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東都アロエ

国会図書館に行く。

仕事の調べもの・・・・・・という理由をつけて、今年初の国会図書館にいってまいりました。
調べものをしながら、本を請求し、雑誌を請求し、コピーにいき、雑誌はオンラインコピー
したり・・・・・・といつものごとく、落ち着いたかとおもうと動く!の繰り返しでしたが、
今日はとっても空いていて♪、サクサクと作業が進みました。
(論文シーズンはそういえばほぼ終わり?のはずなので、それもそうかと・・・・)

本日のメインの獲物(爆)は、『岡山県史』26巻に収録されている、
「艱難実録」というもの。

木村宛書簡の史料をコピーした際、同じ『横浜開港記念館紀要11号』のなかに、
西山武臣 「松山藩士の見た戊辰戦争」
という史料紹介があり、興味津々でこちらもコピらせてもらったわけで、
そこで紹介していたのが「艱難実録」だったのです。

これは松山藩主板倉勝静の家臣辻七郎左衛門の回想録。
朝敵となり北へ北へとむかう板倉の、箱館、そして蝦夷地脱出、自首を傍らでつぶさに
みていた回想で、当事者でない分客観的にみているので興味深い。
だけど板倉&小笠原は、「大名はいらない」榎本たちに冷遇され(爆)、そこのあたりは
忠実な家臣として涙涙の・・・・軽い恨み節が入っていて、厳しい榎本発言なども楽しめる。
で、その「艱難実録」の原文が読みたくなったわけでした。
(おいおいこちらも紹介していくつもりです)

それから、昌平坂学問所に関する論文4本などなど、なかなかの収穫でした。

自分で昔からささやかながら不思議な能力というのがあって(笑)、
ぱっと本をひらくと、探そうとしている項目にバッチリ当たること。
今日も寛政譜で、とある元禄時代のある人を探そうと、まずは索引で巻数を確認し、
その巻を適当に開くと、その名前の人にピンポイントで当たりました。よっしゃ!
ということで仕事の調べものがスムーズに進んだ分、趣味に時間を費やせました。

ただ、ひとつだけ失敗したのは、請求した紀要がまだ国会図書館に未納だったこと・・・・。
この紀要、たしか2004年なのですけど・・・・京都大学さん、もう何年たっているのでしょう。
待ってます・・・・。
だって、論文の後半(つまり(下)というやつです)が収録されているのに!

都立図書館も、なかったし(あるのですが途中で停止になったまま)。
ちょっとほかのところもいったら、2002年でとまっていた・・・・・・・。
国会図書館は2003年で止まっている。←なので(上)だけがうちにあるのだ!
かならず探してみせよう、ホトトギス!(爆)

*追記*
探していた紀要は、あっけなく
京都大学で電子無料公開していたので、PDFで保存しました。ホッ。
だけど93P・・・。プリントアウト・・・・。
(上)はB4コピー済なのに、こっちはA4。嗚呼、我的コピー収集美学が・・・。

ちなみにその論文とは、
高橋秀直「文久二年の政治過程」 京都大学文学部研究紀要42.43号掲載
でして、電子公開は、
こちらです。

岩瀬の史料がそろいつつあるところで、永井さんのことを調べていくと、
このあたり(文久二年)は押さえておかないといかんと思い、
今まで王政復古の論文をいろいろ拝見してきた高橋さんの論文にて教えを乞おうかと思いたった次第。
(上)を読みましたが、とても面白いです。
(さらに41、44にも高橋さんの論文があります!・・・・44号のは今日知りました♪)
Commented by 入潮 at 2007-02-01 02:20 x
艱難実録。まさに読みたいと思っていたところでした…! びっくりです。
つい先週も、土曜日に国会図書館に行こうと思っていて、仕事をぬけられなかったので泣く泣く諦めたところです。そこにこちらの記事。何か通じているのではなかろうかなどと、ときめいてしまいました。

あと「艱難実録 板倉家中幕末秘話」として高梁市郷土資料刊行会から刊行されていて、こちらを読もうと思っていたのですが。岡山県史にも収録されていますとは。これだと職場近くの大学図書館で読めますので、助かります。コピー代も安く済む。教えてくださってありがとうございます!

当人の伝記なのに著者の小姓になんだか切ないことを言われてしまっているようですが。箱館まで赴いた大名達の扱いの具体的なところには前から興味がありましたし、早速暇を見つけてアタックしてみたいと思います。
あと、論文のご紹介もありがとうございます。こちらも面白そうですー。京都大学、気前いいですな。研究内容の一般開放、京大は率先して行っているようで、頼もしい限りです。
Commented by はな。 at 2007-02-01 10:40 x
入潮さん、こんにちは!
艱難実録、やはり注目されておりましたか!偶然とはいえまるで以心伝心のようでとても嬉しいです。
板倉さんは徳川瓦解まで永井とは相棒のように慶喜のために働いていた人。慶喜には『昔夢会筆記』などで都合が悪くなると「あれは板倉・永井がやったことで(自分は知らない)」などとうそぶかれる二人です(笑)。
その板倉が箱館でどういう風に過ごし、去っていったのか気になっていましたらこのようにありがたい史料が・・・・。
榎本が蝦夷地に赴いたのは徳川家臣が食うためだったので、どうしても大名が客分扱いになるのは致し方のないこと。でもパラパラ読んでみると、お金もない、名誉もない板倉さんの蝦夷地の冬は相当キツかったようです。傍にいた辻さんもさぞかし無念だったことでしょう。・・・・そしてかつての相棒の永井も、榎本と板倉の間でちょっと板ばさみになってたいへんだったかも(笑)。

話は変りまして。京都大学文学部は素晴らしいです!たださまざまな図書館に寄贈する手間をはぶくにはこのネット公開はもってこいかもしれません。
そしてこの論文のように分厚い場合、プリントアウトが悩みの種です(笑)。
by aroe-happyq | 2007-01-29 19:01 | 広く幕末ネタ | Comments(2)