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東都アロエ

谷地頭を出て、十字街で乗り換えてそのまま函館どっく前まで電車に乗りまして。
下記地図の弁天台場(建設中)から御役所(箱館奉行所)までを歩く&登って
みました。

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   白山友正「後幕領時代箱館奉行の箱館を中心とした開拓政策」
  (『函館大学北海道産業開発研究所紀要1号 1967年)の6Pめの地図より(部分)


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やっぱりまずはここからですよね♪
(公園にあるという看板は割愛させていただきました(笑))

函館どっぐの正門の警備員のおじさんに教えてもらい、なんとかたどりつきました。
目印は松の木です☆

さて、弁天台場解体後、その一部が使われている場所へ。


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函館改良工事記念碑

旅前に小夜さんのブログでこの場所を教えていただいたおかげで、
すんなり行けちゃいました!ありがとうございます、小夜さん☆ >私信(笑)


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この界隈については、こちらのサイト→明治の港湾建設-函館港
の古写真など参考にしてみてください♪
(在りし日の弁天台場も映ってます☆)

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弁天台場らしさがほのかに匂う????
(なんとなく神奈川台場跡を彷彿とさせる、佇まいです)

しばし、眺めておりました。
五稜郭(当時は亀田御役所と呼んでましたが)建設とともに、弁天御台場は
大公共事業でした。当時の写真をみると、本当に見事な建造物で、
今も残されていたら、それこそ五稜郭と並ぶ観光拠点になったことでしょう(笑)。
もったいないですな。
ん?すると、幕末の箱館奉行たちは後世の観光事業のモトをせっせと
造っていたわけか?
(本人たちは北辺防衛のために造っただけなのですが(爆))
しかし。堀織部正も、まさか自分の死後数年して、友人である永井玄蕃が
弁天台場に立て籠もっちゃうなんて、予想だにしなかったろうな(笑)。
(永井本人がいちばんビックリだと思うけど)

さて、続けて堀織部正なものに会いにいきました。

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箱館丸(復元)です。

「村垣淡路守公務日記 附録2 千しまの枝折」(『幕末外国関係文書附録7』)、
安政4年7月29日の日記に、

外国形のスクー子ルという御船、製造成けれハ、
箱館丸と名付て、けふ水卸
さわりなく済ぬる事のうれしくて、
 日本に作り初にし玉くしけ
 箱館丸や船は此ふね


箱館丸が完成した村垣の嬉しさがあふれております。

箱館丸については、
本田敏雄「箱館丸の航海実習」『八戸工業高等専門学校紀要』23
に詳しいのでこちらを参照してみますと。

8月のはじめから箱館湾で運用伝習をおこなったようですが、
初航海は(外洋へ出た)のは、10月23日。青森まで行ったようです。

さてここで、ちょっと無茶をする男・堀織部正の登場です。
なんとそのわずかひと月弱後、堀奉行を乗せた箱館丸は
11月19日江戸への航海へ出ている。
(実は15日からトライしていたが天候が悪く失敗が続いていた)
その航海がいかにたいへんだったかは、うっかりその船に
乗り合わせてしまった佐賀藩士島義勇の日記が面白いらしいのですが、
いまだ未見です(涙)。
ちなみにこの航海がたいへんすぎて、懲りたのか
箱館丸で江戸と箱館のあいだの航海はこれきりだったみたいです(笑)。
(北海航海はかなりやったのですが♪)

さて続きましては弥生坂を上りました。


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こちら弥生小学校付近が↓旧寺町界隈です☆

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今の称名寺や高龍寺などは明治の大火後に移転したわけで、幕末はこのあたり
に寺が並んでいたようです。
(今回は箱館気分な旅ゆえ、移転後のお寺にはまいりませんでした)

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さきほどの地図を拡大してみますと、このあたりはちょうど称名寺あたり???
称名寺というと、新選組の屯所で有名ですが、
むふふ、実はそのずっと前には堀織部正の宿舎でもありました♪

村垣日記には、何度も堀織部正に招かれて呑んだ、とあるので、
きっとこのあたりで盛り上がっていたのではないでしょうか(笑)。
(彼らの宴会は酒と肴と、詩歌と、織部の笛などがメインだったようです。
つまりは堀さんは・・・・・笛吹き奉行!)

さて、弥生坂をさらに上ります。
もうひとつの宴会の跡へと、・・・・・・・・坂というよりは登山に近い!?

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ここは絶対に来たかったポイントです!
ちなみに住所は船見町3-8です。

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官軍迫るなか、榎本釜次郎ほか幹部のみなさんが最後の宴をはったのが
この咬菜園です。
この園の名付け親は武田斐三郎です☆
たいそう見事な庭園だったとか。

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箱館一の名庭園で詩歌と酒と、・・・・・笛はない!が(笑)、
まったくあいかわらず、風流な皆さんです♪
(これがどうして妓楼・武蔵楼で宴をはったという話になっているのか?)

しかし!!

いまいち写真では伝わらないでしょうか・・・・。
この崖のような坂道(笑)。

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ドロンケンな皆さんは、
無事にこの坂を下りられたのだろうか???

若いものはよいとして、中島・永井翁ズなどはすっ転んでしまいそうですぞ。
(頼りになるのは下戸さんな荒井くんや土方くんたちだけだ!)

【追記】
ちょっと『はこだて歴史散歩』(北海道新聞社)の「弥生坂」の項を
読み返したところ、今のようなまっすぐな坂に整備されたのは明治12年の大火後で、
それまでは「称名寺坂」「西の坂」と称していたようです。
(明治12年以後、「称名寺坂」「西の坂」と「七面坂」が繋がったようです)
つまりはまっすぐではない分、ドロンケンしても安全だったかも???(笑)ですね。
・・・・あるいは寺の塀に激突・・・とかもありうるけど(爆)。

以上、弁天・船見町編でした☆
by aroe-happyq | 2008-09-03 10:46 | 箱館または釜さん | Comments(8)