ある旧幕臣と慶喜

まだまだ慶喜祭りは終わっていなかった!?

拙ブログを覗いてくださる慶喜嫌い派のみなさんの深いため息が
聞こえてきそうですが(笑)、3月に書くはずだった記事が
少し残っているだけなので、もう少々がまんしてくださいね!

今回紹介の記事もずっと前に捕獲していた、新聞ネタです。

今まで読売新聞などを紹介してきましたが、ついに真打ちこと毎日新聞、登場!
(くどいようですが、この毎日新聞は現在の毎日新聞とまったく関係はございません!!)

やはり東京(横浜)毎日新聞は旧幕臣情報に関しては
本当に絶妙なツボをついてきます。
ほかのどんな本でも聞いたことのないレアな情報を教えてくれます!
今回の記事もすごい。目からウロコ!!
一般的に知られている慶喜と旧幕臣の関係とは違う、
驚きの記事内容でありました。


徳川公葬列中の大榊 大正2年12月3日 日刊(一面)

入谷の大地主で一級候補者の松前広業という人がある。
旧幕臣で鳥羽伏見戦争の際、奥詰銃隊を勤め、
大坂城中で常に慶喜公の身辺を護衛し、
公から親しく感謝の辞をさえ賜わったほどの人だが、
今度の選挙選が激しくなった頃、慶喜公が薨去された。

薨去の報を聞くや、松前氏は哀悼のため、
気抜けのようになって「もう選挙などは如何でもいい」
と万事をうち捨て、故公の事ばかり追懐しボンヤリ考え込んでしまった。

息子さんたちはそれはそれ、これはこれだからと
心配したが肝心の当人がその体裁なので
一向(選挙)運動も出来ず、ついに落選したが
徳川公葬儀当日、上野の祭場で切に故公の事を語り、
涙を流しているところへ落選の報があっても
他人事のように「はァそうですか」と云っていたそうだ。
この人が故公の霊前へ贈った根付榊は高さ一丈二尺余、
見受けるところ、葬列中一番大きいもので八人の人夫が
担いでヨロけていた。


ごく身近な側近にはとことん惚れ込まれても、
一般の幕臣にいまいちウケが悪い、徳川慶喜公……だと思ってきた
のですが、これがどうしたことでしょうか!!??

奥詰銃隊だった人が
(奥詰銃隊っていうと、一酌日記の杉浦(毒舌家)とか思い出すんですけど……笑)

「公から親しく感謝の辞をさえ賜わった」という人ではあるけども

慶喜公の訃報をきいて、悲しみのあまり

自分の選挙を放り出してしまった(笑)

ですって!???

なんだか、まだ表に出ていない一面が慶喜公にはあるのかもしれない。

というのもいろいろな新聞を読んでいると、
亡くなる大正2年ころになっても、国内外からの人気がすごいんですっっ。
評価もかなり良い。

ではいつから嫌われ者になってしまったのか?
それは彼の死後以降のいつか、のようなのです。
ワタシも今まではてっきり明治期にはすでに嫌われていたのかと
思い込んでいたのですが、そうではなかったようなのです。

しかも今回の記事に登場する松前広業のような人までいた、という驚愕の事実!?もあるし。

こうなってくると、科目は修了したはずなのに、とことん「実像」に迫りたくなります。
まだまだ奥深い、慶喜さん道であります(笑)

ちなみにここまで極端でないにしても、
生前の人気と後世の評価がまったくかみ合っていないんじゃないか!?
という御仁をもう一人知っています。

それは榎本武揚さんであります。

この人なんて明治時代はもう東京のアイドルですから!
しかも慶喜さんみたいに隠居してないし、現役バリバリで
公務のあいまにはいろ~~~んな会の会長になって活躍して、
マジで輝いておられます。
しかも、これというような落ち度はしておられません。

このように立場も来歴も違うわけですが(でも年齢はわりと近い!)
慶喜と武揚という、どちらも江戸っ子のなかの江戸ッ子侍が
(わたしのなかでは慶喜さんも江戸っ子認定済です・笑)
どうしてかようなまでに今の評価が低いのか???

東京人としては、まるで東京をコケにされているようで、
ちょっと放っておけません事態です。

とっても、
どこで評価が変わったのかなんてややこしい陰謀をさぐるほど暇ではありません。
どんどんこの宇宙の片隅ブログから、ナイスな彼らについて
発信していくほうが近道だと思っておりますので、
慶喜嫌い、武揚嫌いのみなさんにも、
どんどん読んでいただければ、さいわいです♪

なぜなら彼らを嫌いなあなた、
ひょっとして何ものかにダマされているかもしれませんヨ(笑)

かくいうわたしも、今回の記事をみて、
先入観にとらわれず、心眼をもって歴史に向き合いたいものだと、
しみじみ~~~~と思いました。
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by aroe-happyq | 2011-04-25 19:17 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)
Commented by Koto at 2011-04-25 23:56 x
はな。さんこんにちは♪
長らく放置してしまったブログを再開したのですが、使いにくさを感じてしまって、また引っ越してしまいました;;
何度も済みませんが、ご都合のよろしい時に、リンクの貼り替えをお願い致します。

それはともかく、明るい記事をありがとうございます!!
明治のアイドルなお二人なら、平成のアイドルにもなれるかも!?
私はまだまだ勉強不足ですが、がんばって追いかけて行きますね!
慶喜公も釜さんも、フィクションやメディアの偏見で嫌われて来ている気がするので、巻き返して行きたいものです。
Commented by はな。 at 2011-04-26 10:06 x
kotoさん、いらっしゃいませ☆
ブログのお引っ越し、お疲れ様です!
使いにくいと更新意欲が減ってしまうし、そういうときは引っ越されるのがイチバンですヨ♪
リンクの件も了解です!今日中にも張り替えさせていただきますねーっっ。

>巻き返して行きたいものです。
やはりどーしても薩長メイン本が多いので、慶喜なんかは格好のヒール役……。釜さんはその非凡な才能が、ぼんくらが多い明治新政府系ファンにとっては嫉妬されてしまいがち(笑)。
これからはkotoさんのおっしゃるとおり、どんどん徳川方寄りのフィクションで、巻き返していきたいものです!!
Commented by はるあき at 2011-04-26 15:01 x
慶喜が大好きなので、慶喜の記事を毎回楽しんで読んでいます。
慶喜は史料が多く残っているにも関わらず、追いかけても追いかけても捕まってくれそうもない人物で、調べていて面白いですよね。

彼を主軸とした本は彼が活躍した明治初期あたりまでのものが多く、後年を考察した本は殆どないのが残念です。
ただ、慶喜の後年を考察した「その後の慶喜」という本があります。
かなりマニアックではありますが、物凄く面白いので、読んだことが無ければお勧めします。
Commented by はな。 at 2011-04-27 11:10 x
はるあきさん、コメントありがとうございます☆
慶喜が大好きとのこと、とっても心強いです!!!
周囲に慶喜好きがほとんどいないものですから、いろいろ記事にしつつも、誰が読んでくれているのか、となんだか不安でありました(笑)。

>追いかけても追いかけても捕まってくれそうもない人物で、調べていて面白いですよね。
おっしゃりとおりです。調べるほどにどんどん新しい顔がみえてきて、きりがありません。でもそこが本当に面白いです。

>「その後の慶喜」
家近氏の著作のファンなのですが、慶喜に関しては「幕末維新の個性 徳川慶喜」がどうも消化不良な印象でしたので、「その後」のほうは未見でした。
今度、読んでみたいと思います。





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