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東都アロエ

四谷大木戸跡で思う、江戸の広さ

先日のぽかぽかの日に半蔵門から新宿まで歩いてみたのですが、
そのときの新宿レポです(笑)。

四谷大木戸跡で思う、江戸の広さ_d0080566_9284650.jpg


四谷区民センター外にぽつんとある、四谷大木戸跡を示す掲示板やら石碑です。

とはいえ、四谷大木戸は寛政年間には取り払われていたので、
(石垣だけオブジェのように残してあったとか)
あまり感動は呼びません(笑)。
たしかに江戸初期にはこの大木戸を境にして、四谷まで府内、新宿は府外
だったのですが、
江戸府はどんどん拡大してしまい、↓文政元年制定図では、
現在の山手線のラインを軽く越えている大きさです。

四谷大木戸跡で思う、江戸の広さ_d0080566_9423012.jpg

                  (『大江戸八百八町』展図録より)

※うちのブログ、画像拡大機能がないので見え辛くてすいません。
 赤いラインが江戸府境界ライン、黒いラインが江戸町方支配地域です。

なぜか近代になって江戸府境界は江戸初期制定ラインが定説になりましたが、
これでみると、四谷大木戸の意味はまったくナシですね。

ちなみにこの御公儀制定ラインでいくと、我が家はめでたく御府内♪(笑)。
大学のとき、江戸について熱く語る自分(←東洋史専攻の分際で)に対し、
「だって○○さん、御府外生まれでしょ?」と会津男に小バカにされたっけ。
当時、これを知らなかったのが口惜しうござるっっ。
(とはいえ、自分は江戸ではなく東京っ子で充分でございます)


さて話は戻って、この区民センターの裏には、

四谷大木戸跡で思う、江戸の広さ_d0080566_9563510.jpg


玉川上水記念の看板もあります。
ここは、徳川家光ファン、松平伊豆守など江戸初期ファンには必須ポイントです。
玉川上水開通式というのが盛大に行われた場所がこのあたりでして、
家光たちがやってきて、上水の開通をみて、祝いを行った場所なのでした(笑)。

いまから随分前ですが、まだ玉川上水が新宿御苑脇まで流れていたのを
思い出します。
今度新たに新宿御苑散歩道内に上水を復活させるそうですので、
ちょっと楽しみです☆


さらに新宿追分方向に歩いていくと、太宗寺があります。
高遠内藤家の菩提寺で、江戸時代は随分と大きなお寺だったそうですが、
今では・・・・・・・フツーサイズです。

四谷大木戸跡で思う、江戸の広さ_d0080566_1042669.jpg


閻魔堂が有名なお寺ですが、この寺とくれば!
新宿に遠乗り(つかピクニック)に何度も訪れた、阿部伊勢守正弘さんの
お休み処です(笑)。こちらのお寺で昼食(弁当)を食べたとか。
阿部ちゃんファンの隠れポイント、でもあったりします♪


・・・・・・で〆に「新宿追分」の標識を撮影しようとしたら、
現在は地下鉄工事のため取り払われておりました(涙)。

しまりのない終わり方ですが、
このあたりでぶらり新宿通りさるくを終わりたいと思います。
Commented by きりゅう at 2008-02-23 10:54 x
ちかくにある新宿歴史博物館に、このあたりの江戸時代のジオラマがありますね~。
それによると、この図書館近くには水番所もあったようで、関所としてより水道口として大切だったのでは?
まったく江戸の風情のない四谷周辺ですが、追分に至る道すじは当時のまま。
ジオラマを胸に歩けば、けっこう楽しめますよね。
↑ ちょっと悲しいけど……(^^)
Commented by はな。 at 2008-02-23 14:10 x
>関所としてより水道口として
まさにおっしゃるとおりだったと思います☆
上水道は都市の生命線ですし♪

>ジオラマを胸に歩けば、けっこう楽しめますよね。
新宿もしかり、向島墨堤もしかり(涙)です~~~。

by aroe-happyq | 2008-02-23 10:18 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)