2007年 02月 01日
赤穂浪士の討ち入り~旧暦シリーズ1
つまり、元禄15年に赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日。
たしかその日って大雪の次の日だったはず。
平成の今日は雪の気配ゼロの、かなりの暖冬です!
昨日なんて春かと思っちゃいました。
この気候の違いはなんだ!(笑)
赤穂の浪士の義挙、ということで有名だけど、
吉良さんの事情を思うとちょっと胸がいたい。
賄賂をねだったとか、いじめたとか、こういう有名な話は実のところ、
浅野さんがなぜ吉良さんを襲撃したのか、はっきりしないゆえの憶測にすぎない。
吉良が「まったく、なぜ斬りかかられたのかわからない」
と3月14日の事件後の取調べで証言しているのは本音ではないか。
浅野に賄賂をねだるほど銭に困ってないし、勅使の接待の準備で、
いじめる暇もなかったのだ。
もし浅野さんが怒ったとしたら、ちょっと心あたりがあるのですがそれは旧暦シリーズの
3月14日の日に(爆)。
さて、浅野に斬りつけられてからの吉良はさんざんだった。
将軍の下した吉良への処分が軽すぎたのも、世間の悪い評判に油をそそぎ、
痛くもない腹をさぐられ、高家のトップ的役割からはおろされ、
ついには屋敷を本所に移すことになった。
まさかそんなことになるとは思いもしなかったため、移転前の一等地にあった屋敷は
趣向をこらした素敵な家にリフォームしたばかりだった。
それを捨て、泣く泣く本所へ。
華麗な交友関係の友人ともなんとなく疎遠になり、吉良は気鬱の病で床についてしまう。
やっと床から這い出して12月の初旬には茶会など催して(実は赤穂のみなさんは
茶会とぶつかるのを避けて14日に討ち入り予定日を変更している)
再び家はきれいにしたいと、本所屋敷をリフォーム中に12月14日はやってきた。
改装中だったため女中たちは別の屋敷にいたことで助かったが、どうやら
赤穂浪士に襲撃されるなど露とも思っていなかったらしく、無防備なままで襲われている。
いや、しかし予兆はあったはずだし、幕府の知り合いからは危ないよと警告は受けていたと思うので、それを信じなかったというべきか。
「まさかそんなこと・・・・」
とおもっていたのかもしれない。だって天下泰平の世だもの。
討ち入りされなくても、吉良はすでにしおしおでよれよれで、やはり同情してしまう。
もちろん、主人の一瞬の暴挙で無職になった赤穂の浪士も気の毒だ。
この事件、誰が悪いって、やっぱり松の廊下事件で、
微妙な裁定をくだした綱吉だと思うのだが、どうだろうか?
よくある「裏の裏の歴史」というやつで、実は徳川家康は征夷大将軍になるため、
源氏の系図を吉良家から買ったという話があるとかないとか(笑)。
それゆえ吉良家に頭が上がらず、五代将軍としてはいいかげんなんとかしたかった・・・・
なんて、それはただの噂ですけど(笑)。
でもやっぱり義挙ということになっていますが50人弱で
明け方に屋敷を襲うって、どんなに理由をつけても武士のモラル的にそれって・・・・。