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東都アロエ

2008年 09月 06日 ( 1 )

今回は基坂、とくに旧奉行所(御役所)特集です。
こちらは函館の観光でもメインの観光地でして、今さらブログにUPする
ような新たな発見などあろうはずもございませんが、
箱館気分のマニア目線でみた、函館の観光拠点レポとしてお楽しみください(笑)。

昨日、ギブアップして一箇所、忘れてましたので、ここからスタート。

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なんですか、ここはペリー広場っていうんですね(爆)。

ぺリーだからまあいいかとスルーしましたが(笑)、箱館丸のそばには
「ペリー会見跡」というのもありました。
案外、函館でペルリは人気なのですね☆

さて、いよいよ到着です。


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箱館御役所跡です!


堀織部正、竹内下野守、村垣淡路守(←私のなかでの箱館三大奉行)に敬礼(爆)!

頭上には旧函館区公会堂の美しい建物があるというのに、
それには目もくれず、この木柱の写真をとりまくる、ヘンな観光客に
なりながら、一人こっそり感動しておりました。
(ヤッターーーー!!とガッツポーズ。なんでしょうこの達成感(笑))

さてさて、御役所については「箱館夜話草」より引用。

御役所 享和三年の春出来す。惣構の坪数三千三十坪余、
建坪六百三拾坪余なり。・・・・・(略)・・・・・・・・・・
此辺は惣じて海岸に沿いたる山陰なれば、巌石多くして井を掘る事かたし。
時に調役並富山元十郎には、心を労して処々を点見して、
箱館山の内より清水の湧出る処を見出して、樋をつたひて是を引く事を得たり。

(「箱館夜話草」『函館市史 史料編1 447Pより)

どうやら、水の確保が大変だったようです。
しかし享和三年(1803)ってことは、
あらためて箱館奉行が置かれた安政元年(1854)の約50年前。
堀織部正たちが御役所のボロボロぶりに困ったのも頷けます。
・・・・・この御役所が建て直しの必要性が、のちの亀田御役所(五稜郭)建設
へのはじまりだったことは間違いなさそうです。
(どうせ再建するなら、山の上から覗かれず、砲撃にも耐えられ、水も確保できる、
そんな役所がいい!と思ったわけです)

きっとこんなふうに相談していたのですね(爆)↓

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五稜郭タワーにあった「五稜郭建設相談中の奉行」ジオラマより(笑)


安政元年に箱館奉行が再設置されたとき、堀織部正は蝦夷地検分のあと、
在府奉行として江戸に帰りましたが、竹内下野守は箱館に赴任してきて、
そのまま越冬しました。宿舎はどこかの大商人の屋敷だったようですが、
昼間はこの御役所で仕事をしておりました。
御役所からは基坂がよくみえたらしい。
そこで奉行が気になったのが、箱館の子供たちがやってた
基坂で「ゲロリ」というスケート遊び。

『函館むかし百話』(函館市史編纂室編 幻洋社)によると、
「ゲロリ」という言葉の語源は不明ですが、北海道や福島の方言にあるようです。
足にくくりつける、スケートのようなものを「ゲロリ」と呼んだとか。
で、そのゲロリ遊びが箱館っ子のあいだで流行していて(寛政末期の記録に
すでにみえるそうです)、「されよ、されよ」といいながら坂すべりをするらしい。
しかし当然のことながら、横道から現われる人馬との接触事故も多く、
命にかかわる大怪我をすることもあったそうな。
竹内奉行もはじめてみる、基坂の坂すべりにハラハラしたらしく!?
(この人、国交のない頃に箱館を頼って寄港したフランスの船を救助したり、
とても温情ある素敵な人なのです)
御役所のとなりになった、町役所(名主や町年寄の詰所)のほうから
安政元年12月に「坂すべり禁止」の触書を出したとか(笑)。
ゲロリはもちろんソリも禁止。理由は危ないから!

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このエピソードを読んでから、
私のなかでは基坂といえば、ゲロリの坂です(笑)
・・・・・ただ、たしかにここの坂すべりは面白そうです☆


さて、御役所をたっぷりと偲んで、もちろん行きました!写真歴史館!!

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スペースは小さいですが、古写真をたくさん見られて楽しかったです♪
(できれば、もう少し箱館写真をかき集めた写真館が欲しいかも。長崎での充実ぶりを
思うと、ちょっと物足りないかな(汗))


・・・・・・なぜか、まだまだ後編に続く!
by aroe-happyq | 2008-09-06 11:12 | 箱館または釜さん | Comments(0)