2009年 06月 27日
箱館戦争、140年前のこの日に終結
この日に、
五稜郭は開城いたしました。
2日前の夜に榎本さんの騒動があって、その後松平太郎さんや大鳥圭介さんほか
幹部一同で会議をおこない、降伏勧告を受け入れることに決しました。
前日の17日(きのうっす)に官軍側と話し合い、本日の明け渡しとなった次第です。
戦争はこれで終わりましたが、すぐに東京に送られた幹部6人以外の捕虜のみなさんは
これからまだまだ蝦夷での捕虜生活が待っておりました。
幹部6人にとってはこれから3年弱の牢獄生活のはじまります。
と、その前に東京までの護送の日々は
各地で敬意をもって護送してくれたおかげでなにげに快適だったそうです。
(その途中で彼らはたくさんの漢詩をのこしました。紹介記事はこちら)
拙ブログでは今まで箱館戦争に関わる話題はちょこちょこ折にふれて記事にしてきましたので、
「箱館または釜さん」カテゴリーの古いあたりをあわせてみてやってくださいまし。
(とはいえ箱館戦争についてはまだまだ本気で着手していないので、あまり深いネタは
ありませんので、どうぞあしからず☆)
それにしても夏の戦争だったんですね。
箱館とはいえ、暑かったことでしょう。
万感の想いをこめて、両軍のみなさんに敬意を表したいとおもいます。
(ま、まぁ・・・・ぶっちゃけ、本音は脱走軍側に98%、あとの2%を官軍に、
ぐらいの敬意配分ですけど(爆笑) 黒田どん、ごめんね、ごめんねー @U字工事)
総司忌でしたか。沖田さんも夏に亡くなられたのですね。・・・・当ブログ贔屓の旗本・大名にも夏に遠逝のかた、多いです。夏好きなのですが、最近はちょっとしんみりする季節でもあります。
旧暦の日付をそのまま西暦で・・・というのは季節感の違いが大きいので、多少面倒ですが、計算(といってもネットのサイトにおんぶにだっこ)してでも西暦になおしたほうがよさそうですよね。
季節感ってかなり大切だと思います☆
しみじみしてしまいました…。
や、春日くんだって古屋くんだって諏訪くんだってもういなかったのですが(泣笑)。
五稜郭開城150年の節目の今年、色々と考えてしまいますね。
横レスですみません・・・・・。
古屋さんはまだかろうじて(涙)生きています・・・。
無くなったのは6月14日・・・今の7月21日くらいですか?
古屋さんは被弾して一ヶ月生きていたのです。
戦場ではなく、別れの杯を交わしている最中の被弾って・・切ないです。
高松飛鳥さん、
>無くなったのは6月14日
おおお!そうでした。
ちょうど好川本を読んだ直後だったのに、ウカツでした~(汗)。
ご教示ありがとうございます♪
まつがった覚え方をしていたクチです(汗)。『五稜郭の兄弟』を読んだくせになんてことでしょう(笑)。・・・・ですが6月にちょいちょい箱館関連の本を読み返していて、気づきました。
古屋さん、申し訳ない~~~(涙)。