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東都アロエ

勝海舟の日記の読み方(たぶんその1)。

勝安房守こと海舟さんは癖のあるお人だ。
癖のある人の日記もとんでもなく癖があるに違いない・・・・・と思っていたら
やっぱりあるらしい。

松浦玲『検証・龍馬伝説』によると、
(スイマセン。龍馬の検証でなく、勝さんの検証のために読んだも同じで)

嫌いとか、不快に思った人物について日記に書かなくなる。
龍馬も神戸で50両を勝さんの元から持ち出して以降、日記から抹殺されたらしい(笑)。
たとえ面会したり、家に泊っていたとしても日記には書かないともある。
龍馬は途中からだからいいけれど、木村芥舟(摂津守喜毅)や矢田堀鴻などは
最初から抹殺!らしいのだ(爆)。

木村は長崎伝習所二期生のときの総監で、勝海舟は随分とお世話になったし、
その後も上司になったり同僚になったり、木村と岩瀬の間のメッセンジャーになったり、
晩年までおつきあいしていたというのにっっ。
・・・・嫌いというよりは、木村さんのそのあまりに恵まれた家庭環境や財力にジェラシー
していたのかも?(でも晩年は日記に木村の名前が出てくる)
矢田堀は、これまた伝習所で幹部候補生として共に切磋琢磨した同志。
ただ学問所でも優秀な成績をおさめた矢田堀さんは伝習所一期生でトップの成績で
修了し、永井総監たちが江戸へ観光丸で帰ったときの艦長もつとめた。
居残り組の勝からすると、永遠のライバルだったともいえる。
・・・・つまり木村、矢田堀側にはなんのいわくも、落ち度もなく、ただ勝さんの気持ち的に
日記に書きたくないリストに入れられてしまったようだ。かわいそうに。

そこで思い出したのが、
以前勝海舟の明治の日記をとりあげたときのこと。

そう、戊辰の年まではコンスタントに日記に登場していた永井玄蕃。
見事に明治8年まで抹殺されていました(爆笑)。
それってちょくちょく会っていての抹殺だと、ちと痛いんだけどなぁ。
(たとえば、出獄してからすぐに榎本さんなどが勝さん宅に挨拶にいっているけれど、
そこに同行していたのに、永井の名前だけ日記にかかれなかったとか(汗))

そんな癖のある、勝さん。
天下国家の構想とかデカイことを考える割に、
ちーさいところでやっかんでいたりする、大政治家にして小市民なところが、
なんだか人間味溢れていてけっこう好きです。
by aroe-happyq | 2007-02-10 10:50 | 長崎伝習所系 | Comments(0)