2007年 11月 15日
設楽弾正 岩瀬忠震の実弟の消息
前の記事に引き続き、「ほとんど知名度0の旗本」の登場ですっっ。
まずは、この旗本・設楽弾正さんのプロフィールを紹介します。
父:設楽貞丈(実は祖父) 兄:設楽温之助(実は父親) 兄:岩瀬忠震(実はおじ)
○父は植物学者、弾正も昌平坂学問所ではすぐれた成績を修めていて、
屋敷には数学学者の家臣や、向学心溢れる若者(たとえば前島密さんのように)が
出入りしていた。
(すぐれた成績の人だが、榎本武揚によるとダメな人、とのこと。笑)
天保15年(1844) (兄温之助の養子として)
家督を継いで、小普請入り
嘉永7年(1854)書院番入
文久2年(1862)徒頭
文久3年(1863)目付
洋書調所頭取→目付へ帰役
元冶元年(1864)御役御免
(年譜は小川恭一編『寛政譜以降旗本家百科事典』より)
元冶元年あたりに「御役御免」したまま、それきりの旗本さんはけっこういるので、
(現体制に呆れ果てて・・・という理由が多い)
「そうなのかー」と納得して、とくにその後について関心はありませんでした(爆)。
(これ以降の記録はなし。明治になっても、今のところナシ、のようです)
ところが!
読み返していた『幕末の武家』(柴田宵曲編 青蛙房)の、
「幕末の話」梶 金八の、戊辰戦争の談話のなかに、
・・・・・(略)・・・この時は、弘道館に松平太郎、設楽弾正も二人と滞在でした。
とでてくるではないですか・・・・!
なんで松平太郎さんといるの!?♪
みたいな(爆)。
嬉しいやら、わくわくやら(爆)。
隠居してから暗躍する旗本は水野筑後守以外にも、
いろいろおりますので、徳川のため、おのれのプライドのため、
奮起してしまったのかもしれませんが、
父や兄(岩瀬)のように、文人派だと思っていたので、
ものすごく驚いてしまいました。
戊辰の幕府陸軍の動向については、まだ手をまったくつけていない状態なので、
弘道館(って水戸のですよね??)に弾正がいること事態が謎なのです(爆)。
もしかして弾正さん、このまま北へ行ってしまったのでしょうかっっ。
(軍(いくさ)とか戦乱とか、似合わないにおいがするので、とてつもなく心配・・・・・)
これからは戊辰の戦記で設楽さんの名は要チェックとなりましたが、
たいへん他力本願ながら、もし戊辰戦争(おもに陸軍)で
「設楽弾正」の名前をみかけた、そういえばいた、などございましたら、
お知らせのほどよろしくお願いいたします。
いや、ふと前使ってたスキンが目にしみるの~~~っと思ったので、
実は2つぐらい変えてみて、これに落ち着きました(笑)。
そんなわけで、
設楽っちとはあんまし、関係なかったりしますっっ~~~。
っていうか、「なんで松平太郎さんといるの!?」の後の「♪」に反応してしまいました(笑)。私も全く同じ気持ちですっ!
それにしても、水戸藩、全然知らないし・・・。戊辰戦争+水戸藩+佐幕=書生党?みたいな(^^;そんな単語しか出てこない脳ミソが情けない。
ああっ!気になるっ!はな。さん、頑張ってくださいよぅ~。
って、いきなりハイテンションですいませんッ;;お久しぶりですぅ☆
松平太郎さんの名前が出てきたのでものすごい勢いでネット徘徊してしまいましたwそして太郎については何もわからずw(さすが)
弾正さん、本名を貞晋(さだてる)さんと言うらしく、維新後は静岡県気賀町に移り住み大正13年まで御存命だったようですヨ。設楽範助さんと言う陸軍隊の方が箱館戦争で戦死しているので、「ま、まさか…ッ!」と私も一瞬ヒヤッとしましたが、大丈夫だったみたいです。良かった良かった。(?)
設楽貞晋さんで検索するとけっこうひっかかります♪♪
参考サイトは↓コチラですw
【設楽原歴史資料館】
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/2090shitaragahara.html
【伊達政宗の子孫】
http://www008.upp.so-net.ne.jp/tomeas/date101.htm
いきなりでしゃばって失礼しました~;;
これからもお邪魔させてくださいッ;;
そうなのです、問題は太郎さんといる♪というところでまさに、「♪」です(笑)。
いきなり「弘道館」ていうのもびっくりでしたがっっ。
とにかく太郎さんとなぜいたのか、・・・探ってみますね!(ってアテはないのですが(滝汗))
すばやい調査、ありがとうございました!!!!!!
めちゃめちゃ助かりましたーーっっ!!
・・・・それにしても、うかつでした。というか、「松平太郎」というビッグネームに圧倒されて、弾正さんを本名でぐーぐるし忘れておりましたっっ(爆)。あるゆさんのコメントがなかったら当分ネットの海を彷徨っていたところです~~~~。多謝!多謝!!
しかも参考で挙げていただいた設楽歴史資料館は岩瀬関連でちょくちょくお邪魔しているサイトでっっ(笑)。あきらかにここ数日、動揺していたようです☆
でも、設楽さんが長生きしていてよかった♪
わたしも「設楽範助」が気になっていたのですが(箱館にいくとちょっと変名したりする人多いので)、明治には静岡でお暮らしだったようで、ホッとしておりますっっ。兄貴二人が短命だった分、長生きしてくれよ、と思ったものですから(笑)。
それにしても松平太郎さんは、あいかわらず謎の男♪
突然設楽さんとツーショだなんてっっ。
そこが素敵なんだけど、でもわからなすぎて、困ったちゃんな人デス☆












