東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

2008年 01月 07日 ( 1 )

年末年始に図書館から借りて『日本史籍協会叢書187 淀稲葉家文書』を読んで
おりました。

これは江戸最後のときにも老中を務めていた淀の稲葉正邦のメモ集・・・のようなもの。
個人的には、老中の手元に寄せられた、
慶応年間の江戸や京の情報をまとめた「探索書」が目当てでした(笑)。

と、そのなかで、またまた立花情報を発見。
『淀稲葉家文書』の274P-285Pにありました。

慶応3年7月ごろに老中に出された、立花出雲守家来庵原覚兵衛の願書です。
内容は二代前(でしたっけ(汗))に政変に巻き込まれて
領地を減らされたので、
増やしてもらえないか(もとに戻すということですね)、
ということを願うものでした。
しかし、老中の間では「六ツケ敷(むずかしい)」と判断され、結局は願いは
届けられなかったのですが、秋にいたるまで、根気強く、何度も願書が
提出された経緯がわかる史料です。

ちなみに、立花出雲守さんの日記にはこの件は登場しません(笑)。

当時、前の月の慶応3年6月より、
立花出雲守は若年寄と会計奉行も兼任していたので、
これだけ忠勤に努めているわけだし、・・・・ということで、
ちょっとチャレンジしてみたのでしょうか。

『藩史事典』の三池藩のところをみると、
旧三池藩領地のうち、9840石余がいまだ柳川藩の預かり地に
なっていたようです。
当時1万2000石ぐらいだった立花家にしてみれば、
旧領9840石は大きいです。


こういう願書ではお決まりの冒頭だとは思いますが、

出雲守勝手向従来困窮・・・・・・

と始まられると、やはり哀れを誘います。

最後のほうには立花家家譜まで添えてありました。
領地交渉への熱意を感じます。

でも・・・・秋すぎると、大政奉還などで忙しくなってしまい、
それどころではなくなってしまって、とても残念っっ。



以上、立花出雲守関連史料メモでした072.gif
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by aroe-happyq | 2008-01-07 10:35 | 幕臣系(老中など) | Comments(6)

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