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東都アロエ

慶喜に感謝 川路ファンより

一週間ほど前、エノカマさんのブログ「エノカマの旅の途中」を拝見して
こんな記事があることを知りました。

読売新聞→こちら

早く書きたかったんですけど、一酌日記もUPしていないのに
割り込みで書くわけにはゆかない~~~~~~っっと
我慢することほぼ一週間。
でもそのあいだ、ワタクシはたいそう幸せでありました。

さて記事は元治元年2月15日、
徳川慶喜は、
一旦は鎖港攘夷に同意した中川宮が意見を翻した
ときくや、
酒ヲ(中略)茶椀(ちゃわん)ニテ五杯ホド引カケ、
直ニ早馬ニテ尹ノ宮(いんのみや)ヱ乗切リ行キ

中川宮邸に乗り込んで居間にあがりこみ、
一命ヲ頂戴(ちょうだい)仕(つかまつり)私モ身ノ覚悟
と迫って、脅したという内容の書状が高知で出てきたというもの。

おまけに慌てた中川宮が茶を出すよう側近にいうと、
「私ハ十万石頂戴仕テ居マスカラ茶ハドウカコウカ買テ呑候」
なんてもう、こんな状況なのに座布団3枚!な慶喜公であった。
(いちいち云うことが面白い兄さんだ!)

……このあと、この現場で松平春嶽・島津久光・山内容堂などにむかって
「天下の大奸物」という流れにいくわけですネ(笑)。

いやあ……ホント。
中川宮にチビらせるに充分な恐怖を与えたらしいという
この記事読んで、


スッキリ☆

です!!!!!


川路聖謨ファンにとって、尹ノ宮(中川宮)はいわば仇でございます!!!

安政5年、条約調印勅許を得るため、堀田備中をはじめ、川路聖謨、岩瀬忠震らが
上洛しました。
その際、もともと興福寺で僧籍にいた尹ノ宮めは
奈良奉行として大和の地に暮していた川路聖謨と前より懇意であることを
よいことに、川路に接近。
そして「ここだけの話」としてまんまと江戸政府の真意を聞き出した。
川路は江戸侍らしく、陰険だのなんだのいわれようとも、
腹のなかに何もない人なんで、けっこう素直に宮を信じて
ナイショの話を漏らした……んです。
お人好しすぎじゃないの?って、悪いといえば悪いんですけど、
江戸侍の純情につけこむこの宮はどーなんだ?!許されるのか!??
だって、「ゆめゆめ他言はなさらぬよう」「もちろん」と
聞き出したとたん、朝廷にバラまきやがったんですよ、尹ノ宮めは(笑)
おかげで堀田の工作も空振り(だって相手に手の内わかられちゃってるし)
で、交渉団は空しく江戸へ帰りましたさ。

川路さんだけのせいで交渉が失敗したわけではないけれど、
尹ノ宮にこんな罠を仕掛けられなければもう少しうまくいったかもしれないのです。
………ま、川路自身はまさか自分の「ここだけの話」がとんでもない事に
なったことには気づかなかったらしいけど(不幸中のさいわいです)。

そんなわけで、川路聖謨ファンは尹ノ宮に怒っていたのだ(笑)


だから、この記事を読んだときは、

慶喜さん、ありがとう~~~!!!

尹ノ宮、ざまぁみやがれ!!


って天を仰いでしまいました。

「ありがとう あなたのファンより」ってカードを添えて、
慶喜邸(この当時は小浜藩邸@京都仮住まい)の玄関に
紫のバラ(爆)の花束を置いてきたい気分ですよ!!!!(笑)

ですが慶喜も、
本気で激怒したなら酒の力なんかいらないわけですが、
5杯も呑まないとテンション上がらないっっ
っていうどこまでも「お仕事」的な「激怒」で宮邸へ押しかけたと思うと
(見事な大芝居ですけど!ヨッ、一橋屋!!って感じ♪)
ちょっとかわいそうです。

この15日というと、「天下の大奸物」事件で有名な日。
たしか大河ドラマ「慶喜」でもこのシーンはありましたっけ。
そういえば中川宮が妙にビビってました(爆)
………シーンになくても、まるで↑このように慶喜に脅された後
みたいに。
(このドラマ、ホントにマニアックにちゃんとやってるわー)


じゃなくて、川路さん(一橋派・笑)よかった!!!
ちゃんと慶喜が「京都の仇を京都で討って(笑)」くれましたよー064.gif
Commented by きりゅう at 2011-05-31 10:07 x
なんて胸のすく記事でしょう!
はな。さん&エノカマさん&慶喜さんに拍手ですっ!!

>「ありがとう あなたのファンより」ってカードを添えて、
慶喜邸(この当時は小浜藩邸@京都仮住まい)の玄関に
紫のバラ(爆)の花束を置いてきたい気分ですよ!!!!(笑)

ワタクシも乗った!!(^^)

でもね~。魑魅魍魎が巣食う京の妖怪(と書いて公卿と読む)相手じゃ、いかに有能でも一介の人間の川路さんには太刀打ちできなかったんじゃないしょうか~。というか、江戸の人たち、みんな正直すぎ!(^^)
Commented by enokama at 2011-05-31 22:33
同じ記事でも、はな。さんとは切り口が違うので
ほんと見方によって、奥が深いんだなと思いました(笑)
でも、このことが長州系浪士に筒抜けになったのはどういう経緯
だったのだろうかなとも気になります!

ちなみに去年の大河で宮迫が腹を切ったのも、この中川宮(青蓮院宮)が遠因です。
これも優柔不断と同時に、双方の勢力からの恫喝もありました(苦笑)
そういう運命の人なんでしょうか…
Commented by 井口誠司 at 2011-06-01 04:37 x
このシーン、僕も司馬遼太郎作の本で読んで以来大好きなんですよ。自分なら「酒の勢いでやらかしました、すみません」で誰もが許さざるを得ないって計算からしたこのスタンドプレー慶喜公の俺様主義が伺えます。
こんなことするから仲間がいなかったのですがこんな慶喜だからこそ幕末柳営があったのでしょう。
昨日はこの日記を読んでついつい小説を読みなおしてしまいましたwww
 
それにしても慶喜資料は多すぎてなかなか読み進められません(-_-;)
こんど東京に行く時は「慶喜学」ちょっとレクチャーしてください☆
Commented by はな。 at 2011-06-01 11:31 x
きりゅうさん、なんかもう
これは紫のバラって感じですよね!!(爆)

>江戸の人たち、みんな正直すぎ!(^^)
江戸では腹を割って話す、ことが当たり前なので
幕末京都ではこれで随分損をしました(笑)。
東国武士の人が良すぎるのか、西国の公家や武士たちが「んもう、お人がワルイ♪」んだか
よくわかませんっっ(爆笑)
Commented by はな。 at 2011-06-01 11:39 x
enokamaさん、お世話になりました!
そして、
幕末には無数の切り口があるように思います(笑)。

>長州系浪士に筒抜けになった
この時代って、三面記事的な情報の「噂」としての広がりはまるでツイッターかメールがあるのではないかと思うぐらい早く、どこへでも広がるような気がします。人力による高速情報網は目を見張るものがありますので、長州さんもアンテナをのばしていたら情報が飛んできたのではないでしょうか(笑)。

>去年の大河で宮迫が腹を切ったのも
あ!そうでした!!!(思い出しました・笑)
やっぱりこの人って……(爆)
Commented by はな。 at 2011-06-01 11:44 x
井口誠司さん、こんにちは!
>こんなことするから仲間がいなかったのですが
わははは!ホントにそうです。
ですが、慶喜には水戸藩とそして彼に心酔する用人たちやらなんやらがおりますので、よその大名にまで懐かれると邪魔(爆)だったかもしれません。
そういうあたりもオレ流といえるかもですが、この人の周囲の特殊な環境のせいもあるようです。

>こんど東京に行く時は「慶喜学」ちょっとレクチャーしてください☆
お役にたてるなら、いくらでも!!
協力させていただきます♪
by aroe-happyq | 2011-05-30 19:55 | 江戸城の大旦那 | Comments(6)