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東都アロエ

慶喜と尊氏のデジャヴ!?

CSでの大河ドラマ「太平記」視聴、HDD録画で少しずつ進行中。
放映分では明日にはもう49話の最終話(81分の拡大版!)ですが、
自分はまだまだ34話すぎです(笑)。

で、その34話は「尊氏追討」。
京で後醍醐帝の建武の新政のもと、・・・・しかしすでに公家と武家との対立に
頭を悩ませていた足利尊氏でしたが、関東で北条の残党が決起し足利勢が大敗と
きいて、鎌倉へかけつけることになりまして。
その際、帝に征夷大将軍を補任くださいとお願いしたのですが、あっさり却下され、
鎌倉へも行くなといわれたのですが、家族や郎党が敗走しているやむにやまれぬ状況
ということで、命令に背いて関東へ出兵しました(のが33話までの話)。
尊氏の出馬により、味方が盛り返し、鎌倉を奪還。やれやれとなったのですが、
京の帝からははやく戻れの催促。尊氏はそもそも帝にわりと従順な人なので
帰ろうとしたのですが、高師直や弟のハイテンション直義たちの反対にあってしまいまして。
そうこうしているうちに、帝から尊氏追討令が出され、新田義貞が6万の軍勢で
やってきてしまう(笑)。
さて、ここからいささか・・・・・後世の誰かさんに似た(いやこちらが本家かもしれません)
対応がはじまるのであった!
高師直や弟のハイテンション直義たちが「受けて立ちましょう!」と息巻く中、
尊氏だけは動揺し、なんとその場で出家、「寺に籠もる」といいだす。
なぜ反撃しないのかと周囲が困っていると、
「朝敵になってしまったのだぞ」
反撃など恐れ多い、というのでありますよ。
関東の武家の棟梁には、代々こういうマニュアルでもあるのでしょうか??(爆)
(それとも慶喜がこれをまねてみたのでしょうか?(笑))
で、本当に寺に籠もってしまう尊氏をみて、弟たちは「俺たちだけで迎え撃つ!」と
駿河で新田軍とぶつかるものの、負けこんでしまう(やはり大将いないとダメ?)。

しかし、ここからの対応が慶喜パターンとはちと違う。
味方が苦戦しているときき、寺に籠もっている尊氏は立ち上がるのであります。
なぜ彼は立ち上がったか?
それは北条を攻め滅ぼして政治的な秩序を破壊したという社会的責任があるわけですね(笑)。
中途で、投げ出すことはできなかったわけです。
でもここで寺に籠もったままだったら、たぶん日本中を巻き込む大乱にならず、
南北朝の対立も生まれなかったかもしれない。
大動乱の引き金をひいちゃうわけですね、尊氏は。
で、引いちゃったわけで、これ以後最終回まで、戦って戦い抜く、苦難の道が
待ち構えてしまうのでした(涙)。

ここ32~34話あたりで、超カッコイイさんは佐々木道誉♪
帝にそむいて鎌倉に援軍にいくか悩んでいる尊氏に「お先にまいる」と
さっさといくさ支度をして、京を離れてしまったり。
寺に籠もった尊氏に、「御辺が立たぬなら、わしは裏切るぞ」
という強烈なハッパをかけて・・・・・本当に新田軍に寝返ってしまうあたり。
(それであとでちゃんと戻ってくるんですけどね)
尊氏は佐々木に翻弄されっぱなしです。
でも決断力がよわ~い尊氏にはこうした友人(なのか?)とか、
ハイテンションな弟がいないとダメなんですよね。
なにせ33話では隠し子が御台所にバレてしまい、「引き取ろうとおもうが」
といったらあっというまに一蹴されて・・・・・引き下がる男なのですから(笑)。
そうした、軽いヘタレ感がたまらない足利尊氏。
ますます、目が離せない、太平記であります☆

そして同じ幕府、武家の棟梁同士。
ときおり、徳川の誰かと対応が似ているので、これまたおもしろいんです♪
(絶対にこちらが本家なわけですが(笑))
創業の人と、締めくくりの人という違いはあるのですが、
尊氏の轍を踏まなかった慶喜は過去の教訓に学んだといえるのか????
さて、それはどうなんでしょうね。
by aroe-happyq | 2009-05-13 10:15 | ほんの世間話 | Comments(0)