岩瀬肥後守はいつも直球!~前島密との関わり2

以前に前島密さんと岩瀬肥後守の不思議な縁について記事にしましたが、せっかくの貴重な岩瀬話なので、もとの文章を探してみました☆

以下は、
『前島密  前島密自叙伝』人間の記録21 (日本図書センター)の、 
P26 「砲術等を学び」 よりの引用です。


まずは前島密青年が設楽家に居候になったことについて語っております。

たまたま友人西村某等の紹介斡旋に依りて、
旗本の士設楽弾正氏に寓するを得たり。
これ氏は林大学頭の親戚なれば、同氏の蔵書を借覧するの便あり、
しかも幕末の三傑たる岩瀬肥後守を兄とする縁故あれば、
この人に接して教えを受くる利益も有るべしと思惟したるに由る。


前島青年・・・すごく計算高い(爆)。
弾正さんの蔵書(大学頭の親戚なのでレベルが高い本ばかり)目当てで、
岩瀬に教えを乞いたい・・・・・・って、屋敷に置いてあげる弾正はおまけ?(笑)。

と、それはよいとして、いよいよ岩瀬との話です。

しかして氏に接する僅に二回に過ぎざるも、
氏は余に教えて曰く、


誰に対しても壁をつくらない気さくな人なんで、
ちょっとしか会ったことなくても、いろいろアドバイスしちゃう・・・・・・岩瀬さんです。
(学問所教授時代が長かったから・・・ひとに教えるのは好きなタイプだし)
ちなみに、杉亨二のときも、出会ったとたんヨーロッパに誘っている(笑)。


さて、いよいよ本題の、岩瀬の言葉です。

およそ国家の志士たる者は、英国の言語を学ばざるべからず。
英語は米国の国語となれるのみならず、
広く亜細亜の要地に通用せり。
かつ英国は勿論、海軍も盛大にして文武百芸諸国に冠たり、
和蘭の如きは萎靡不振、学ぶに足るものなし、と。


・・・・あいかわらず、直球ですな(って、そこがたまらないのですけど)。
国家の志士はみんな英語を学ばなくてはいけない、って・・・・・・・、
以前の記事でもおおよその見当をつけましたが、これは安政2年ごろのお話だと
思うのです。この頃といえば、ようやく蘭学に学べ!というブームの頃でして、
岩瀬の親友の永井岩之丞は長崎でオランダ海軍から伝習をはじめた頃で、
永井自身、オランダ語を習得していた頃(そして随分うまくなったそうで(笑))です。
それなのに、もう岩瀬は「オランダに学ぶに足るものなし」と断言しております。
(嗚呼、永井の立場なしーーー)

きっぱり、はっきり、くっきりな物言いをする男、岩瀬肥後守、ここにあり。

で、前島君は・・・・・・・・・・・

余はその教示に依りて将来の方針を変じ、専ら英語を学ばんと決心せり。

どうしましょう、「将来の方針を変じ」ちゃいましたよーーー。

・・・・・結果は以前の記事にも書きましたとおり、
英語を教えてくれる塾はまだなく(ジョン万次郎の塾はどうだったのかな?)、

・・・・さて、ここにひとつの因縁あり!です。

なんと、前島君は英語塾を諦めて、下曽根金三郎の砲術塾に入ったのです。

下曽根といえば、これまた前の記事で紹介しました
岩瀬とは砲術教授褒賞の件で・・・・・後世にいろいろあった
(つまり本人たちは関係ないのです)
あの下曽根さんです(笑)。

・・・・江戸は狭い!!!!!!


というわけで、前島密の人生を変えた男、岩瀬さんのお話でした。
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by aroe-happyq | 2007-11-26 14:55 | 外国奉行ズ | Comments(0)


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