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東都アロエ

畑尚子著 幕末の大奥 天璋院と薩摩藩 @岩波新書

岩波書店の回し者ではないのですが、今回も岩波新書。



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畑尚子著

幕末の大奥 天璋院と薩摩藩

岩波新書 1109

セブン&Y→こちら





まったく読む気はなかったのですが(爆)、
古本屋さんで激安で(ひゃ・・・ひゃくえん)店頭にあったので、ついつい・・・・・。
畑尚子氏は『江戸奥女中物語』(講談社現代新書 絶版)がとても好きだったので、
たとえ大河向けのやっつけ本(笑)であっても、ひと味違う筈!と思ったのでした。

この本の最大のテーマである
「幕末大奥のなかで天璋院が政治的影響力をもつ余地があった」という点については、
少ない史料のなかでいささか強引???なところがあって、
どうも納得できないものがあるのですが、いろいろ小ネタは楽しかったです。

篤姫初心者なので、彼女が肥えていたというだけで衝撃でしたが、
最後まで読んでみて絶対にともだちになりたくないタイプの人だということが
よくわかりました。
プライドが高く、頑固で、よく怒るんですっっ。
和宮と折り合いが悪く、ニの丸にいきなり転居するあたりも「城内家出」みたいで
大人気ないっっ(汗)。
畑尚子氏も「(篤姫は)上昇志向が強く、見栄っ張り」と分析してました。

そ・・・それなのにですね、島津斉彬はいたく彼女を溺愛し、
松平慶永(春嶽)に語ったのが・・・・・・・。

忍耐強く、子供の頃より怒りや不平の様子を見せたことがない。
軽々しいことはなく、穏和で人に接するのもうまく、
将軍家の御台所になるには適した人格であることは、
自分が請合う。


なのですが、いやーーーーこれは明らかにですね、
篤姫は斉彬の前では、猫かぶってたとしか思えない!(爆)
騙されてますよ~~~、斉彬公っっっ。

そしてこの本で知った事実でいちばん笑ったのは、
・・・・・・従来、いろいろな本で篤姫の大奥入りに斉彬とともに尽力したとされる
阿部伊勢守ですが・・・・・・、
まったく乗り気ではなかったらしい☆

思えば嘉永6年ごろから出ていた話がどうしてズルズルと遅れに遅れて、
安政3年末まで大奥入りが延びていたか・・・・・・・・・。
それは伊勢守が適度にこの話をシカトしていたからで(爆)、
あまりに阿部さんがじらすので、斉彬は松平慶永に相談して(つか泣きついて)、
ようやく慶永ルートで話がトントンと進みはじめたとか。

さすが伊勢守・・・・・グッジョブっす049.gif

ひょっとして独自の調査網で彼女の人格を調べさせて、
上様に近づけるにはちょっと問題アリと判断していたりして??

ただ家定公との夫婦仲はうまくいっていたらしいのですが。
(ひょっとしてそこでも猫かぶっていたのではあるまいか??)

小ネタとしては、滝山さんは大政奉還の頃にはすでに大奥を辞めていた
ことでしょうか。
超紀州派の彼女、慶喜が将軍になったのがお気に召さず、
慶応3年春ごろには辞職願を出していたとか。
なかなか受理されず、秋までのびていたらしいです。
・・・・・・そうでした、大奥での紀州派の首魁は滝山でしたっけ(笑)。
でも慶喜が将軍になったら、辞めるというのはなんとも潔い方です♪

以上のように、どちらかというと篤姫自体というよりその周りの人々について
の情報が楽しい本でした♪

でもでも!!!!
畑尚子氏はあとがきで、
「実は、私がいつかその伝記を書きたいと思っているのは、姉小路である」
とおっしゃっていたことがこの本でイチバン嬉しいことでした!!!

わたしも姉小路(家慶時代に大奥のみならず政治にまで関与し、
絶大な権力を握っていた、上臈御年寄)・・・・・・・ミステリアスで惹かれております。
史料が少なくて、よくわからない人なのですが、『遠近橋』でみせる狡猾さ、
『新伊勢物語』で水戸斉昭を軽くあしらうふてぶてしさ、
たとえ断片的であっても、めちゃくちゃ気になる人です。

彼女に比べたら天璋院なんて、ちーさい、ちーさい。あっはっはっは、です(笑)。

その姉小路の伝記を書いてくださるなんて!!!

いつまでも待ってますよーーー!!!!
by aroe-happyq | 2008-12-06 11:09 | | Comments(0)