2007年 07月 02日
お宅探訪 第三回 岐雲園 岩瀬鴎所・永井介堂
(違う角度からの写真にしてみました)
江戸末期のこのあたりの地図をみますと、
ほとんど畑です。
しかしそのなかに浅野長祚(梅堂)の名がみえます。
実はちょうど次回の岩瀬探索書の紹介でここの記述が登場します。
向嶋白髭より三町余隔、浅野備前守抱屋敷隣家八百五拾坪余有之
つまり親しい仲の浅野さんのお隣でした(笑)。
そんな縁でここを買ったのでしょうか。
永蟄居になるまえ、友人たちをこの屋敷に招待していたようです。
工藤宜『江戸文人のスクラップブック』の289ページに、
大槻磐渓におくった岩瀬直筆の「案内図」が載っております。
それをみると本当に浅野さんち、ほかに2,3軒、そして岩瀬邸が
固まっているその周辺は田園に囲まれています。
江戸の屋敷町育ちだった岩瀬さんには新鮮な世界だったことと想像できます。
ただすぐに永蟄居になってしまったので、風光明媚な周辺の道を散策することは
できなかったと思われるので、それがすごく気の毒です。
永井介堂はその点、友人の分も散歩したでしょう。
しかし片時も亡き友を忘れることなく、
庭に祠を建てて手を合わせていたということです。
岐雲園の場所はここです↓
しつこいようですが、となりの公園でもいいので、
史跡プレートのひとつも建ててやってくださいまし。
資料館の地図にも出てたことですし・・・・・・・・・・・。
どーかよろしく!!(って誰に行っているんだか(爆))
2008年春の再調査については→ここ