川路高子の日記より~150年前の春を思う

たいへん、ご無沙汰しておりました。長らくブログを放置してしまい、申し訳ござらぬーーーーーーっ。
ここ数ヶ月、過労死しそうになって、ネットとか見ない日が続いておりましたが、ようやく人間に戻りつつあります(笑)。
慶応戊辰より、150年の節目に、もっとたくさん、徳川のこと、江戸のことを記事にしたかったのですが、
気がついたら、もう11月かーーーーって、感じです。

さて、久し振りに、川路ファイルを漁っていたのですが、ふと川路聖謨夫人の高子(おさと)の日記に眼が。
『上総日記」といって、慶応4年の3月15日、聖謨が銃と刀によって命を絶った当日から始まり、上総の親類のもとへ避難し、
6月に江戸に戻るまでを綴った日記です。
(翻刻があります。藤貫久美子・渋谷葉子「『上総日記』翻刻ー付 川路聖謨・高子史料目録ー」学習院大学史料館紀要13 2005年)

夫を失い、実子ではないけれど、幼い二人の子の母として、子を守り、また英国に留学中の孫の太郎を心配し、
自らの持病(かなり重度の更年期障害?)を抱え、それでも気丈なおさとさんは混乱の江戸を生きていきます。

夫の埋葬等々を済ませ、上総の様子を見ながら、避難すべきかどうかさぐっていた、3月24日。
おさとさんは、幼い子たちに、言って聞かせます。

今、はからずも、上様には讒人(ざんじん)の為に、かしこうも朝敵の御名蒙りらせ給い、官軍よせ来て、
すてに大城(江戸城のこと)を取りかかる大事の時に至りて、子孫の為、世にもののふの手本としも成り給ひし、
父君の御さいこのさま、かくなむ有きと、いひきかせ、
国の乱れも、上様の御はつかしめも、父君の御最後も、
皆、薩州、長州のわさなり、仇は此両州なれハ、汝等、今幼き事によくととめて、
今よりおとなしく、書をよみ、武芸学ひて、成人の後、かならず君と父との仇を打へし
(以上、上記の翻刻より)

聖謨と、エスプリを利かせた素敵なやりとりをしていた、賢いおさとさん。
さすが、よくわかっていらっしゃる!
ポイントは、やっぱりここ!↓

国の乱れも、上様の御はつかしめも、父君の御最後も、
皆、薩州、長州のわさなり、

これが、やれ革命だ、やれ日本近代かの嚆矢だと礼讃される(こういう書き方をしているとなんかチコちゃんのナレーションっぽい(笑))、
明治維新の核心です。
おさとさん、ありがとう。

今年の大河、6月の大島編でやめてしまったあと、視聴を続けていた幕末友や地元の友から、
LINEやメールで、会津の書かれ方や、慶喜の書かれ方の件で、血の叫びのメッセージをもらって、
ますます「みるのをやめて良かった」と思っていたのですが、
北川景子さんの篤姫の最後の場面があるとのことで、恐る恐る、「江戸開城」だけみちゃったのですが、
もうね、ひどいとか通り越して、笑いながら見てしまいました。
泣き落としで、江戸を救う勝海舟!(うそ~~っ)
すべて、ロッシュのせいにして、西郷となんか和解ムードの慶喜!(ありえなーいっ)
どこをどうみても、鶴瓶にしかみえない、岩倉具視!
(なんで、具視が大阪弁なんだーーーーっ)
本来は、将軍不在のこの時期、触書とかバンバン出して、江戸の治安を守っていた格好いい天璋院のはずなんだけど、
なんだ、西郷とほっこり昔語りかよーーーーっっとか、
いや、西郷が、馬鹿なまんまで江戸にいた!にも、じぇじぇじぇじぇ!この人のどこが革命家なの???見えないんですけど!??
歴代の幕末大河史上、こんなに安っぽい、軽薄な徳川瓦解をみたのは初めてです(笑)。
どんだけ、今年の大河の脚本家は、歴史無知なんだろうか。驚いた!
(書く人がこんなレベルだから、主人公の西郷もこんなもんなんだな)

ちょうど、おさとさんの日記をみたので、
つい、このひさしぶりの視聴を思い出し、
笑いと、怒りを通り越して……ふと、浮かんだ憐情も、思い返されました。
(鹿児島の大河館が、長州大河に続いて、お客さんの出足が悪いよし。それだけはマジで気の毒)

あーあ、こんな大河をみて育った少年少女は、幕末が嫌いになるんだろうなーーーーー(涙)。

おさとさん、150年経っても、日本はこんなもんです、ごめんなさい~~~~~~~~っっ


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by aroe-happyq | 2018-11-11 20:18 | 幕臣系 | Comments(0)


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