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東都アロエ

福留真紀 「将軍と側近」 @新潮新書

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福留真紀 著
 
将軍と側近


新潮新書



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福留真紀氏は江戸の側近政治(側用人や御用取次)の研究をされて
いらっしゃるので、論文はもちろん、旧著の『将軍側近 柳沢吉保』なども拝見してまいりました。
なので、今回も書店でこの新刊をみつけると、中身もみないで、レジへ直行した次第です(笑)。

※ちなみにワタクシ、江戸末期にハマるよりはるか昔から、
将軍家宣公にぞっこんでして、ベストオブ徳川将軍はもちろん、今でも家宣さまでございます。

柳沢の本の次は、ぜひとも間部詮房をと・・・・・と思っていたわけですが、
これは吉宗の儒者・室鳩巣の本。
とはいえ、読んでいくと、室さんの生涯をたどる内容ではなく、
その書簡から家宣・家継・吉宗政権をみつめるという、私的にどストライクな本でした。

というのも、室鳩巣は新井白石と同僚(といって、家宣信頼度ランキングでは下)だったので、
家宣や家継に直接会う機会は少ないものの、新井からその様子をとれたて新鮮な状態で聞く
ことができて、それを親しい人への書簡に書いて今に伝えてくれているのです。
吉宗政権のせいで、その前政権の事があんまり残っていないし、
新井白石の本は晩年の、かつて華やかなりし時代のドリームは入っていて、
そのまま受け取れないシロモノなので、家宣や家継についての情報が少ないのです!
なので、今回の本は、まさに、ありがたや、ありがたや・・・・・。

しかし、今回室鳩巣の書簡情報から浮かび上がる家宣公は、
新井白石のドリームをはるかに越えた、おそるべき仁徳の将軍でありました。

前政権綱吉さん(家宣のおじにあたります)がバブルの勢い&晩年の江戸地震や天災
でお金を使いすぎて、家宣が将軍職を襲ったときには国庫はからっぽに近い状態でした。
なんと、家宣の将軍宣下の儀式をまともに行えないほどの貧乏ぶりだったのです。
そこで、勘定奉行たちは、家宣に貨幣の改鋳を進言した。
すると、家宣は・・・・・

そなたたちは、金銀吹き替えを御先代が命じられたので、地震などの時、
無事に済んだと申した。しかし、それが無ければ、地震などの天災は起らなかった
のではないかと思う。そのようなことはせず、将軍宣下なども、どのようにでも済ませ、
金銀はそのままにすべきだ。
その上で、思いがけずまた、地震、火災などの大きな変事が起こった時は、
天下のためにこの身が潰れても構わないと覚悟している。
(同書 P37~38)

これを聞いたある人(たぶん進言した人ね)は
御自身の身に代えても天下の難儀をお救いくださるとのこと、
何もいうことがきでない
」と泣いたそうな。
白石も聞き、そして白石から聞いた室鳩巣もみな感涙にむせんだというが、
この本を読んだ、わたくしめも、マジで泣いてしまいました(笑)。

家宣が言っていることがわからないという方も多いと思うので解説すると、
これは儒教の教えで、ざっくりいいますと、施政者に徳がないと(天からのバツとして)天変地異は
起こるというもの。家宣は綱吉が生類憐れみの令の乱発や改鋳を行ったことが
天を欺く悪いことで、そのために元禄地震、富士山の噴火等々がおこされたのだと
考えていたようです。

だから自分は貨幣の改鋳はやらないと。そのための責任は一身にうけるという
すばらしいお覚悟。
・・・・・・ここまで、儒学にどっぷりだなんて、さすが学者将軍!お見事です。

こういうタイプは理想論で頭ガチガチ、浮き世離れした人と思われがちですが、
(現にこの本でも、家宣のことを理想論者としている・笑)
旗本が困窮して困っていると知って、大量に登用したときなど、
まだ子供なのに年齢を偽って役職に就こうとするズルい人がけっこういたようなのですが、
そういうのは目をつぶってあげます、採用してあげましょう、と寛大だった家宣。
建前は建前として、良いことの場合はちょこっとぐらい大目にみるという幅の広い人なのです。
(といっても、儒教ってそもそもあの中国の教えですから、もともと現金なトコロがある(笑)。
江戸の人はそのあたり、儒学の教えの奥の奥を、うまく汲み取って有効に活用していたと思います)

こういう家宣に対して、室鳩巣もいたく感激して、
珍しいほど心が広く情け深い主君」とか「権現様の再来」などと
褒めたたえています。
(権現家康って、こんなに情け深かったっけ?などと突っ込んではいけませんな・笑)

家宣公は亡くなる際も最後まできちんとして立派なのですが、
今回、幼い家継将軍の後見となっていた尾張吉通(25歳)の高潔で素晴らしい様子を知った
ことも、たいへん収穫でした。
(綱吉は御三家の序列を無視して、紀州に自分の娘が嫁いだからといって、紀州綱教
を後継者にしようとしましたが、家宣は御三家の序列はしっかり守る人でしたので、
家継になにかあれば、その後継には、尾張以外は考えられない、としていたそうです)
この吉通も家宣の遺志に応えようと、家継将軍の後見役としてしっかりと支えていたそう。
ところが、それほどたたないうちに急死してしまったのですよね・・・・・。
もしご存命でしたら、おそらく8代将軍になっていたはずなのですが、
きっと良き将軍になったでしょうから、こちらも本当にもったない!!!

このほか、家継がまだ4つや5つの子供なのに、かわいらしさのなかに聡明さが垣間見られる話や、
(この子が大人になっていたら・・・。顔良し、頭良しのすんごい将軍になったかも)
老中や増上寺の坊主どもにナメられそうになったときの間部詮房の完膚なきまでの
理論攻撃が素晴らしすぎる点等々、どれもこれも、記事にしたいぐらいですが、
営業妨害になりますので、このあたりで落ちつこうと思います。

最後に、8代将軍に紀州の吉宗を推すことになった、家宣の御台所こと天英院が、
越前守(間部詮房)のことは、文昭院様(家宣)の御取り立て者なので、
以後お見捨てになりませんように

と吉宗にちゃんと伝えていたのだという。

よくある巷説の大奥ドラマや漫画や小説だと、天英院と間部がさも対立しているように
描かれていますが、私は昔からそういうのは「たわけ!情報収集不足じゃ」と思ってきました(笑)。
家宣を甲府宰相時代から支えていた両輪こそ、天英院煕子と間部詮房なのですよ!
2人は奥と表から、それぞれ役割分担して、家宣を助けていた同志であり、
7代将軍生母の月光院などと間部がくっつくわけがないのです。
(間部詮房はそもそも、そんなセコイ次元で生きていません。自分の栄達より、
ひたすら家宣への忠誠で頭からつまさきまで構成されているのが詮房なのです)
月光院dって、自分の立場はよく心得ていて、天英院の下で、間部の指示もよくきいていましたし。
この2人を越えようとかそういうくだらない野心もありません。

なので、今回、吉宗にこのように天英院が伝えていた、という書簡があると知って、
本当に、ワタクシ、「ほらごらんなさい!」とどや顔になってしまいました(笑)。

この本が多くの人に読まれ、早くですね、「大奥」ものとか「江島生島」などで描かれるような
腐りきった家宣家継政権のイメージが一掃されることを願ってやみません。
(家宣が好色エロジジイに描かれている作品などもってのほかです!!)

今年最後に、本当にいい本に出会えました。
この本のなかの家宣や詮房の言葉を読み返すだけで、ごはん5杯いけちゃいますよ!
本年にマイフェイバリットBOOKの第1位と、勝手にさせていただきます。
(2位は氏家幹人氏の新書♪)
by aroe-happyq | 2014-12-25 14:39 | | Comments(0)