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東都アロエ

2008年 09月 30日 ( 1 )

岩瀬邸からはじまった築地シリーズ第二弾は、
江戸の当時、岩瀬邸から目と鼻の先にあった、桂川甫周邸です。

桂川家は6代将軍家宣の侍医となって以来、代々の将軍家の蘭医となりました。
初代の桂川邦教については、こちらへ。

桂川家の幕末の様子については、今川みね『名ごりの夢』(平凡社東洋文庫)に詳しく
書かれております。
以前、木村摂津守の訪問の様子について記事にしたことがあります。
その記事→こちら
貴重な武家の訪問の挨拶の記録です☆

さて、この桂川家にはちゃんと看板がありました。

d0080566_18141671.jpg


場所もわかりやすいです♪




↓桂川邸の看板の古地図を拡大してみました。

d0080566_18283143.jpg


『名ごりの夢』には「おこうやく」という話があります。
桂川家では年に2回ほど、上様御用の御膏薬をつくるのだそうです。
屋敷の大門のところで、大きな釜で牛油や椰子油、松脂、乳香などを
グツグツと煮込むので、ものすごくクサイ。
近所の屋敷にもみな、臭っていたはずですが、公方様の薬ということで
誰もクレームなどいってこなかったそうです(笑)。
この距離なら、おそらく岩瀬家でも「おっ、恒例のお薬を調合しているな」
といいつつ、そっと鼻をつまんだことでしょう。

さて桂川家といえば、触れなくてはならないのは諭吉のことででしょうか(笑)。
彼がラッキーだったのは、この家に出入りしていたことです。
桂川甫周の奥方は、御浜奉行の木村又助の娘くにという人でありました。
(将軍家慶があくまで私的に・・・・二人の仲人をつとめました(笑))
つまり、このくには木村摂津守喜穀の姉というわけで。
木村摂津守が咸臨丸でアメリカへ渡るとき、
アメリカに行きたがっていた福澤諭吉の願いを聞き入れ、
桂川甫周が「一行に加えてやってくれ」と、摂津守に頼み込んだそうです。
(甫周センセ、余計なことを・・・なんて思うアンチ諭吉派なワタシです(爆))

桂川家というと、甫周の父の甫賢さんがまた面白い人物なのですが、
長くなるので別の機会に(笑)。
by aroe-happyq | 2008-09-30 19:07 | お宅探訪シリーズ | Comments(3)