2006年 12月 23日
英国使節への応接と風聞探索書
『井伊家史料 幕末風聞探索書』上にこの英国使節接待について、
誰が書いたか不明の「江戸風聞」書きがある。
(あて先は井伊大老など閣老中枢←異国風が嫌い派)
風聞探索書というのは、御徒目付や小人目付、茶坊主などが老中や大老へ送るレポで、
その内容は江戸のほか、水戸や京都など遠隔地の情報、役人の行状、
町の様子など多岐にわたっている。
今回は役人の行状についてのチェックレポということになる。
安政五年七月 (江戸風聞)
一此度英人御取扱全く御御両候御働にて、御都合宜き事。
岩瀬肥後守
永井玄蕃頭
右(ここでは上)両人は邪智奸侫の者一印の徒の有之、御要心の事。
一堀田(備中守)同類異國風をこのみ、彼れに諂ひ候由の事。
一右様の者外國奉行申付其一術に有之、当時勤振考中の事。
堀織部正
井上信濃守
右両人岩瀬・永井に同意の事。
但岩瀬・永井如き邪智は無之、織部の方は随分手堅き趣にも相聞候得共、異國風に染候事は同前。
(略)
水野筑後守
右素より同役とは見込別段に付、先達岩瀬・永井等堀田へ申立、應接をはなれ候事。
一今度外國奉行の内、筑後を邪魔に致候趣に付、又々讒訴可致も難計御要心の事。 (以下、略)
要約すると、英国使節の応接を岩瀬・永井はよくやっていた、が!(爆)
悪知恵が働くし、外国の風俗に染まっていて危険である。 堀と井上は岩瀬たちのように悪知恵はない。堀はかなり手堅いらしいが、彼らも外国の風俗に染まっているのは同じ。
水野は外国奉行の同僚(岩瀬・永井・井上・堀)とは意見が違い、応接役から離れた。また邪魔にされているらしい。
・・・・・という感じ。
外国奉行ゴレンジャーが揃い踏みでの初仕事だったのに、なんだか書かれたい放題。
岩瀬&永井を邪智奸侫の者だなんて、失礼な(笑)。
なんだか随分ひどいレポートだが、これなどはまだ優しいほう。
(岩瀬を弾劾したくてたまらないレポなんて、とんでもない内容だし)
彼らは一橋派だから他ではもっと書かれている。
これのように、誉められているだけでも、びっくりなのだ。
・・・・・・・しかし、水野、やはりひとりぼっちか・・・・・・・・・・。
(永井と一緒に英国使節接待をやってたはずなんだけどなぁ)
英国の本には好意的に書かれているのに、なぜか本国のレポでは
けちょんけちょんというのが哀しくて、ちょっと掲載してみました。
というかこういう裏レポが残っていたというのもなんだか凄い話ですけど、井伊さん家って。