藤岡屋日記15巻と立花出雲守

久しぶりに『藤岡屋日記』15巻(抜粋コピー)を眺めていて、慶喜さんネタなど
ひろってしまったわけですが(3回も続いてしまった)、
もうひとり、気になる人物が!

その名は、若年寄・立花出雲守。

立花サンには日記でさんざんお世話になってまいりましたが、
慶応3~4年部分の『藤岡屋日記』をみていると、日々の登場回数が多いことに
気が付きました。

たとえば、

○七月二十二日
一 立花出雲守・平岡丹波守不快ニ付、今日登城無之。



○八月六日
一 立花出雲守快、今日登城。


とこんな感じ。

日々の老中、若年寄の出欠席が克明に綴られているあたりは、
さすが藤岡屋さん!(こまめに情報を売りにくる役人がいたわけですが)
ですが、
立花サンが目立つのは、「不快」が多いからなのです(涙)。


体調がすぐれないのに、外国掛なんて仕事が増えているし・・・・・。


とここで、はたと気がつきました。
『藤岡屋日記』を読んていた頃はまだ立花サンのこと、よく知らなかったので、
ちゃんとチェックしていなかった・・・・・・。
立花さんが華麗にご活躍だった15巻以前も読み直したほうがよいかも、
なんて思いました。
なにかそこで発見できましたら、レポいたしますーー。


立花出雲守について当ブログでは、ひきつづき注目してまいります☆
談話といい、日記といい、本当にたくさんの当時のことを記録してくださった大恩人で、
大名だというのに、直参の榎本釜次郎や矢田堀鴻と、徳川の行く末を思って
泣いてくれた、熱くて、優しい方なのですから♪
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by aroe-happyq | 2007-11-10 10:11 | 幕臣系(老中など) | Comments(2)
Commented by sinsky at 2007-11-11 23:07 x
はな。さん

うちの種恭さん(笑)についての情報ありがとうございます。

確かに慶応3~4年にかけての立花種恭は、激務による過労に加え、江戸の上・下両屋敷を火事によって焼失したり、3女・長男・長女を相次いで亡くしたり、虫歯を取ったり(笑)、さらに国許の下手渡では陣屋を仙台藩兵に占拠され焼き討ちに遭ったりと、艱難辛苦の連続また連続です。大河ドラマでもここまでの脚本は書けないかもしれません。
そりゃ~「不快」も「不快」で登城もままならないでしょうね。

それにしても種恭について『藤岡屋日記』にそれほど多くの記載があるとは知りませんでした(正直、こんなメジャーな史料に種恭さんが登場してるなんて思い及ばなかったんですが…)。

久しぶりの胸躍るお知らせ(個人的に)ありがとうございました。

さっそくわたしも図書館経由で入手したいと思います。

はな。さんのレポにも期待してまーす。
Commented by はな。 at 2007-11-12 09:57 x
sinskyさん、おはようございます☆

またまた立花さんに登場していただきました♪
『藤岡屋日記』は細かい記述ではありますが、武家の情報もあなどれないのです(笑)。
旗本の屋敷替え情報などはここでしかおめにかかれませんし、もちろん、柳営の老若衆の出欠席も、村垣公務日記のない慶応年間は、個人日記以外ではここでしかわかりません。
立花さんは日記があるので、それとこの藤岡屋日記を合わせて活用するとすごく便利ですので、ぜひぜひ立花出雲守研究に役立ててみてくださいませ。
目を皿のようにして眺めていると、とんでもなく美味しい「噂」話なんかもあるかもしれません♪


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