2007年 01月 20日
永井提督、語る。~フランス使節との会話
なぜなら細密な描写があるので、当時の日本の様子や会話が
リアルな感覚で味わえるからだ。
というわけで、前回の水野外国奉行問題が出たところこともあり、
今回は日仏修好通条約のためにやってきたグロ男爵一行の記録を紹介。
もちろん独断と偏見にみちているので、外交会談のところだけ。
このときの外国奉行はもちろんあの五人。
筆頭全権委員 水野筑後守
第二全権 永井玄蕃頭
そして、英国使節と同じく、いつものツートップなわけです。
(井上と岩瀬はハリス掛で忙しいし、堀は箱館奉行兼任なので)
六人(目付を外国奉行と間違えている)の外国奉行に別れの挨拶をし、
フランスでの再会を約束した。
そして第二全権委員永井玄蕃頭はチュイルリ宮つきの大使に拝命ずみであると
我々に説明した。(略)・・・・
そこでどのように渡仏するのかとたずねると、永井は、
日本人の乗組員とともに日本の軍艦に乗ることになるだろうし、
軍艦はメーンマストに国旗、つまり白地に日の丸をなびかせてツーロン港に
接岸するだろう、とのことだった。
提督、なんだかかっこいいですぞ(笑)←なぜか
つまり徳川海軍でおフランスへ参るという素敵な計画だったのです。
きっと勝も矢田堀も沢も榎本もわくわくしていたに違いないでしょう。
でも艦長(というか船将)は勝麟さんより、矢田堀さんのほうを推薦します。
慎重な性格なので長い航海向きではないかと思われるので。
・・・・という妄想はさておき。
こうしてこの時代についての本を読んでいると、日の丸ってしみじみと
徳川ジャパン(サッカーみたいか!?)の旗しるしなのですね。
思うに、なんで明治新政府はこれをそのまま採用したのか?(と意地悪なつぶやき)
「維新」したなら旗もかえればよろしいのに!
おほっほっほっ (フランスだけにベルサイユ風@宝塚)
いささか飛びすぎましたが、さてさて。
この旅行記の珍しいのは、岩瀬の記録がないこと。永井だけなのも珍しい。
・・・・・さては岩瀬さん、英語習得に夢中でフランス語には興味なしか!?
というわけで、英国の記録に続き、安政五カ国条約締結の記録から
外国奉行の部の紹介でした。
「フランス人の幕末維新」 有麟堂新書53
第一章 全権団随行員の日本観 より