2014年 08月 29日
文久三年の松本良順上洛時期 @勝日記
昨年の11月、松本良順の慶喜への治療時期について。
では、松本良順の上洛時期について、拙ブログでは軍艦奉行の木村摂津守日記を使って
確認をとりました次第ですが、
勝さん祭り中にじっくりと勝海舟日記を眺めた流れもあって、
だめ押し的に、勝海舟日記のほうも引用しておきたいと思います☆
文久3年1月22日
午後、春嶽殿御乗船、従属八拾余人、
監察杉浦正一郎、奥御右筆西尾錦之助、松平太郎外(ほか)、
便船奥医師石川玄貞、松本良順、徒目付弐人、小目四人
29日 湊川江御上陸、午後大坂に到る。
○本日春嶽公御上陸 ○我輩上陸。
(『勝海舟関係資料 海舟日記(一)』 東京都江戸東京博物館都市歴史研究室編 45P)
この春嶽公を乗せた順動丸は勝サンが船将(艦長)として乗船していたので、
それはもう、詳しいわけです。
(この『勝日記』、毎回図書館でチェックしているわけですが、江戸博・・・再版してくれないものか・・・・)
で、この船旅に目付杉浦が同行していたのなら、
ということでダメダメ押し的に杉浦の日記もチェック。
(松本の名は出てこないですが、日程だけでもということで)
正月22日順動丸乗組、23日品川出航、同29日着坂。
2月3日夜於伏見、春嶽御下ケ・・・・・・・
(『杉浦梅潭 目付日記』 89P、90P)
1月29日に大坂到着(勝はここから神戸へ行ってしまう)、杉浦日記では2月3日夜に伏見着いているので
前の記事で紹介いたしました、yu-さんの検証の裏はさらに確実にとれましてございます♡