブログから目覚め少しずつ本を読もうと思っております。その地元福山は榎本父子にとっても縁の深い地であったのですね。
鞆浦はお写真を拝見して、やはり景観は素晴らしいし歴史的意義のある地なので出来れば保全が望ましいのですが、地元の方の暮らしの便を考えると本当に対処が難しいですね。
一度はゆっくりと訪れて観たい所となりました。
なんとか暖かいうちに♪と思って先週の平日に行ってまいりました。暖かいどころか暑くて上着を片手に歩くことになってしまいました(笑)。平日だったのですが常夜灯あたりにはそれなりに観光客がいて、訴訟ニュースの余波はまだまだあるようでした。お城のほうはほぼ貸しきり状態で(爆)。父子展の図録を買ったら受付の人にすんごく感激されて、そんなに売れていないのかい!と心配になりました。
>観光客がマイカーを使うのを控えるとか、できればいいのですが。
15分に1本バスがあるので車は福山駅付近に置いて・・・・・・のほうが望ましいですネ。
平日に行ったので鞆港では働いているみなさんの姿を拝見することになったのですが、生活道路としてこの町の道路をみているとやはり狭いですっっ。すれ違うこともできない道路も多いですし。
いろいろ難しいなぁと考えこんでしまいました。
ここ数日暇でしたのでどうぞお気になさらずに♪
お茶の水探訪の計画はまとまりましたか??楽しく散策してみてくださいね!
>阿部老中首座はとても興味のある人物です。
そう思っていただけてとっても嬉しいです~!!正弘公を知るには、以前にも紹介しました国会図書館近代デジタルライブラリーでDLもできる『阿部正弘事蹟』がオススメです。『阿部正弘のすべて』よりも伊勢殿のすべてがわかります(笑)。
鞆の浦は古くからの港で、たくさんの歴史が詰まっていて貴重な港ですが、おっしゃるとおり住民のみなさんの生活が不便では困りものです。それに漁業がさかんで観光の町と言い切れるほど観光業に従事している町でもないので、両方がともに満足できる解決案であってほしいです。