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東都アロエ

赤穂浪士の討ち入り~旧暦シリーズ1

本日、2月1日は旧暦の12月14日。
つまり、元禄15年に赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日。

たしかその日って大雪の次の日だったはず。

平成の今日は雪の気配ゼロの、かなりの暖冬です!
昨日なんて春かと思っちゃいました。
この気候の違いはなんだ!(笑)

赤穂の浪士の義挙、ということで有名だけど、
吉良さんの事情を思うとちょっと胸がいたい。

賄賂をねだったとか、いじめたとか、こういう有名な話は実のところ、
浅野さんがなぜ吉良さんを襲撃したのか、はっきりしないゆえの憶測にすぎない。
吉良が「まったく、なぜ斬りかかられたのかわからない」
と3月14日の事件後の取調べで証言しているのは本音ではないか。
浅野に賄賂をねだるほど銭に困ってないし、勅使の接待の準備で、
いじめる暇もなかったのだ。
もし浅野さんが怒ったとしたら、ちょっと心あたりがあるのですがそれは旧暦シリーズの
3月14日の日に(爆)。

さて、浅野に斬りつけられてからの吉良はさんざんだった。
将軍の下した吉良への処分が軽すぎたのも、世間の悪い評判に油をそそぎ、
痛くもない腹をさぐられ、高家のトップ的役割からはおろされ、
ついには屋敷を本所に移すことになった。
まさかそんなことになるとは思いもしなかったため、移転前の一等地にあった屋敷は
趣向をこらした素敵な家にリフォームしたばかりだった。
それを捨て、泣く泣く本所へ。
華麗な交友関係の友人ともなんとなく疎遠になり、吉良は気鬱の病で床についてしまう。
やっと床から這い出して12月の初旬には茶会など催して(実は赤穂のみなさんは
茶会とぶつかるのを避けて14日に討ち入り予定日を変更している)
再び家はきれいにしたいと、本所屋敷をリフォーム中に12月14日はやってきた。
改装中だったため女中たちは別の屋敷にいたことで助かったが、どうやら
赤穂浪士に襲撃されるなど露とも思っていなかったらしく、無防備なままで襲われている。
いや、しかし予兆はあったはずだし、幕府の知り合いからは危ないよと警告は受けていたと思うので、それを信じなかったというべきか。
「まさかそんなこと・・・・」
とおもっていたのかもしれない。だって天下泰平の世だもの。

討ち入りされなくても、吉良はすでにしおしおでよれよれで、やはり同情してしまう。
もちろん、主人の一瞬の暴挙で無職になった赤穂の浪士も気の毒だ。
この事件、誰が悪いって、やっぱり松の廊下事件で、
微妙な裁定をくだした綱吉だと思うのだが、どうだろうか?

よくある「裏の裏の歴史」というやつで、実は徳川家康は征夷大将軍になるため、
源氏の系図を吉良家から買ったという話があるとかないとか(笑)。
それゆえ吉良家に頭が上がらず、五代将軍としてはいいかげんなんとかしたかった・・・・
なんて、それはただの噂ですけど(笑)。

でもやっぱり義挙ということになっていますが50人弱で
明け方に屋敷を襲うって、どんなに理由をつけても武士のモラル的にそれって・・・・。
by aroe-happyq | 2007-02-01 14:56 | 旧暦シリーズ | Comments(0)