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東都アロエ

2008年 09月 08日 ( 1 )

箱館御役所を堪能したあとは、やっぱり開港記念館(旧イギリス領事館)♪

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これがけっこう面白くて、楽しんでしまいました。

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なぜか、あんま器が気になりました(笑)。
「ペリー&ハリス展」で印象に残った、浦賀奉行伊澤美作守が
ペリー一行に贈った「ひとりでできる~あんま器」を思い出しますが、
(形はぜんぜん違います)
西洋人は肩こりが多いのか???(笑)

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↑このなにげに哀愁こもった「買い物中のペリーさん」!!!
なぜかペリー?(手前の反物持っている人)にライトがあたっていない人がいい。(笑)
それがよけいにせつなさを醸し出していて(あまり買物を楽しんでいるようにみえない)、
このジオラマ、気に入った!!!!

ペリーは箱館で相当、散財したのですね(笑)。
思えば江戸には入れてもらえなかったので、箱館に寄港した際に
珍しいクール・ジャパンに触れて、目移りしたのか??
ペリーさんに限らず、その後やってくる使節のみなさんはかなり日本で
たくさん買物しておりましたっけ。
「150年前の今日」シリーズでおなじみのエルギン卿一行も、
エルギンから船員にいたるまで、財布がスッカラカンになるまで
陶器、錦絵、漆器、なぜか日本の犬をどっさり(笑)←エルギンたちわんこ好きらしい
買った、と滞在記に書かれてました。
(帰りのフュリアス号の甲板は動物園みたいだったそうな(爆))
ペリーも箱館でこのジオラマのように、家族へおみやげを買ったのでしょうね♪

エルギンに名前がでたついでに、堀織部正VSオールコック公使の
静かな戦いIN箱館に触れておきましょう!

西暦1859年9月、英国駐日公使オールコックは、開港した箱館に駐在する
ホジソン領事とともに領事館を開設するため、箱館にいました。
すでにロシアも箱館に領事館(のちに公使館)をおき、ホジソン領事にふさわしい
宿舎となる寺院がなかった。
オールコックは粘り強い交渉に結果、新任の箱館奉行が使用する寺院
(寺院名は書いていないので特定できず)を明け渡させた。
明け渡したのは、堀織部正。
安心したオールコックは箱館から離れることになったが、

奉行は、そのときわたしに近づいて、驚いたことにわたしの手をとり、
明らかにわたしをどこかへ案内したい様子であった。
そこでわたしは、みちびかれるままにしたがって、
会見の行なわれた部屋のうしろの廊下をすすみ、左に曲がったところで
間口九フィート、奥行き六フィートの小さな部屋をみせられた。
そのさいに、かれはひじょうにもの静かにこういった。
「これが、新奉行が着いたときに宿泊する部屋だ」と。
わたしは、このことばがつたえる非難を感じとった。そこでわたしはわびるように、
「おそらくかれは、妻子をつれてこないであろうし、とりわけ、四柱式の大型寝台
やソファないし食堂用のテーブルなどをもっていないであろう。
このうちどれかひとつだけで、部屋が全部いっぱいになってしまいそうだ」
といい、かろうじてほほえんでみせた。
このような最後の一戦をまじえたあげく、われわれはお互いにすぐれた友人に
なって別れた。

(『大君の都』上 岩波文庫 402Pより)

織部正、抑えにおさえてよく耐えました(笑)。
(ちょっと怖いぐらい????)
箱館で冷静沈着さを鍛え上げたというべきか?
オールコックは織部正について、語っております。
かれはもの静かで知性のあるりっぱな老人で、政府の要職にある日本の
官吏のよい方の部類の代表的な人物であった。
(『大君の都』同上 より)

この一年後に堀織部正は自刃という最後を遂げますが、
オールコックはその死をとても悲しみ、『大君の都』中でも堀を讃えております。
(それはまたいつか紹介したいと思います)

この『大君の都』を読んでいてたいへん気になるのが、
オールコックの箱館の発音・・・・・。
ハコダディっていうんですが、妙にインパクトがあって癖になります。
(どーでもいいことですが、こーゆー小さいことにひっかかるタイプです)


さてさて、話を戻します。
開港記念館最大のヒットを発表したいと思います。

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ユースデン領事の背中。

イギリスの船がはやくこないかな、と窓の外をみつめている
うしろ姿がキュート!
しかも、身長が160cmもあるのに、あだ名が豆領事って・・・・・・。

西洋人は160cmでも「豆」扱いなのか??
それはちょいとかわいそうじゃ・・・・・・(笑)。

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ペリーとそれほど変らない感じですけれど????
(並んだら、やはりちーさかったりして(爆))


函館の開港記念館においでの際は、ユースデンさんの後ろ姿を
ぜひみてやってくださいませ♪

写真館とこの開港記念館の展示に思いのほか時間を潰してしまい、
(基本的には博物館での榎本展でのとんでもない長居が響いていた)
あこがれの英国式紅茶を楽しむはずが!!!
高田屋嘉兵衛資料館の閉館時間が迫っていたので、
泣く泣く基坂をくだりましたのでございます。
次回の函館の際には、きっとここで紅茶をのむどーーーー!!(笑)

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途中すでに高田屋ワールドが。
七福神、まわってみたくなりましたが(笑)、それもまたいつかに。

でなんとか嘉兵衛資料館に間に合いまして。

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近くに立て看板もないので、正直ちょっと迷いました(笑)。
嘉兵衛さんはわたしの今回の幕末箱館の旅とは、
時代は違うのですが、幕府が直轄地にしたのち、
箱館の町をつくり上げるときに嘉兵衛なくしては
語れないほど、箱館と関わりの深い人物なので、
その後の時代でも、なにか手がかりがあるような気がして
どうしても見たかった資料館でした。

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もちろん和船ですが、「造船」ときくとわくわくします(笑)。

そして!やはり箱館奉行と関わりがありました!

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資料館内部は撮影できませんので、外のこれでお許しを。
安政3年、村垣淡路守が(ってここからが無茶なのですが)、
武田斐三郎に港に停泊中のイギリスの軍艦に行って
ストーブをスケッチしてきて、それを製造せよと命じた。
樺太やそのほか北海道北部に駐在する箱館奉行職員に
そのストーブとやらを持たせたいと思ったらしい。
(もちろん、そのなかのひとつは自分で使うため)
スケッチしたぐらいで・・・・・・・・やっぱり無理だったようで、
その半年後にいくつか完成したものの、あまり使えるシロモノでは
なかったらしい・・・・・・・・・。
しかしその無謀さによって、箱館は日本でのストーブ発祥の地となったのでした☆
そのストーブの復元はこの嘉兵衛資料館でみられます♪
ちなみに実際に使用できたストーブは稚内が発祥とのことです。
稚内に赴任した奉行所職員は待てど暮らせど箱館からストーブが
届かないので(笑)、地元のアイヌの鍛冶職人に製造を依頼したところ、
それが使えるストーブだったとのことで、北海道各地に広まったそうです。

いろいろ歴史は知るほど、面白いですね☆

こののち、函館山に登ろうとしたら、山に雲がかかっていて×。
(南部藩陣屋跡もおかげでパス)

やむおえず、武蔵野楼跡といわれるガソリンスタンド付近を散歩し、

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(↑浅野楼と同じ本より)

この日の調査は終了。
空腹に気づき、ついつい目の前にあった「あじさい」に飛び込んで、
塩ラーメン食べちゃいました。美味しかったです!
by aroe-happyq | 2008-09-08 11:42 | 箱館または釜さん | Comments(8)