2014年 08月 17日
岩瀬忠震 153年目の命日
文久元年7月11日(1861年8月16日)バージョン
として、行ってきました。
(昨年は岩瀬忠震の弟分の木村摂津守の日記にある、
7月10日(西暦だと8月15日)バージョンですた)
今年は、岩瀬の命日に墓参へ行くようになって初めて!!!!
涼しかった~~~~~っっ(感涙)
毎年、なぜかお盆の季節、35度以上当たり前で、
初めていったときなんか、38度!!!
毎回、死にかけます。
それが今年は曇り空で、30度ちょい。
往復、歩きでしたが、
嗚呼・・・・・快適でした(笑)。
なので、いつもよりちょっぴり長くいられました。
先日、横浜にいったので、「岩瀬さんが強硬に主張しなければ横浜港なんか存在せず、
神奈川宿の狭いエリアが開港地になったはず。ハマっ子はそうした地元の恩人を知らず、
繁栄を謳歌しております。あまり良いことではありません。一日も早く県庁の横にでも、
岩瀬像がどーんと立つ日が来ることを願っておりますデス」
と報告しましたところ、とくに反応なし(笑)。
自分の銅像がどうとか、そういうのはあんまし、興味なさそうだな、岩瀬蟾州殿(笑)。
(ファンとしては、同じく横浜に立つ、エセ開国大老・井伊直弼像よりデカイのが、見たい。
それも横浜の海がみえる場所にネ←欧米を訪ねてみたかった岩瀬公へのせめてもの供養に)
さて、毎年のことなので、特に変化のない時は命日の記事はUPしないわけですが、
(たとえば昨年とか(笑))
今年は大きな変化が!!
岩瀬家のお墓へ通じる道にこれが立っているわけですが、
やけに周囲がスッキリ!!!
どうも後ろの木を切ったようです。
お陰で、「岩瀬肥後守墓通」が実にわかりやすくなりました☆
皆さんも雑司ヶ谷霊園へお運びの際には、ちょいと岩瀬さんところへも
寄ってやっておくんなさいまし。
結構寂しがり屋さんだと思うので、歓迎してくれると思いますヨ♡
本日新宿の東京都健康プラザハイジアで開催中(21日まで)の、山高登という版画家の展示を見てきたのですが、山高登先生は幕臣山高信離の孫で、山高信離が岩瀬忠震の次女と結婚しているので、岩瀬の曾孫にあたるそうです。
山高先生には一度お目にかかったことがあるので、衝撃の新事実だったのですが、パネルを見てこのブログの事が頭に浮かんでしまいました。
簡単ですが御報告まで。
ちなみに山高先生は御存命です。
情報に接した際に、拙ブログを覚えていただいておりましたこと、
本当に感謝いたします。
新城市設楽原歴史資料館の図録『開国の星 岩瀬忠震』の家系図によりますと、
たしかに次女の幸子(岡部長常の養女となって、嫁いだらしき記述も)は、
山高信雄の妻になっております。
その山高家の御子孫が、版画家になっていらっしゃったとは!
健康プラザハイジアに行ってみようと思います☆