2010年 05月 10日
榎本さんの或る弱点
そのなかに鈴木真という人の談話で「不平で終わった光妙寺三郎」という
のがありまして。
光妙寺三郎という人は、もとは「山口の真宗の坊さん」で、
明治になってフランスのパリに留学していた人とのこと。
「フランス語も上手だし、弁舌も出来るし、面っ髯で好男子」
・・・なのですが「ズボラ」で「金使いが荒く」、「八百善から毎晩料理を取る」
(「」カッコ内は引用)、で女遊びはハデ、役者の友達多数ときて、
外務省に勤めても「べらぼうめ、こんな仕事が出来るかい」といってすぐ辞めて
しまったり、「なにしろどこへ勤めても、なんにも仕事をしない。そんな
詰まらないことをしても仕様がないといって遊んでいる」というような人でした。
とここまで読んで、おいおい・・・・・・と読み飛ばそうとした瞬間、
が、その当時、
光妙寺を信用したのは榎本武揚さんです。
おいおいおいおい・・・・・・
思わず続きを読んでしまいました。
その頃の榎本武揚さんは逓信大臣でしたが・・・・・・
非常に光妙寺に感服していました。
をいをいをい~~~~~~っっっ
で、ここで思い出さずにはおれませんでした。
『後は昔の記他 林董回顧録』(平凡社東洋文庫)のP66~、
「榎本外相のもと外務次官になる」のところで、
榎本氏は漢学者流主義の人にて、正直律儀なる性質なれば、
其道を以てする者には容易く欺かるる事多く、
一度人を信用すれば、其人の所言は是非の分別もなく之を容る。
朋友としてはこの上もなき人なれど、官吏としては共に事を執るに困る人なり。
と林董さんがゆってましたっけ(笑)。
人情に弱く、涙もろい。
万能人といわれる榎本さんの素敵な弱点であります☆
このいかにもチャラそうな光妙寺三郎はのちに帝国議会の議員になるそうですが(爆)、
こういうタイプにも弱かったか、榎本ーーーっっ(笑)
と・・・・・・また知られざる一面に触れられて。面白かったです。
下の記事で徳川宗家展は興味があります。どんな貴重な資料や品物が展示されるのか見に行こうと思います。ご案内有難うございました。
非常に感服してたもんね榎本さん。そうか~、副長は弱点わしづかみだったんだ。
>副長は弱点わしづかみだったんだ。
間違いなく、そう思いますっっ。ツボな感じだったのではないかしら、と(爆)。
ただでさえ「感服」しそうなタイプの土方さんなのに、
近藤局長の件もあり、釜さんとしては仙台で再会以降、土方さんの胸中を考えると、勝手に涙腺こわしていそうな感じです(笑)。