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東都アロエ

箱館戦争、140年前のこの日に終結

旧暦明治2年5月18日。

この日に、

五稜郭は開城いたしました。

2日前の夜に榎本さんの騒動があって、その後松平太郎さんや大鳥圭介さんほか
幹部一同で会議をおこない、降伏勧告を受け入れることに決しました。
前日の17日(きのうっす)に官軍側と話し合い、本日の明け渡しとなった次第です。

戦争はこれで終わりましたが、すぐに東京に送られた幹部6人以外の捕虜のみなさんは
これからまだまだ蝦夷での捕虜生活が待っておりました。

幹部6人にとってはこれから3年弱の牢獄生活のはじまります。
と、その前に東京までの護送の日々は
各地で敬意をもって護送してくれたおかげでなにげに快適だったそうです。
(その途中で彼らはたくさんの漢詩をのこしました。紹介記事はこちら

拙ブログでは今まで箱館戦争に関わる話題はちょこちょこ折にふれて記事にしてきましたので、
「箱館または釜さん」カテゴリーの古いあたりをあわせてみてやってくださいまし。
(とはいえ箱館戦争についてはまだまだ本気で着手していないので、あまり深いネタは
ありませんので、どうぞあしからず☆)

それにしても夏の戦争だったんですね。
箱館とはいえ、暑かったことでしょう。
万感の想いをこめて、両軍のみなさんに敬意を表したいとおもいます。
(ま、まぁ・・・・ぶっちゃけ、本音は脱走軍側に98%、あとの2%を官軍に、
ぐらいの敬意配分ですけど(爆笑) 黒田どん、ごめんね、ごめんねー @U字工事)
Commented by 早々 at 2009-06-28 21:40 x
昨6月27日総司忌に初めて参加いたしまして、その講演会の合間で釣洋一氏も、兎角旧暦で表現されますが、季節が違うのでやはり西暦を使うべきと仰っておられました。確かに、戦争は何時でも何処でも戦士にとって大変でしたでしょうと思います。五稜郭開城後、幹部以下の島田魁など生き残り組の捕虜生活の厳しさは口では表せないほどの労苦であったであろうと思うと更に切なくなります。

Commented by はな。 at 2009-06-29 10:24 x
早々さん、こんにちは!
総司忌でしたか。沖田さんも夏に亡くなられたのですね。・・・・当ブログ贔屓の旗本・大名にも夏に遠逝のかた、多いです。夏好きなのですが、最近はちょっとしんみりする季節でもあります。
旧暦の日付をそのまま西暦で・・・というのは季節感の違いが大きいので、多少面倒ですが、計算(といってもネットのサイトにおんぶにだっこ)してでも西暦になおしたほうがよさそうですよね。
季節感ってかなり大切だと思います☆
Commented by Aki_1031 at 2009-06-30 13:07 x
五稜郭が開城してしまった時には、ハチもトシももういなかったんだなぁ…と
しみじみしてしまいました…。
や、春日くんだって古屋くんだって諏訪くんだってもういなかったのですが(泣笑)。

五稜郭開城150年の節目の今年、色々と考えてしまいますね。
Commented by 高松飛鳥 at 2009-07-01 21:33 x
Akiさま。

横レスですみません・・・・・。
古屋さんはまだかろうじて(涙)生きています・・・。

無くなったのは6月14日・・・今の7月21日くらいですか?
古屋さんは被弾して一ヶ月生きていたのです。

戦場ではなく、別れの杯を交わしている最中の被弾って・・切ないです。
Commented by Aki_1031 at 2009-07-02 21:47 x
はな。さん、人様のブログでコメレスさせて頂きますことどうぞお許し下さい~。

高松飛鳥さん、
>無くなったのは6月14日
おおお!そうでした。
ちょうど好川本を読んだ直後だったのに、ウカツでした~(汗)。
ご教示ありがとうございます♪
Commented by はな。 at 2009-07-05 09:31 x
なにを隠そう、自分もつい数週間前まで古屋さんは五稜郭と共に・・・と
まつがった覚え方をしていたクチです(汗)。『五稜郭の兄弟』を読んだくせになんてことでしょう(笑)。・・・・ですが6月にちょいちょい箱館関連の本を読み返していて、気づきました。
古屋さん、申し訳ない~~~(涙)。
by aroe-happyq | 2009-06-27 10:35 | 箱館または釜さん | Comments(6)