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東都アロエ

函館戦争五十年物語 (8)


今回は印刷が読めない箇所が多いですっっ。
さらに朝腸撃沈のあたり、文章の脈絡がおかしい・・・のですが(笑)、
ご一笑しつつお楽しみくださいませ。
(今回も全文です)


函館新聞大正7年5月5日 第8回


○池田勝右衛門氏談
七日の討合と云ふものは、今でこそ懐舊(旧)談として話されるが、その時は
魂も奪われる様であったと、常にすえ于刀自は物語っている。
◆回(開)陽は
江差で沈没したのであるが、回天と朝陽が弁天の沖合いで撃ち合をした結果、
長(朝)陽が七重浜で沈没と云う大活劇のため、賊軍の敗北
===五稜郭の運命決すと
云う事になり、ソシテ三日を隔てた、

十一日の大戦争

は、海に於ける砲煙魚属を驚かし□陸に敵味方火蓋を切り、
大刀に火花□散らした處□、函館山の背面□□(より?)、
◆官軍は
猛虎の勢ひをもって現われて来た。====湾内の七日の撃ち合も物凄かったが、
十一日の大戦争三方四方より攻めて、非戦闘員を見て
「……逃げろ逃げろ」と云□□意の声に、危険な場所に避難した人たちは
右往左往に逃げたが、湾内の艦は舷々相摩すと云う光景にて、
遂に敵の海軍は力及ばず、全滅と云う事になり
◆其の日
午後一時か二時ごろに至って、久しく官軍に抗したお台場も陥落と云う事で、
====徳川の流□を汲んで、再び葵の花咲く時もあろうとした幕軍も
五稜郭に立て籠もったまま、
表立った人達は夫々軍門に降る事にになったが、
サア敗軍の将兵□従わすべからずと、無論朝敵となった人々は、生命はないもの
◆出来る
事ならば助かりたいと、
===いよいよ戦争が終わって池田の家族も島の自宅へ引上げ。
夫々取片付けをしている最中に、助けてくれ、隠もうて貰いたいと申し込んだ人も
多いそうだが、後の祟りが恐ろしい、シカモ捜索隊が八方に出て、
すこぶる捜索が厳重であったので、□れも態よく謝絶したが、
此の秋と春とに亘った戦争中、敵味方より嫌疑を蒙った
◆砲門に
釘を打ち込んだ者のことや、
其の他で先代勝右衛門氏もひとかたならぬ苦労もあったが、
□中すえ子刀自はまだ年若い頃の事、殊に妊娠中に尠(すく)なからず
気を痛められたので、折々函館戦争の話が繰りかえされた。
ここに池田家 少年大川源太郎と云う面白い話がある。




「十一日の大戦争」のところだけメガ文字になっていたので、
原文を尊重してみました(笑)。


それにしても本日は曇り&雨という予報でしたが、・・・・晴れてますな☆。
そろそろ墨堤の桜は満開でしょうか♪
散策してこようかなっと思います(笑)。
by aroe-happyq | 2008-03-28 10:06 | 箱館または釜さん | Comments(0)