2009年 07月 03日
総髪将軍 家茂
幕末、月代は次第に廃れつつありましたが、文久改革で月代におよばず
というお上の声もあったため、その後は急速に総髪天国となったもようです。
総髪の将軍といえば、写真もあることから慶喜が第一に
語られるところですが、じつは家茂さんもすでに総髪でいらっしゃいました。
『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』鈴木尚著(東京大学出版会)
は増上寺の歴代の徳川将軍廟を調査したそのレポ本ですが、
家茂の遺体調査についても報告がかかれております。
頭髪は完全に保存され、それは漆黒で太く、直毛であった。
彼は20歳の青年だけにふさふさとした頭髪に月代はなく、
すべての髪は後頭部で束ねられ、その先端を2重に折り曲げてから
前方に緩やかに湾曲する太い立派な髷に結っていた。
甘い物好きでお菓子マニア?で虫歯だらけの家茂さん、
髪だけはアジアンビューティだったようです☆
ということはです。
慶喜とちがって、
人気もあり人望もあった14代の公方さまが総髪ということは、
徳川家臣の総髪率高し!!ですよね(断言)
(とくに外国方や海軍陸軍系は↑のような気がする)
ということは、柳営役人たちががっつり月代している
幕末モノのあれもこれも映像作品はみんなNG??(滝汗)
そして局長からして総髪の新選組は時代の最先端をいっていたわけですね☆
ただ、講武所風という月代の流行もあったので、
総髪が強制というわけでもなさそうです。
髷のひねり具合とか、想像以上に個性的だった当時を思うと、
総髪、月代、断髪などなどそれぞれオシャレに決めていたと
思われます。
ちなみに『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』という本はかなり古い本ですが、
いまだに総髪の家茂さんて、映像でみたことないですよね・・・・・。
とかいっている自分も、この本を長いこと持っているくせに、
6代将軍家宣公のところばーっかりばーっかり読みかえしていて、
家茂くんのトコを読んだのがつい最近という有様(爆笑)。
ま、こんなもんですな~~~~。あはははのは。
若き将軍の総髪はさぞかし柳営の役人の目に新鮮に映ったでしょうね。
江戸博の「徳川家茂とその時代」展の目録に、陣羽織姿の家茂公の肖像画が載っていましたが、こちらの家茂公は月代がありますね。
でも、月代の幅は狭そうな感じでした。
和宮が抱えていた写真以外に、家茂公の肖像写真はどこかに残っていないんでしょうかね~
この本は幸運にも古本屋サイトで激安でみつけたんですよ♪♪
たまにこの本、こんな感じで売られているのでもしゲットしたい場合には、定期的にチェックされるとよいですよ☆
>陣羽織姿の家茂公の肖像画
そう!これは月代でしたよね。やや講武所風な感じでした。この印象が強いので総髪というのがなかなか認知されないのかもしれません。