杉清の箱館一酌日記 ファイナル

ふーっっ、今回も旧暦4月ギリギリですっっ。
が、はじめて日記の当該月に記事が出せて
ラストにふさわしい有終の美を飾れました(笑)。

前回の杉清の箱館一酌日記3→こちら

自分たちにふりかかった不幸な定めを受け入れざる終えない、
明治2年の4月。

それでも杉清は呑めるうちは呑んでいます(笑)


四月朔日 高彦と築島町上田を過ぎ、夜酌山奇楼大酔

↑いつもの調子はまだまだキープ

五日 放晴、永井公我等を伴われ、花園一覧、滄海楼一酌、快々

運上所トップ&箱館奉行永井玄蕃さんが
ついに奉行所の部下たちと花見にいっちゃいました。
思うに、これってただの花見じゃありませんネ。
ゆってしまえば死を覚悟している彼らですので、
春の、そして花の美しさを記憶に留めていこうと
思ったのではありませんでしょうか。
文人な永井公の風流な「惜しみ」方です☆

そしてこのとき、永井公ならなにか訓辞でも
あったんでしょうか。
このあたりから別れの酒が増え、だんだんしめっぽくなります。

六日 夜飯島、佐藤小林、高彦と一酌。
   高彦および大河内慷慨、義気感涙す


こんな感じで(爆)

七日 晩刻、永井公に我等一酌を献ず。
   酒間公自ら、佐眞(佐藤眞司)小鐵(小林鉄助)之髪を断ず


5日に奢ってもらったお返しなのか、永井玄蕃を招いて一席。
そしてその場で、佐藤眞司(奉行所支配組頭)と小林鉄助(同調役)の
断髪式がおこなわれたと。
いよいよ運上所の面々も決戦覚悟といったところでしょうか。
なんだか悲しいですねっっ

……しかし、奉行とはいえ酔っぱのオヤジ(永井のことですけど・爆)
にそんな大切なこと頼んでよかったのでしょうかね~~~~(汗)

八日 七面山および花園遊歩、柏亭に一酌
九日 高彦と一酌

一見すると呑気そうにみえますが、日記には、
10日には「江差瓦解の風説あり」、11日には「知内木古内敵上岸との風説あり」
とあって、事態はかなり風雲急を告げております。

なのでさすがにもう9日を最後に一酌は途絶えます。
(運上所への泊まり込みが増えたことも大きいかもです)

ですが例外の日がありました。

十八日 ……(略)……本山小太郎死すと、愍(あわれむ)べし。
    夜、柏木に一酌


本山小太郎さんの訃報にふれて、思わず一酌。
小太郎さんといえば伊庭八郎さんの親友でありますが、
この日記では杉清の呑み仲間(笑)。冬の頃は大酔いして
雪にダイブしたり、楽しそうにしていた御仁です。

この18日を最後についに「呑み日記」は終了です。
この先、4月29日まで日記は続きますが、戦況日記なので
ここでは取り上げません。
興味のある方は読んでみてください♪

ですが。
杉清一酌日記ちゅうの、スペシャルゲスト伊庭八郎さんについての
記述がありますので、この渋~~い一酌日記に華を添えてくれた
伊庭さんに敬意を表して、あえてそこだけはここに紹介いたします。

二十日 晴、今朝木古内襲われ大敗と云う、
    伊庭八郎傷て病院に来る


その後の伊庭さんの運命はこちらの記事のいちばん最後をご覧くださいませ。


というわけで、あくまでも「一酌」にこだわって
杉浦清介の箱館酒場放浪記を紹介してまいりましたが、
いつの日か、ここに登場した料亭が箱館のどこにあったのか、
わかりたいものです!!(爆)
なにかの史料にあったとか、もしご存じのかたは
ご教授をばお願いいたします!!!

そして長々とこのシリーズ(途中かなり間があきましたけどー)
を読んでくださったみなさま、ありがとうございます!!!!

そもそも箱館戦争は有名ですが、
わたしが興味があるのはむしろその前の数ヶ月の彼ら(脱走軍)の、
箱館での暮らしぶりです。
これがなかなかわからなくて~~~~(笑)
この日記にかじりついたわけです。

わからないことはまだまだいっぱいですが、
またなにかわかりましたら、こちらで報告させていただきまーす☆
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by aroe-happyq | 2011-05-30 10:52 | 箱館または釜さん | Comments(0)


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