2006年 11月 04日
もらい泣き~立花種恭さんの場合
(江戸城で戦うべきか、恭順かで大評定が行われていたときのこと↓)
さて愈愈御恭順と決し諸向へ達すと、満城の士が泣き出すもあり、
落胆するもあり、それはそれは大変な事でした。
(略)
或る夜真っ暗な松の廊下を駈けて行きますと、大男が両人で
左右からつかまえました。刺客かと思いまして誰だと申しましたら、
出雲殿ですか、和泉(榎本)と讃岐(矢田堀)ですと答え、
上様の思召しはと尋ねますから、上には御謹慎のほかなしと隠さず
申しましたら、両人とも、エエ有難うございますと突っ伏して、
神祖の千苦万苦してお立てになったこの家を、どう遊ばすのです、
と言い泣き出したので、私も泣き出し、三人で泣きました。
で、そのちょっと前の話もひとつ。
慶喜がいきなり江戸に帰ってきちゃって(以下再び、立花さん談話より)、
驚き入りました次第と申上ぐると、(慶喜は)アハアハとお笑いになり、
その御寛量に驚きました。
・・・・慶喜、アハアハじゃないぞ(怒)と思いつつ、
徳川瓦解のたいへんな時期の体験談ですが、・・・・不謹慎にも、
榎本さんと矢田堀につられて泣いちゃう立花さんが、なんか可愛いです。
(立花さんは当時若年寄でした)
とくに榎本は「将軍さまは腰が抜けたか、恭順するとは」と満座のなかで
叫んだツワモノ(こちらも立花談話より)。熱い男なのですね。
松の廊下は忠臣蔵の舞台だけじゃなく、男三人がおいおいと泣いちゃった、
そんなせつない現場でもあったのだ、ということを立花さんに教えてもらいました(爆)。
今度、東御苑にいって松の廊下跡をみつめて、
立花と榎本、矢田堀の姿を思い浮かべることにします。
*追記
↑このときはうっかりしていて御殿そのものを間違えていました。
東御苑ではこの「もらい泣き」は偲べないのです(爆)。
詳しくはこちらで。
BGMは、ちょっと懐かしい、一青さんの「もらい泣き」ということで♪












