荒井郁之助 談片

唐突ですが、荒井さんの記事です。
単に記事にするのを忘れていたための、このタイミングということで(汗)。

雑誌『旧幕府』の史談会にはさまざまな顔ぶれが登場し、
(榎本武揚と大鳥圭介は……予告まで出たが……とうとう来なかった)
旧幕臣の旧幕臣による旧幕臣のための談話集なので、
本家?の『史談会速記禄』とはまたひと味違った談話がみられます。
この史談会は雑誌が第5巻第7号でいきなり休刊になってしまうまで、
定期的に行なわれたようです。
しかし雑誌が休刊ときまったからか、談話として掲載できなかった
数名の人々の談話抄録が最終号ひとつ前の号にたくさん詰め込まれました。

荒井郁之助の「談片」もそのひとつで、ほかの抄録よりもさらに
短く、ほとんどメモ書きのようなものが載せられました。

完全版がみたいものよ……とため息が出ますし、
内容的には大鳥圭介氏の獄中日記等とダブる部分が多いですが、
ちょっとめずらしい??荒井郁之助氏の「談片」をお楽しみください☆

荒井郁之助 談片 (『旧幕府』第5巻第6号より)

○ 蝦夷地に脱走前に布哇(ハワイ)へ来いとの話がありましたのは、
  ウエンライトで御座ります。

○ 降伏後、網乗物で弘前へ送られましたが時に塩大福と水菜を食したことがありました。

○ 青森で草野菜だのそのほかの書籍を贈りくれた人がありました。

○ 網乗物とは申しますが、ホンの形だけ懸けてあるのです。
  泊まり泊まりで大変に馳走してくれ、弘前からたくさんの書を送りました。

○ 東京へ着しますと、脱走前には捧げ筒をして敬礼をさせました屯所が、
  こんどは私どもの牢屋となり六畳の一間へ初めのうちは一人ずつ
  でしたが、後には榎本松平、永井、松岡の五人になりましたが、
  そのはじめは着のみでゴロ寝をしました。
  五人で二百両ばかり持って居りましたが、取り上げられてしまい、
  紙の蒲団と紙張で眠りました。
  後にはいろいろの者が入牢しましたが、兵士のみで常の罪人はありません。
  古川節三小笠原賢蔵などもいっしょになりました。

○ 食事は弁当箱で、朝は汁、夕は漬け物です。ただし差し入れは始終許されました。

○ 出獄は明治五年一月八日でした。

○ 入牢中は昼は書見をしましたが、夜は何にもしません。

○ 私どもの殺されなかったのは黒田(清隆)さんの力でしょう。
 薩人は助ける方の論でしたそうですが、木戸も大村も斬る論でしたそうです。



これ…談話として読みたかったです~~。
きっとメモに書かれない、ささやかなエピソードも披露された
ことでしょうからっっ。
そういうエピソードが読みたいんですよねーーーっっ!!

それにしても、

五人で二百両ばかり持って居りましたが、取り上げられてしまい、
紙の蒲団と紙張で眠りました。


なんともせつない一文です~~~~~

この頃でしょうか、永井玄蕃の、紙を箸に米粒でのり付けし、顔四方を覆う
「顔だけ蚊遣り」を作って、蚊の音に悩まされず爆睡していた、
というたくましいエピソード(たぶん『同方会誌』に載っていたはず)
が生まれたのわっっ(笑)。


それから、

いろいろの者が入牢しましたが、兵士のみで常の罪人はありません。

ということであれば、博徒と交わったとか、端唄習ったとか
榎本釜さんの豪快なエピソードは???
兵士ばかりだったら、それなりの秩序がありそうなので、
「箱館の榎本じゃ」と名乗ったら、
必然的に牢名主にされてしまいそうだしっっ。

ただ、端唄が得意だったり、博徒みたいな兵士とかはわんさかいそうですが……(爆)



今回のように記事にし忘れているものがたくさんありますので、
季節と関係なく、思い立った時に記事させていただきますネっっ
(なにせなにかのタイミングにあわせようとすると、忘れてしまうので・汗)
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by aroe-happyq | 2011-04-22 10:40 | 箱館または釜さん | Comments(0)


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