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東都アロエ

慊堂日暦に登場する鳥居耀蔵とそして・・・

昨日の川路関連のちょっと続きです。

蕃社の獄(天保10年)前後を調べていて、
川路側・・・つまり洋学グループの本を読んでいると、
彼らを弾圧した鳥居耀蔵のことはクソミソに書かれておりますが、
たしかに極端な性格には問題があるけれど、彼にも別の面があるはずだ、と
考えて、数少ない鳥居のお友達、天保の大儒こと松崎慊堂の日記をみてみたのでした。

松崎慊堂の日記は平凡社東洋文庫から『慊堂日暦』1~6として出されているので
手に取りやすいです♪
今回は天保10年前後ということで、5,6巻をぱらぱらとみてみました。

松崎慊堂は当時の比類なき大儒なのですが、情にあつく、社交的で、
酒も飲み倒すタイプなので、さまざまな人が彼の家を出入りしております。
本当は1巻から通読したいような、なんともほんわかな世界なのですが、
それを我慢して(笑)、彼の晩年(天保15年に73歳で亡くなっております)にしぼって
リサーチしたところ・・・・・・・・・・・。

やはり、鳥居さんと仲がいい!(笑)。
鳥居も忙しいなか、ちょくちょく遊びにきているし、

天保10年正月9日
  晴。詰朝に起き、束髪して品川の釜屋に赴き、監察鳥居君を待つ。
  また亭午に始めて至る。人を退けて事を言い、刻を移して別れ去る。


このように鳥居が出張ともなれば、松崎慊堂はわが子ぐらい年の離れた鳥居のため、
品川まで見送りにいっているのでした。
(この出張での、洋学派VS保守派の測量対決(正確さを競った)で、保守派が惨敗
したことが、蕃社の獄・・・・洋学派への弾圧のきっかけなのですが)

そして蕃社の獄について、先生は・・・・
「鳥居は、彼の悪賢い部下の小笠原に騙されているのだ」(意訳)
・・・・・現実には目付の鳥居のほうが、配下の小笠原に老中水野の名を勝手に
つかって命じて、渡辺崋山たちの罪状をでっちあげたのですが・・・・・・・・
松崎慊堂先生は一環して、鳥居耀蔵を擁護。

・・・・・・・でもその一方で、渡辺崋山とも親しかったため、崋山を救うべく
老中に上申書を書き、各方面に懸命に働きかけているのでした。
どうやら松崎慊堂せんせいは死ぬまで、鳥居のことを良いように誤解していたようで(笑)、
鳥居との付き合いはずっとずっと続くのでした。

・・・・・・・・・とこうしてみてみると、鳥居さんも松崎慊堂の前では
耀甲斐(ようかい)として江戸の人々に忌み嫌われた部分はまったく出さず、
若い頃から親しんでいる先生に、意外にも素直な一面を出しているように思われます。
幽閉されてから、鳥居は漢方の知識を生かして、ひそかに尋ねてくる患者を
治療していたそうですが、単に趣味でやっていたとの話もありますけど、
これも彼の意外にも(笑)優しい一面ではないかと思われます。

今回、高徳の人・松崎慊堂に大切にされている事実だけで、
わたしのなかでは鳥居のポイントはちょっとUPしました(笑)。
(実は慊堂先生のファンなのです☆)

・・・・・・さて。日記を読んでいたら、思わぬ人物が先生ん家にやってくるのです。

天保12年 4月5日
  永井君・竹中君もまた至る。


・・・・・・・ん?まさか・・・。はははは・・・・・。
(でもミスター永井は前年の天保11年に永井家に婿に入っている・・・)


天保13年9月7日
  新晴。永井君岩丞来りて云う、その父は駿府町奉行に任ぜられると。


・・・・・確定してしまいますた。あの永井です。こんなところにも出没してきました。
父とは永井能登守のことで、たしかに駿府奉行になりました(爆)。


鳥居のお友達なら、当然・・・・その甥の岩瀬修理とか、堀省之助とか、
そちらの名前と出会えると思っていたのですが、なぜか永井でした。

若い頃から、交友関係広いなぁ・・永井くん・・・(しみじみ)。

天保14年2月12日
  永井岩之丞(干饂飩)


ほかの人も贈り物を携えてやってきておりますが、菓子とか魚という
贈り物が多い中、干饂飩という地味な選択が永井らしいかもしれません。

同じく、14年10月6日
  手呵して永井君・熊谷大夫・石門に与うる三書を作り、魯甫をして
  これを致さしむ。


そうとうに体調が悪いのに、先生は永井君に書を送ったらしいです。

・・・・先生(70歳以上)と永井(当時、26歳前後)って雰囲気的に
ちょっと似ているところがありますが、
とくに漢詩という共通の趣味ははずせないところでしょう。


思わず、意外な人の名前が登場して、びっくりしますた・・・・。
(鳥居の検証で読んだだけなのにっっ)

でもなぜだか、永井はこういう事が多い・・・・(爆笑)。
(岩瀬とかちっともないのに!)
Commented by 瑞貴 at 2007-08-22 19:20
岩瀬さんも出てきて欲しかったけど、永井くん(笑)がこんなトコに出てくるなんて…笑

あと、漸く私のブログをパソコンから見れるように整備出来ました。よかったら、はな。さんのブログをリンクさせて下さい♪♪
Commented by はな。 at 2007-08-22 20:01
岩瀬の出現をわくわくしながら読んでいたのですが(笑)、こんな結果になりました。
でもこの日記や、昌平坂学問日記をみると、天保14年前後から、ようやく永井くんが旗本の婿養子になったことで、大名家の厄介身分から解き放たれて、彼にとって本当の人生が始まったように推察できて、ちょっと「よかったね」と声援を送りたい気分になるから不思議です(爆)。
それはさておき、瑞貴さんのPCブログ、さっそく拝見しました♪
リンクの件、もちろんっっです!
こちらからもぜひぜひリンクさせてくださいませっっ。
・・・つまりは相互リンク状態ということで(笑)、よろしくお願いします☆
Commented by 瑞貴 at 2007-08-22 21:59
私からも「よかったね★」を送ります(笑)

早速見て下さったんですか!?ありがとうございます~。
相互リンク喜んでっ♪♪
これからもよろしくお願いしますねv
Commented by はな。 at 2007-08-23 09:37
こちらからもリンクさせていただきました♪

昨日、瑞貴さんのブログにお邪魔させていただいたとき、
共和国占いをやったのですが、ブリュネでした(爆)☆
Commented by 瑞貴 at 2007-08-23 13:34
・・・・ブリュネでしたか(笑/その間は何だ)
私は、ざ・幕臣占いでは釜さんでしたよ~♪
Commented by はな。 at 2007-08-23 18:11
そうなのです、ブリュ子さんなんです(爆)。←どうも笑いが・・・・♪
by aroe-happyq | 2007-08-22 10:41 | 広く幕末ネタ | Comments(6)