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東都アロエ

お宅探訪 第二十三回 阿部正弘邸(辰ノ口官邸)

いつでもいけると思うとなかなかいかないシリーズ!

今回はかつて、
西ノ丸下とか、辰ノ口といわれ、老中・若年寄の官邸街「大名小路」にあった
阿部正弘邸跡(推定)です。

老中首座の屋敷ということで、弘化~安政2年ごろまでは
毎日のように面会を申し込む人、挨拶にきた人、用談に来た人で
朝から日暮れまでずっーと門の外まで客があふれていたとか。
日米和親条約を結んだ後には、門に抗議の落首を貼られたり、書かれたりで
いいことばかりではありませんでしたが、
それもこれもここが当時の政治の舞台のひとつだったためであります☆
安政の江戸地震のおりには、屋敷が全壊する大きな被害にもあいましたが、
正弘自身は庭へ飛び降りて、難を逃れました。
しかしここの土地は江戸初期の埋立地で、もとはといえば、海でした。
そんなこともあって脆弱な土地なのであります。
東京駅が日夜、地下の奥深くで地下水と戦い、地盤沈下をかろうじて防いでいる
なんてことも、そういう土地ゆえ・・・・・。

正直、ジメジメした土地で、このあたりに住むのはたいへんだったかもですが(笑)、
10年以上、ここを官邸にして(地震のときは別宅に仮住まいでしたが)老中の座にあり、
阿部正弘は39歳でこの場所で、世を去りました。


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丸ビルの裏手あたりが、そうらしい。

さすが阿部伊勢公、便利なところにお住まいです(笑)。

いや、江戸時代は繁華なところではなかったんですけどねっ!
(明治時代に、空き地になった大名小路一帯を、ざっくりと三菱@岩崎弥太郎が買い上げて
土地開発したから、なんですけど)


では江戸時代にはどれだけ便利だったのか?

そこで急遽「阿部さんの出勤はどのくらいかかる?」かを調べてみることにいたしました。
秘密兵器はもちろん、先日購入のストップウォッチ♪

それでは写真の↑地点から、スタート!!!!!

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和田倉門~大手門コースで進んでおります。

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巽櫓をみながら、堀にでました。

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ちょっと早足できちゃいましたのですが、大手門までだと、こんな感じです。

老中は午前10時の太鼓が鳴り終わるまでに、本丸御殿玄関に入らなくてはならない
きまりでした。
・・・・・老中衆はそれに合わせて自宅を出るのですが(安政地震までは乗物、以後は
乗切といって馬に乗り、供の数も少なくささっと登城スタイルに変ります)、
ときどき遅刻しそうになる人がいたりすると・・・・・・・太鼓がいつまでたっても
鳴り終わらない(笑)、なんてことがあったそうです☆
(遅刻したのが城内にバレバレっっ)

さて、登城する人々は、
大手門はいって乗物(または馬)から降りて、徒歩で玄関を目指します。


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番所を通過し、

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中之門を通過・・・・・・・・・・って、ここからちょっと上り坂です。


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将軍就任の大イベント、江戸の町人(抽選で選ばれた町年寄たち、とその町年寄から
権利を買った見物人たち)と一緒に新将軍が能を観る「町入能」の記録をみると、
すでに前の晩から「祝い酒」で酔っ払った町人たちにとって、この坂はキツかったらしく、
ゴールの御玄関に到着したら、その玄関脇にあった防火用の桶の水を飲んじゃう人
が続出してしまったとか(笑)。
たしかにちょっとキツイ坂です・・・・・。
阿部正弘さんは亡くなる直前まで、ずっと小太り体型を維持していた人なので、
この坂はよい運動になったことでしょう!(笑)

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本丸御殿御玄関付近。


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ゴールのタイムは????

・・・・・・・・・・・ふつーに歩いてくると、こんなものらしいです。

伊勢さんだと途中で乗物から降りる時間とかも考えないといけないので、
20分みとけば、大丈夫だったのでは???(笑)
(もっとのんびりと登城の際は、30分かもですが)

・・・・・・そもそも旧江戸城に梅を観にきたのが、この日の目的でして、
次回はいよいよ本題でーす。
by aroe-happyq | 2009-02-22 11:21 | お宅探訪シリーズ | Comments(0)