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東都アロエ

小栗忠順と慶喜~慶喜公伝史料編より

『徳川慶喜公伝史料編』を読みすすめております。
いくつか紹介したいものがありますが、
今回は以前にも登場した浅野氏祐による談話のひとつを。

『徳川慶喜公伝史料編』一の史料番号80
文久二年七月(?)諸有司に訓諭せられし事に関する
浅野氏祐等の談話


文久2年7月、謹慎を解かれ、一橋家再相続の許しを得た
一橋慶喜は将軍後見職として、政治に参画することになる。
御三卿は大名ではなく、将軍家の親族という立場上
政治的な発言さえできないので、それまで慶喜が表立って
政治に関与することはありませんでした。
(・・・・・井伊大老に通商条約についてクレームしたことが
ありましたが・・・・。これがきっかけで謹慎しました)
その慶喜が復活し、この史料によればその頃(日時特定できず)
江戸城にて、芙蓉ノ間役人(大小目付、三奉行などなど)をあつめ、
演説をおこなった、というのがこの談話の内容です。
時期を考えると、政治家一橋慶喜のデビューの場ともいえなくもない、
・・・・・かもしれません(笑)。

ちなみに浅野氏祐はこの頃、ちょうど御目付から大目付へ昇進
しており、どのみちこの場に参加しておりました。

橋公の御召出しの人は、芙蓉之間役人大勢にてはなし、
大小目付・三奉行位の事なり。但し御黒書院御入側にて御意あり、
なかなか御懇篤の御演達にて、和漢の故事など御引證にて、
一ト時ばかりも御辣陳あり、・・・・・(略)・・・・・・・・・・・
又小栗は徹頭徹尾橋公崇拝家にて、或は心酔に失する程なりき。


省略箇所は文武に通じて実力のある目付の服部という男が、
慶喜公はよほど学問をされたのだろうと・・・褒めちぎった、というような
内容なので、ま、いいかと省きました(笑)。
なぜなら・・・・・・当時勘定奉行の・・・・・・、

小栗は徹頭徹尾橋公崇拝家

なんかもうこれだけでおなかがいっぱいではありませんか(笑)。


実はこの談話はもうひとつの史料(同談話内で紹介あり)の、
「鈴木大日記」文久二年八月十五日の條に、
慶喜が演説し、役人たちは慶喜の口上に
感激し涙を流すなか、小栗は「一橋公あまりに烈し過ぎ候」と
いって褒めなかった・・・・というような内容があり、
この浅野談話は、松平勘太郎とともにこの日記への反論でした。

ただこの日記から察するに、熱い演説だったことだけは
なんとなく想像がつきそう?です(笑)。

話を戻しましょう。
・・・・・この後の小栗の行動をみていると、
ある時期までは、と限定させていただきますが、
心酔していたとする浅野・松平説のほうが有力かと思います。
(まだまだ小栗さんについては詳しくないので、こうでは?などと
軽々しく語れません~~~(汗))

しかし・・・・・政治家デビュー当時から、
慶喜(26歳)は話術だけはすんごく冴えていたことだけは確かですね。


さてさて。
近々『徳川慶喜公伝史料編』にみる、慶喜少年をとりまく物語を
紹介したいと思います。
Commented by きりゅう at 2008-05-25 11:16 x
この「さわり」だけでも期待ワクワク!
続き、楽しみにしています~~~!!
Commented by はな。 at 2008-05-25 17:20 x
『慶喜公伝史料編』はさすがわ!というくらい
面白いです☆
なかでもハマッたのが、少年時代の史料。
乞うご期待!であります♪♪
Commented by at 2012-11-23 22:29 x
こんにちは。
こんな以前の記事に突然のコメントで申し訳ございません。

慶喜を褒めちぎって、省かれてしまった目付の服部とは、御徒目付の服部新重郎のことでしょうか?
お分かりになりましたら、御教示いただけると嬉しいです。

ちなみに服部新重郎は、小普請組の家に生まれて、家督相続後に学問所に通い始めて学問門吟味に及第した、なかなかの苦労人なのです。
Commented by はな。 at 2012-11-24 09:32 x
8さん、こんにちは!
>目付の服部
ここに登場する服部さんは、
御目付の服部歸一(または平太)常純さんです。
ちょっと手元にある『柳営補任』11の目付のところをみましたら、
万延元年から目付(外国掛り)となり、箱館や京都へ派遣されるなどしつつ、文久3年3月講武所奉行並騎馬奉行兼帯になるまで、目付だったそうです。
常純さんとのことで、服部新重郎さんではなさそうですっっ。
Commented by at 2012-11-24 23:08 x
こんばんは。

早速の御教示ありがとうございました。
服部常純ということは、
後の若年寄 服部長門守ですね。
お騒がせして申し訳ありませんでした。

服部新重郎でなかったのは残念ですが、
小栗も含めて、慶喜を褒めちぎった人が、
順調に出世していった様子をみると、
なんだか面白くなってきますw
Commented by はな。 at 2012-11-25 09:52 x
お役に立ててよかったです♪♪
服部常純さん、京都に派遣というのは、慶喜に随行するお仕事
だったので、主義主張のあう人との旅は楽しかっただろうなーと(笑)
思いました☆

そして、旗本から若年寄に出世する人は、
永井玄蕃頭や平山図書頭にしろ、やっぱり慶喜と意見の合う面々
なんだなぁ・・・と服部さんをみてあらためて認識しました。

by aroe-happyq | 2008-05-25 10:44 | 幕臣系 | Comments(6)