それぞれの想い @慶喜

昨夜のアジアカップ日韓戦、手に汗握ってみておりましたっっ。
アジアカップの日本戦がほぼみてますが、一番疲れました。
PK戦て、どーも心臓によくないですね~~~~~。
なにはともあれ、決勝もがんばれ!!!!ザックジャパン058.gif


さて、慶喜は43回「議題草案」。

慶喜が将軍になってわずか20日後の孝明天皇の死。
慶喜が病床についていた二条関白から、帝からの「遺言」を伝言される。
「後の世を将軍家に託す。争いを収め、人民が塗炭の苦しみを
味あわぬよう、全国を焦土と化すことのなきように…」と。

うむむ~~~~っ、
重い言葉をもらってしまった、慶喜でありますっっ~~。






しかし、わずか16歳の新しい帝の誕生は、争いを呼んでしまいました。
孝明帝に遠ざけられていた長州寄りの公卿が次々に呼びもどされ、
伏見勢(薩長ズ)を活気づかせ、神戸開港をパークスと謀って
なにやら政争に使おうとたくらむ始末。
危うきかな、主人公!?

一方、
二条城黒書院では、まだまだ長州再征伐問題がくすぶっており、
強硬論を崩さない会津侯は、長州をたたくよう、慶喜にせまっていた。
慶喜「余は断固として国内から争乱をなくす所存じゃ。
   押し寄せる外国勢をみよ、国内で争っている時ではない」
会津侯「これは争いではなく、正義の問題にござる」

と、慶喜さんは、
「正義だけで国が保てるか」←勢い的には最後に小さい「ッ」が入りそうな感じ☆

と声を荒げる。
会津侯と桑名候は相次いで「京都守護職を辞職させてください!」
「京都所司代を辞職させてください!」と言い出しちゃう。
う~~ん、なんと麗しの兄弟愛!!(←感動ポイントが間違ってます??・笑)

すかさず、慶喜は困りつつひと息&スマイルかつ穏やか~な声で、
「……そのように難しいことを申すな。そなたたちだけが頼りなのだ」
(自分の笑顔で他人を堕とせることを知っているワルイ男♪)

……んで、その笑顔に負けて(爆)、
辞職をつい留まってしまった、会津&桑名兄弟でした。
(ある本によれば、このあたりで本当に辞めて国元に引き揚げていさえすれば
この後に二藩に襲いかかる悲劇を回避できたかも…という「もしも」もあるらしい)


さて、二条城で華麗に将軍家としての猛スピードでのお仕事を
こなしている慶喜、実はまだ「通い」でした(笑)。

はじめて上洛した当初は東本願寺を宿舎にしていたけれど、
二条城と禁裏に遠すぎるので、ほどなくどちらにも近い空き家の小浜藩邸を
宿舎にして以来、ずっと京都ステイはこのお屋敷。
将軍家になっても小浜藩邸で寝起きし(側室のおよしの方もこっちにいる)、
二条城に出勤する(笑)というおかしな将軍生活をおくっていたのです。

で、猛スピードで仕事をこなすため、黒書院脇の廊下(といっても小部屋のように
大きな畳敷の空間)に屏風で小部屋をつくって、
そこで西周に西洋の近代的議会の設置のため、憲法草案を提出するよう命じ、
かつ講義の続きをうけていた。
で、黒書院に呼ばれると、さささと行って老中ほかと面談する。
で慌ただしく戻ってきて、講義を受ける、の繰り返し(笑)。
黒書院にはいるとき、一段高いのに馴れなくてちょっと片足をひっかけるのが
とてつもなく愛らしい!
で、二度目に足元に注意しすぎて、上から垂れている飾りに顔がぶつかる、
という久々のプチコントも有り☆
重くなりがちなドラマ展開のなか、細かな演出にホッとさせられました♪

外国公使4代表との大坂城での謁見前に、フランスのロッシュと事前に会う
ことをきめた慶喜はフランスの作法と言葉を猛特訓(笑)
フランス皇帝からフランスの軍礼服(ベルばらみたいなデザインす)を
贈られてさっそく試着し、まんざらでもない顔で写真におさまる慶喜もナイスです!
……じゃなくて、いよいよロッシュと会見したところ、
相手はいたく慶喜を気にいってました(歴史的もそのようでした・笑)。
これは神戸開港&大坂開市を迫るパークスとの会見のための探りというか根回し
みたいなものなので、成果としてはちょっと想像以上かも!??

さて、問題のパークスほか外国公使との晩餐会(笑)。
凝り性の慶喜は外国人シェフを雇い、本格的なフランスディナーでおもてなし。
なにせパークスは薩長と手を結んで神戸開港で怪しい動きに加担していて、
これを押さえるには神戸開港&大坂開市を朝廷にみとめさせるしかない
のだけど、なにせ薩摩の工作+長州派公家が甦った朝廷はなかなか厄介。
板倉老中ほかに説得工作を命じたけれど、会見には間に合わなかった。
のに、
「年12月8日をもちまして神戸開港し、大坂を開市いたします。
将軍徳川慶喜が日本国元首としてここに約束いたします」
と堂々と宣言しちゃった(爆)。
これぞ先手必勝!???
びっくりするパークス&ヒュースケンじゃね、サトウ(笑)でしたっっ。

時は、慶応3年3月28日☆

パークス以上にぶっとんだのが、伏見ズです(爆)。
さらに薩摩の工作によって29日には朝廷から再度、開港開市不許可の命が
くだされたのに、慶喜はびくともしないっっ。
西郷どんが「徳川慶喜はまさしく龍じゃ…。首をおとさねばこちらが呑み込まれて
しまう…」とつぶやく始末でした。

今回、会津侯の「これは争いではなく、正義の問題にござる」が
重要ワードですが、もうひとつありました。
それは江戸の新門辰五郎の家に、毎日のように遊びにくる
、江戸詰めの会津藩士寺岡さんのつぶやきでした。
おれんさんと明るく酒のみ友達をやっている寺岡が、おれんが中座しているときに
「こんなところで何をやっているんだ。京に御供もできなかったというのに…」
と留守組のやるせなさをはじめて、口にしたのです。
「大きな戦になればいい。そうすれば京詰め組も江戸留守居組もなくなる」
と。
そうか、このドラマをみていて、ついついこういう人々の想いを
忘れていました。
「余は断固として国内から争乱をなくす所存じゃ。
押し寄せる外国勢をみよ、国内で争っている時ではない」
との想いで慶喜は寝食を忘れて前へ前へこの国を進ませようとしていたけれど、
とっくにその流れに乗り損なって、苦しんでいる多くのもののふの想いは
慶喜には届いていません。
この寺岡のような人々の激しい想いが、結局は慶喜をこの先「想定外の事態」へと
追いつめていくようにも思います。
会津さんの言葉も、寺岡の言葉も、このドラマのラストへむけての
伏線なのか??
だとしたら、このドラマすごすぎるんだけど(笑)。

さてはて、どうなることやら??
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by aroe-happyq | 2011-01-26 19:27 | 慶喜@大河 | Comments(2)
Commented by きりゅう at 2011-01-26 22:18 x
>びっくりするパークス&ヒュースケンでしたっっ。

このドラマではヒュースケン殺されないんですか?
ヒュースケン好きだからウレシイケド……(^^)

Commented by はな。 at 2011-01-27 09:33 x
きゃーご指摘ありがとうございました!
サトウが嫌いなもんで、つい自動筆記で(爆)
かわゆいヒュースケンて打ってたみたいです。
(自分ではすっかりサトウと打ったつもりなので、
コメント拝見するまで気づかず(爆))
記事のほうも、
謹んで訂正させていただきました(笑)。


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