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東都アロエ

日暮里~鶯谷散策 本行寺から寛永寺まで

昨日の「阿部正弘御命日IN谷中霊園」のこれまたついでに、
その界隈を散策してみました。

しかし最初は雷&雨だし、歩いていたら靴は壊れるし(もともと壊れる寸前だった)、
不吉がいっぱい???でドキドキの散策だったのです・・・・。
戒名に「良徳」と入っている阿部伊勢守に挨拶にいくのに悪いことは
怒るはずがない、なにせついでに永井尚志のお墓にも挨拶にいくのだし、と
いうことで強行してしまったのですが、結局は涼しいし、晴れてきたしで、
よかった良かった、のです☆

で、命日にはスルーした永井さんに挨拶にいくことにしたのも、
やっぱり阿部勢州さまのついで(爆)。
(ホントはまだ挨拶にいけるほどよくわからないことだらけなのですが・・・。
こんな未熟者でスイマセン、永井さん)

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JR日暮里駅北口すぐの本行寺。
これがまたたいへん風情のある素敵なお寺でした。
この頃がいちばん雨が降っていたので本堂の下で雨宿りをしたのですが、
本当に心地よいところでした。

谷中にはこうした古風でおくゆかしいお寺がたくさんありますが、
ここもそのなかのひとつとしてたいへんにおススメ!です。

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こちらのお寺には永井肥前守(本家)のお墓もたくさんありますが、
分家の永井能登守ファミリーのお墓はずーーーーーっと奥の奥に
ございます。
そのなかのひとつに↑この看板とともに、永井玄蕃頭のお墓がありました。
噂どおり、永井の娘さん(最初の奥様)と後添えの奥様と仲良く三人で
眠っておりました。お花もちょこっと供えられてました。
(うまい純米酒のカップ瓶でも持っていったらよかったけど、忘れた(笑)。
でもファンの能登守尚徳さんのほうにむしろ、置きたい感じです)

でも永井家のストーカー?な私のとって最大の収穫は、
お舅さんの能登守尚徳さんの奥方の情報(没年も含む)と、
尚志さんの息子・謹之助くんの情報でした(笑)。

マジで行ってよかった・・・・・・・!!!

と心から叫んだのはこのお二人の情報を知ることができたことです。
(またまた永井本人、ないがしろ?)
とくに謹之助くんは没年(数え年19歳でなくなっている)ほかは、
西周ルートの「津田真道から洋書をもらった」ぐらいしか、
情報が書かれておらず、たぶん賢そうな?若者としかわからなかったのですが、
文久2年に学問吟味を(18歳。釜さんとほぼ一緒の年齢でチャレンジ!)受けていました。
でもお成績は丙科。・・・・つまりはこれまた釜さん並です(笑)。
(釜さんが丙科かどうかは不明ですが。その下の「無」もある(涙))
これより数年前にすでに洋書をもらって勉強しているような子なので、漢学はムリ。
それに思春期に岩瀬さんや釜さんたちがオヤジ(尚志)と「欧米行きたいよねー」と
盛り上がっている屋敷で、どうしたら朱子学なんてやれますか!(爆笑)
そして今回!!!妻帯していたことも判明(笑)。
その奥様、いつかの年(破損していて読めない)
に27歳で亡くなったとあるけど・・・・夫の死後もずっと永井家にいたのか。
すると謹之助没後に養子にきた岩之丞くんとはどうなの?おあねえさま??
(岩之丞さんには別に奥様がおられますので)

・・・・勉強になりましたが、疑問もまた増えた・・・(笑)。

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こちらの本行寺には太田道灌についての石碑もありますが、
こうした一茶の碑なんかもあります。

本行寺を出て、すぐ近くの経王寺へ。

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彰義隊ファンの方々にはすでに有名なお寺です。
しかし彼らをかくまったというこのお寺さん、エライです!

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このように上野の戦いの弾痕跡がいくつもあります。

続いて、谷中霊園へ彷徨い入ったわけですが、
その前に天王寺五重塔跡へ。

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天王寺の五重塔の在りし日の写真です。
昭和32年ごろに消失するまであったのねーーーー。
みたかった~~~~~~~。

・・・・・で谷中霊園での目的を果たして、寛永寺方向へ。

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道を歩いていたら、深川の下町資料館の野外展示がありました。
吉田屋さんは酒屋さんだったそうです☆

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こちらが寛永寺です。
増上寺と同じく、江戸時代とは比べものにならないほど小さくなってしまいました。

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門をはいってすぐの本堂。
実はこの本堂の左側に寛永寺の著名人のお墓がいきなりぽつぽつと
置かれていて、なんともむごい・・・・・・。
墓地からどうして追い出されてしまったのか。気の毒です。

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その著名人の墓の前にでーんと上野戦争の碑が立っていたりして。
でも彰義隊を偲ぶ余裕も与えてくれない、蚊の襲撃がすごくて、
(おかしいです。ほかの寺や霊園ではほぼ蚊と出会わなかったのに)
さっさと退散してしまいました。


ホントを申しますと、日暮里から谷中霊園へいったら、
根津方向へ向かうとより風情ある町並みに出会えます。
もしこのコースで散策をされる場合はちょっと遠出になりますが、
そちらのルートをおススメします☆
(まつがっても、鶯谷駅方面には・・。とつぜん俗世になりますので)

霊園以外では、能登守にご挨拶できたのがなによりハッピーでした!
(婿の尚志さんよりさらに素敵な人物の予感がするので、
ファンなんですよー。尚徳パパの(爆笑))


そして・・・・・・・・・・・。霊園での目的として、ひとつ取りこぼしを発見!
昨夜、じーっと事務所でいただいた案内図をみていたら、
平山省斎がいるのをみつけちゃった・・・・・・・・・・・。
ペリーとの交渉で活躍、堀織部と蝦夷へ行き、下田では岩瀬とタッグの
伝説の名徒目付として出発後、一橋派として活動、転落、カンバックの後は
異例の出世を果たした人物・・・・・。
岩瀬の良き部下として、その手紙のなかで、
「平謙」の愛称で有名な平山謙二郎その人だったのです。
(永井とも親しく、蟄居中も晩年も手紙のやりとりをしておりました)

乙9-1だとぉぉぉ。すぐ近くを通ったよぉぉぉ。
平謙すまん、またいつかね・・・・・・(涙)。
Commented by きりゅう at 2007-08-01 10:12 x
雨の中、駅の北口から南口を放浪させ、靴ずれの中、鶯谷を放浪させ(^^)申し訳ありませんでした。
こんどは小洒落た甘味処をみつけたいもんですね~。
Commented by はな。 at 2007-08-01 17:46 x
きりゅうさん、今回もたいへんお世話になりました!
まさか日暮里駅の東口が工事中だったなんて(爆)、自分のリサーチ不足で、ご迷惑をおかけしてしまいましたっっ。

>こんどは小洒落た甘味処をみつけたいもんですね~。
ぜひぜひ♪
根津・谷中のあたりならきっと♪♪
by aroe-happyq | 2007-07-31 10:31 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)