2007年 08月 22日
慊堂日暦に登場する鳥居耀蔵とそして・・・
蕃社の獄(天保10年)前後を調べていて、
川路側・・・つまり洋学グループの本を読んでいると、
彼らを弾圧した鳥居耀蔵のことはクソミソに書かれておりますが、
たしかに極端な性格には問題があるけれど、彼にも別の面があるはずだ、と
考えて、数少ない鳥居のお友達、天保の大儒こと松崎慊堂の日記をみてみたのでした。
松崎慊堂の日記は平凡社東洋文庫から『慊堂日暦』1~6として出されているので
手に取りやすいです♪
今回は天保10年前後ということで、5,6巻をぱらぱらとみてみました。
松崎慊堂は当時の比類なき大儒なのですが、情にあつく、社交的で、
酒も飲み倒すタイプなので、さまざまな人が彼の家を出入りしております。
本当は1巻から通読したいような、なんともほんわかな世界なのですが、
それを我慢して(笑)、彼の晩年(天保15年に73歳で亡くなっております)にしぼって
リサーチしたところ・・・・・・・・・・・。
やはり、鳥居さんと仲がいい!(笑)。
鳥居も忙しいなか、ちょくちょく遊びにきているし、
天保10年正月9日
晴。詰朝に起き、束髪して品川の釜屋に赴き、監察鳥居君を待つ。
また亭午に始めて至る。人を退けて事を言い、刻を移して別れ去る。
このように鳥居が出張ともなれば、松崎慊堂はわが子ぐらい年の離れた鳥居のため、
品川まで見送りにいっているのでした。
(この出張での、洋学派VS保守派の測量対決(正確さを競った)で、保守派が惨敗
したことが、蕃社の獄・・・・洋学派への弾圧のきっかけなのですが)
そして蕃社の獄について、先生は・・・・
「鳥居は、彼の悪賢い部下の小笠原に騙されているのだ」(意訳)
・・・・・現実には目付の鳥居のほうが、配下の小笠原に老中水野の名を勝手に
つかって命じて、渡辺崋山たちの罪状をでっちあげたのですが・・・・・・・・
松崎慊堂先生は一環して、鳥居耀蔵を擁護。
・・・・・・・でもその一方で、渡辺崋山とも親しかったため、崋山を救うべく
老中に上申書を書き、各方面に懸命に働きかけているのでした。
どうやら松崎慊堂せんせいは死ぬまで、鳥居のことを良いように誤解していたようで(笑)、
鳥居との付き合いはずっとずっと続くのでした。
・・・・・・・・・とこうしてみてみると、鳥居さんも松崎慊堂の前では
耀甲斐(ようかい)として江戸の人々に忌み嫌われた部分はまったく出さず、
若い頃から親しんでいる先生に、意外にも素直な一面を出しているように思われます。
幽閉されてから、鳥居は漢方の知識を生かして、ひそかに尋ねてくる患者を
治療していたそうですが、単に趣味でやっていたとの話もありますけど、
これも彼の意外にも(笑)優しい一面ではないかと思われます。
今回、高徳の人・松崎慊堂に大切にされている事実だけで、
わたしのなかでは鳥居のポイントはちょっとUPしました(笑)。
(実は慊堂先生のファンなのです☆)
・・・・・・さて。日記を読んでいたら、思わぬ人物が先生ん家にやってくるのです。
天保12年 4月5日
永井君・竹中君もまた至る。
・・・・・・・ん?まさか・・・。はははは・・・・・。
(でもミスター永井は前年の天保11年に永井家に婿に入っている・・・)
天保13年9月7日
新晴。永井君岩丞来りて云う、その父は駿府町奉行に任ぜられると。
・・・・・確定してしまいますた。あの永井です。こんなところにも出没してきました。
父とは永井能登守のことで、たしかに駿府奉行になりました(爆)。
鳥居のお友達なら、当然・・・・その甥の岩瀬修理とか、堀省之助とか、
そちらの名前と出会えると思っていたのですが、なぜか永井でした。
若い頃から、交友関係広いなぁ・・永井くん・・・(しみじみ)。
天保14年2月12日
永井岩之丞(干饂飩)
ほかの人も贈り物を携えてやってきておりますが、菓子とか魚という
贈り物が多い中、干饂飩という地味な選択が永井らしいかもしれません。
同じく、14年10月6日
手呵して永井君・熊谷大夫・石門に与うる三書を作り、魯甫をして
これを致さしむ。
そうとうに体調が悪いのに、先生は永井君に書を送ったらしいです。
・・・・先生(70歳以上)と永井(当時、26歳前後)って雰囲気的に
ちょっと似ているところがありますが、
とくに漢詩という共通の趣味ははずせないところでしょう。
思わず、意外な人の名前が登場して、びっくりしますた・・・・。
(鳥居の検証で読んだだけなのにっっ)
でもなぜだか、永井はこういう事が多い・・・・(爆笑)。
(岩瀬とかちっともないのに!)
あと、漸く私のブログをパソコンから見れるように整備出来ました。よかったら、はな。さんのブログをリンクさせて下さい♪♪
でもこの日記や、昌平坂学問日記をみると、天保14年前後から、ようやく永井くんが旗本の婿養子になったことで、大名家の厄介身分から解き放たれて、彼にとって本当の人生が始まったように推察できて、ちょっと「よかったね」と声援を送りたい気分になるから不思議です(爆)。
それはさておき、瑞貴さんのPCブログ、さっそく拝見しました♪
リンクの件、もちろんっっです!
こちらからもぜひぜひリンクさせてくださいませっっ。
・・・つまりは相互リンク状態ということで(笑)、よろしくお願いします☆
私は、ざ・幕臣占いでは釜さんでしたよ~♪












