箱館戦争における永井玄蕃逸事

昨日、またまた国会図書館にまいりまして。
後藤 敦史「海防掛目付方の開国論の形成過程--「乙骨耐軒文書」を用いて」
(『日本史研究』通号 576 2010年8月)の複写のためにいったのですが、
一ヶ月過ぎているので最新号でないかな~と思ったら2日足りなくて複写は×。
このほか京都町奉行について調べるために『京都町触の研究』などを閲覧も
しなくちゃなんて、請求手続きをして、その合間に先日の『香亭遺文』で
1ページほしいところができたのでその複写を・・・・・・と新館1階のA端末
(デジタルデータ館内閲覧&複写ができる端末のお名前です)
コーナーに居りましたところ、偶然!!にも幕末ブロガーのIさんも居られて♪
(ぼーっとしていて声をかけていただくまで気付かずっっ。スイマセン)
今はまだ近寄ったら危ないワと思っていた禁断なる魅惑の世界、
A端末の朝日&讀賣新聞検索ワールドに誘っていただきました(笑)。
・・・ヤバイですね、この↑検索。めちゃめちゃ細かい記事も拾ってくるんです。
永井ぐらいマイナーズでもそれぞれ4件以上もヒット(爆)。
(某横浜毎日新聞に及ばずとも、なかなかの数字です)
榎本さんなんて・・・・・・・・・なんて・・・・・・、帰れなくなりますよ、マジで!
で、すっかり自分も虜になって、なんでか小野友五郎事蹟なんていう連載に
ハマリ、がっちり複写してしまいました(笑)。
Iさん、せっかくの休日の憩いの時間をお邪魔しちゃいました☆
(久々にお会いできて楽しかったです!ぜひ次回は呑みましょう)

で、さっそくその成果を紹介(笑)。

ちょうど箱館関連をやってますんでよろしいかと思いまして!

・・・・・・とはいっても永井ネタです。





讀賣新聞 1891(明治24年)7月6日 (朝刊)

●故永井尚志翁の逸事

(冒頭の葬儀記事は割愛)
さる明治2年ちゅう榎本釜次郎氏現任外務大臣が幕府の
軍艦11艘を率いて北海道に脱したる当時、
氏(永井)も共にこれに興(く)みし、
もっぱら会計の任に当り居たるところ、
数日の戦争に金糧共に尽きて非常に困難に陥りたれば、
やむを得ず、金一万円を軍用金として、
函館市の重なる商人に申付けん事を発議して、衆議これに決したれば、
氏はある日現時の函館支庁が当時本陣となりて行政を取扱い居りし場所なれば
ここにおもなる市民10数名を呼び出して丁寧に応接し、
さて氏は言葉を改め近ごろ拙者共より折入ってご依頼申すは
はなはだ赤面の次第なれども、今回榎本氏はじめ松平、大鳥、荒井等の同志が
この北門によって官軍に抗せんとするも、如何せん兵・糧・金の3つのもの
必要を欠きたる我が党なれば目下の困難いう計りなし。
実に諸子に対しては気の毒千万なれども、
追って時機もあれば御返済申すべき程に、この際金一万円を各々方より
軍用金として応分にお差出しを頼み入る。
承平三百年徳川の大恩に報ぜんとする我が党の胸中お察しあれと
頭(こうべ)を垂れて涙をうかべて決死の覚悟を示して述べし□ば、
一座感動して共に落涙し一人として更に拒むものなく、わずか半日を経て
金一万円を兵営に運ぶことを得たるは、実にこの玄蕃頭永井尚志翁の力なり。
氏は斯くまで北海地方には因縁深きをもって、
当地方より出京せしおもなる商人等は翁に遇うて既住を語らんとて
翁が墨堤の閑居を訪う者多く、翁もまた快くこれらの人に面会して
当時函館戦争の軍用金を依頼した当時の苦心を話して涙を流し、
今日朝恩の厚き幸いに生命を全うしたるもいまだ国家に報いいる事を得ざるは
最も遺憾とするところなりと潜然嗚咽することしばしばなりしという。



商人に軍用金を出してもらうことまで、永井がやっていたとは!
こういう事は榎本や松平などの若いモンがやるべきなのでは??(笑)。
見事な裏方職人っぷりです、玄蕃どのっっ。
汚れ役は俺にまかせろ、とか本人は気にしてそうではありませんが、
それでも若年寄までやってた人ですのにっっ。少しは気を遣え、若年幹部ども!!(爆)

とはいえ、
「承平三百年徳川の大恩に報ぜんとする我が党の胸中お察しあれと
頭(こうべ)を垂れて涙をうかべて」という姿で相手を堕とせる(おいおい)
のはこの人の持って生まれた人徳と年の功のおかげでしょうか。
(まだ30すぎの若き釜さんではこうは行かなかった?)

ところで軍用金といえば『組!!』関連で耳にした「土方歳三は函館市民の軍用金負担に
反対した」という話を思い出します。
土方さん、こんなわけで永井翁がやっちゃいましたので、どうぞお許しあれ(汗)。


しかし。
「追って時機もあれば御返済申すべき程に」という約束は
果たされなかったというのに、一万円を損じた函館の商人さんたちは
親しく向島の永井邸に遊びに来ていたんですね。
なんだか、ほのぼの。

この記事は永井翁が7月1日に亡くなって、その葬儀あたりで
取材したものではないかと察します。
おそらく葬儀に函館の商人の誰かが来てたのではないかと。
だとしたら、やっぱりほのぼの(笑)。

どんな局面でも、箱館でも、
やっぱり永井ワールドはあるらしい、と思うのでありました。
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by aroe-happyq | 2010-09-19 11:44 | 箱館または釜さん | Comments(2)
Commented by 入潮 at 2010-09-22 12:57 x
早速の成果ご紹介、そのご精励のお姿がまぶしいです。
国会図書館ではお姿を拝見でき、とても嬉しかったです。
なのに永井さんの下のお名前を失念するというポカをさらしてしまい、大変失礼しました…。
古今常に、事業も戦争も、資金が最大の難関。会計だけではなく資金調達という強敵に人知れず挑んでいた、縁の下の力持ちの永井さんのお姿が偲ばれます。戦中の華々しい活躍より、こういう後方任務こそが軍の強さを決めます。
いちおう若(くはない)幹部の大鳥さんも、商人の寄合いで資金援助のお願い行脚していました(北海道公文書館文書「外国人の件」より)ので、許してください。箱館軍は終盤、装備も無くなって敵死体から追い剥ぎしたり馬食ったりもしていたので、資金の大切さがいっそう身に染みます。
そこに、土方氏の軍用金徴収反対は、燃えよ剣の小説ネタですが。仮に代替案もなしに、そんな奇麗事をのたまったら、資金調達に頭を抱えた人たちから二度と口をききたくないと思われてしまうかもしれず。むしろ土方氏本人にかなり失礼な創作だなぁと思いながら見てしまいました。
Commented by はな。 at 2010-09-22 18:04 x
入潮さん、よくぞおいでくださいました!
いきなり断りもなく記事にお名前を出すのはいかがなものかと伏せさせていただきましたが、先日は本当に嬉しい偶然でした!
しかもお元気そうで、もうもう~~っ本当によかったです☆
>大鳥さんも、商人の寄合いで資金援助のお願い行脚していました
やはり!!大鳥さん!!素晴らしい方ですっっ。
戦争になるずっと前から、箱館のみながらず各地を歩いて防衛強化の策を丁寧に講じてこられた大鳥さんならきっとそういう事もされていたのでは、と密かに信じておりましたが!!感動ですっっ。(ちなみに永井&中島目線ですと、大鳥さんはじめ釜さんもみな、息子のようなものでして(笑)。そんなわけで若年幹部♪なわけです←世間的には立派な大人なのですがっっ)
>土方氏の軍用金徴収反対は、燃えよ剣の小説ネタですが。
ちょっと記憶がはっきりしないのですが、たしか「組!!」のおり、函館の人から教えてもらった話として土方役の山本サンがインタビューか何かで披露されておりました話です。
京であれだけ資金調達に苦慮してきた副長さんなので、事情はわかるはず。むやみに反対はしないと思うのですが・・・・・・(笑)。


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