2012年 07月 27日
一橋家の富士山
一橋家には下屋敷があちこちにありました。
そのなかのひとつが江戸切り絵図の「牛込市ヶ谷大久保絵図」にみえます。
で、よーくみると・・・・・なんだか山がみえます。
しかも不二山!です(笑)
このあたり、今では新宿6丁目。
で隣に書かれている「西向天神」を目印にして、
ちょっと行ってみたわけであります☆
で、境内に入る前にちょっと絵図にあるように右のほうへ行ってみると。
なんか、もこっとした山があります!
その位置を確認して、いざ境内へ♪
やはり、ありました!!
でも、このちーさな山は大正時代に再度築かれたものらしい。
ということは江戸時代にあった山は・・・・・・かなり大きかったのではないかと
思われます!!!
江戸郊外には、千駄ヶ谷の鳩森八幡に大きな富士山(築山)があり、
それは現在でもそのまま存在しています(写真加工後、後日記事にしますね♪)。
現在でも「山開き」なんていう日もあってかなり本格的!
そのほかでは、大きさからいうとこの一橋家の不二山でしょうか???
(新宿区戸山にある旧尾張藩下屋敷の大きな築山は富士山ではないので)
ということは一橋家でも「山開き」とかやっていたのでしょうか。
なかなか一般公開はされなかったとは思いますが、でも
そういう日を設けていたのではないかと・・・・・。
大名諸侯も武家以外でも市民や農民等も含めご近所とのお付き合いには
かなり気を遣っていたそうですから(笑)。
そして、やはり一橋家というと、最後の将軍こと慶喜公も
この下屋敷の不二山に登山(笑)したのでしょうか。
↓場所は下記のとおり。どの駅からも遠いです・・・・
ちなみにこの地図にみえる、西光庵には尾張家藩主徳川慶勝とそのご家族
のお墓があります。
この近くだと早稲田の高田富士や
護国寺の音羽富士は知っていたのですが、
東新宿にも富士塚があったんですね。
近々行ってみたいと思います。
(数年前に新宿の博物館で、
富士講の展示はみたのですが…)
目黒の富士塚が旗本の家の庭にあって、
有料開放していたという内容の展示を、
去年目黒の博物館でやってましたよ。
>目黒の富士塚
目黒あたりの旗本屋敷になりますと、庭も大きそうですが、
富士塚があるのですね(しかも有料開放とは・笑)!
貴重な情報をありがとうございます!!!
それにしてもいたるところに富士塚があるものだと・・・・・
江戸時代の富士信仰恐るべし、であります。