人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

東都アロエ

設楽弾正 岩瀬忠震の実弟の消息 2

すっかり唐草あるゆさんからいただいた情報におんぶにだっこなレポですが(汗)、
(あるゆさん、本当にありがとうございましたっっ!!)
設楽弾正貞晋さんについて、追加の情報をメモとして残しておきたいと思います。

ただ・・・・松平太郎さんとの接点はいまだみえず、です。

想像ならいくらでもつくのです。
たとえば文久の頃、徒頭や目付をやっていた設楽さんならば、
もしも噂どおりに松平太郎さんが陸軍関係の仕事の前に祐筆をやっているとして、
そのあたりで知り合うこともできますので・・・・。
(その後、戊辰の年に太郎さんに声をかけてもらって、共に脱走・・・・)
でもこれは単なる想像ですのでっっ(汗)。聞き流してくださいませ。

というわけで、ここでは設楽さんプロフィール追加、という感じです。
(太郎さん情報を楽しみになさっておられる皆さまにはスイマセンっ)


太郎さん登場ですっかり舞い上がっていた気持ちをおちつかせて(笑)、
設楽貞晋さんでエキサイト内検索をかけてみたところ・・・・・。

うちのブログで1度登場しておりました(爆)→こちら
その記事によると、

■ 設楽弾正貞晋さんの奥様は、堀織部正の長女。

もしもこの奥様が父親激似の激性格だとしたら・・・・。
戊辰の年に、のんびり江戸で書画に親しんだ生活を
夫に許したりしないだろうな・・・(汗)、むしろ「脱走なさいませ」とか
すんごく、すすめてしまいそうです・・・・・。


それから、「貞晋」として、ぐーぐるで検索した結果、
弾正さんの晩年についての情報が
ありました。奥三河の情報サイト→こちら

この人弾正と称し幕末目附役を勤めたが、
廃藩後旧領竹廣(三河東郷駅付近近代官所があった)に帰り、
詩書を友とし、自適の生活を送っていたが、
後に、遠州気賀に移り住み80余才で没した。


とのことでした。
長生きしたようで、ホッとしました。

ですが、旧領竹廣に移ったのは廃藩後のようでして、
やはり戊辰~明治初期についての情報はまだまだわかりません。
空白の数年間で、無事だったのはなによりですが、
松平太郎さんとどのへんまで一緒だったんでしょう・・・・・。


これからもなにかわかりましたら、そのつどお知らせいたします☆
by aroe-happyq | 2007-11-16 10:37 | 幕臣系 | Comments(0)