釜さんと慶喜さんの出会い

明治期、東京っ子(というか江戸っ子)たちのひそかなアイドル(笑)
榎本武揚さん、そしてさらに隠れファンの多かった徳川慶喜さん。
どちらも後世の評価が彼らの実像を無視したとしか思えないほど、
冴えない同士であります。
この二人、マジでシビれるほど面白い人物なのに!!!
としつこーくしつこーく、彼らの「実像」に近い世界を
紹介しつづけている当ブログですが、
今回も慶喜調査の途中で拾った少しレアなものを紹介します。

大隈重信著『開国五十年史』上に収録されている、
「徳川慶喜回想録 慶喜公の逸話逸事」より。

大隈重信が榎本武揚から取材した慶喜に関する談話で、
はじめて慶喜に目通りしたときの印象を語っております☆
(重信ちゃんのまつがいはこちらで訂正しました・笑)

榎本釜次郎氏(今の子爵武揚君)は文久年間幕命を受けて
荷蘭国に赴き、滞在して陸海軍制度及び法律等を研究する年あり。
軍艦開陽丸の竣工したるに搭じ、慶応二年
※正しくは慶応3年3月
に帰朝せり。

其時幕府の政事は廃弛を極め、何れも一日を姑息に打送る状態にて、
軍艦に用いる石炭を買入れる予算のあるべくもあらず。
当局に迫りて要求すれども埒明かざるをもって、遂に慶喜公に謁見を請へり。
其時の事を談じ、当時公は将軍後見職
※慶応3年ならすでに将軍
として、京都の二条城に居られたるが、謁見を願い出て六日を経て
出仕の命に接せり。
是吾(釜サン)最初の御目通りなれば、定めて式法など厳格の事ならんと
思い、案内せられて長き廊下を行き、大広間を過ぎて此所と示されたり、
恐る恐る入れば、あにはからんや、是すなわち公の居間にて、
さまで広からぬ処なりしが、公に面接せり。
応接の平易にして言語の親しき、只々喫驚の外はなかりき。
一同に食事せよとありて、自身に酒瓶を執り、飯櫃を側に置いて
手づから飯を盛らるるを見て、
恐縮に堪えざりき。


正常な状態の徳川時代の江戸城ではありえない超気さくな
謁見の様子でありますっっ。
榎本釜次郎さんは正常な状態の将軍への御目通りと思って
ドキドキしながら(かわゆいじゃん、釜さんてば。さすが旗本次男坊。同じ旗本でも
勝サンとはちと違う、お行儀をキチンとわきまえている好青年・笑)、
二条城の長い廊下をいくと、謁見之間とかじゃなくて、
まさかの将軍居間に通されてしまい(笑)、
しかも慶喜の「応接の平易にして言語の親しき」に驚いていると、
食事まで振舞われたと思いきや、
なんと慶喜は手酌だわ、自分でさくさく飯を盛ってるわ……という
さらに驚きの世界へ突入したらしい(笑)。
そりゃ釜さんも面食らいますねっっ。
小性はどこいった、みたいな(爆)。

……正常な作法では慶喜ほか客人にもそれぞれ給仕の小性がつくはず。
でもそんなの窮屈だから、いないでセルフサービスのほうが気楽だね!
って感じでしょうか。
(もちろん、緊縮財政と幕政刷新中なので旧例を排除していた慶喜の方針
であり、ビンボーな徳川でもあるためです・笑)
釜さんはもちろん、慶喜という人も堅苦しいのキライなんで、
これでいいのだ~というわけでしょう。

こんなあたりも明らかに家茂時代と違いすぎで、
この気さくな雰囲気を好む幕臣と、重々しいのが好いという幕臣と
意見が分かれたところです。

江戸に戻って、はじめての江戸城生活をした慶喜さん、
厠にいくのに小性がぞろぞろ附いてきて困ったと証言してましたっけ(笑)。
身の回りのことをなんでも自分でやれる人にとって
小性は邪魔っすよねっっ。

で、榎本釜次郎の場合は、こういう気さくな将軍を
キライじゃないタイプだと思うんですが(笑)、
みなさんいかが思われます???

ちなみに後年、静岡時代、幕臣にはほとんど会おうとしなかった慶喜ですが、
榎本武揚とは会ってるンですよーっ。
(永井だって、会ってくんなかったのにサ・笑)

戊辰のときは、慶喜を「腰抜け」呼ばわりしたこともある釜さんですが、
(この戊辰当時、「腰抜け」って大勢にいわれすぎていて、
慶喜さんもそれなりに馴れてたみたい・汗)
やっぱり、わりと気が合う同士?だったのかもです。
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by aroe-happyq | 2011-05-07 14:51 | 江戸城の大旦那 | Comments(6)
Commented by 井口誠司 at 2011-05-08 01:16 x
最近、「五稜郭」をみて一気に釜さん熱が上がりましたww
 
諸侯に手酌で酒を進めて伊達公に「ちょっと軽すぎんじゃないの」と陰でいわれていた14代様のこともありましたが、ちょっとこれは家茂公もビックリするくらいのフランクさですねww
Commented by アルク at 2011-05-08 01:39 x
はな。さま初めてコメントさせて頂きます!
このエピソード、2人のお姿が目に浮かぶようで大好きです。
榎本さん、食事は喉を通ったのでしょうか?多分、味なんかよく分からなかったのでは・・・(笑)

明治20年頃からはお付き合いがあったようですが2人とも好奇心旺盛で、自分の興味関心をトコトン追求するタイプに見えるので絶対に気が合うはずだ!と勝手に妄想しております(笑)
Commented by はな。 at 2011-05-08 18:11 x
井口誠司さん、いらっしゃいませ♪
>「五稜郭」
おおーっ懐かしいですーっ(爆)
「西郷どん?」くらいぽっちゃりな武揚さんが印象的でした☆

>諸侯に手酌で酒を進めて
家茂公の場合、「最後の将軍」らしさのあった方なので「おいたわしや」と涙が出ちゃいますっっ。
慶喜の場合はもし手酌で酒を勧めても、自分の好きでやっているんだなーというのが大きくて「軽さ」を感じさせない人です(笑)。
そういう点で、慶喜さんはやっぱり普通の徳川将軍とは違う「将軍」だったんだなぁと再確認してしまいました。

Commented by はな。 at 2011-05-08 18:21 x
アルクさん、はじめまして!!
コメントをありがとうございます~~っっ☆

>榎本さん、食事は喉を通ったのでしょうか?
お腹のどこかにいってしまったような気がいたします(笑)。
それに石炭の話をちゃんと出来たのか、それも心配ですっっ。
(大隈重信の解説では、結局戊辰になって江戸に戻ってきてから、釜さんが大坂城から運んできたお金の一部が石炭代として下げ渡されたらしいですっっ)

>2人とも好奇心旺盛で、自分の興味関心をトコトン追求するタイプに見えるので絶対に気が合うはずだ!
そうですよね♪♪まったく同意でございます!!
晩年の慶喜さんは趣味の写真で良いものを榎本さんに送っていたそうですし☆
そもそもがハイカラさんの慶喜が外国生活経験豊富な榎本さんを放っておかないですよネ(笑)。
(なんとなく、はじめての謁見での食事でもそんな話で盛り上がっていたような気がします♪)

よかったら、またコメントしてくださいねー!
お待ちしてまーす☆


Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2011-05-08 20:51 x
はな。さん、こんばんは。
美味しすぎるお話、ありがとうございます!

日本酒は手酌にかぎりますって(笑)

英国人にしては愛想がいいミットフォード君が再来日した明治39年、公爵になられた慶喜公が久々に社交の場に登場されました。
なんとなくですが、慶喜公はひとりぽつねんとされたのかなって、勝手に心をいためておりました。
元諸侯達は元勲山縣と井上をはばかったと思うのですよ、きっと。

そうかぁ、釜次郎さんがいてくれた。
榎本くんが行くならって、慶喜公、足取りも軽かったかも。
本場仕込みの外交官で、耳のいい釜次郎さんが慶喜公の後ろに控えてくれたら、百人力なんてもんじゃないですよね。
Commented by はな。 at 2011-05-09 19:41 x
酒井隠岐守腰元さん、こんばんは!
やっぱり手酌ですよね♪♪(爆)
>慶喜公はひとりぽつねんとされたのかなって、勝手に心をいためておりました。
これが意外にも東京に戻ってくると、じわじわと友達付き合いが増えて、旧大名から果ては皇太子(のちの大正天皇)にまで懐かれて(笑)。旧幕臣以外とも交際があったようです☆
とはいえ、武揚さんはもともと気持ちよく付き合えるお人柄なので、慶喜さんとしては楽に交際できそうです♪


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