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東都アロエ

2011年 04月 28日 ( 1 )

ちょうどコピーファイルを出したついでに、もう一丁!

さすがメジャーな朝日新聞でありますので、すでに多くの人に見られていて、
「榎本子逸話」全4回で紹介されているエピソードは
加茂儀一著『榎本武揚』でほとんどが紹介されております。

しかし全部ではなかったんですヨ!

ぶっちゃけ、愛妻家絵榎本武揚を高らかに謳った『榎本武揚』では
紹介しづらい、エピソードなどなどは放置されておりました。

こういうネタこそ当ブログではまさにご馳走!!!

というわけで、艶福家(?)榎本釜次郎豪快伝説記事、いきまーす☆

榎本子逸話(一) 明治41年10月25日 東京朝日新聞

▲そそり節

これも学友の談であるが、子爵は海軍教授方となると
お上から相当の手当が下がり、小遣いには困らないので
毎夜吉原へ素見(ひやかし)に出かけた。
そのいでたちは布子に手拭いの頬被り、
俗に弥蔵(やぞう)という鐵固(げんこつ)を布子の下から
肩へ突き上げそそり節を唄って出かけるのだが、
その節と声のよいのが自慢で女郎もそれを喜んで
達(たて)引くから子爵は時々惚気を言って
朋輩を困らせた事がある。


読んでる途中、すでに「弥蔵という鐵固を布子の下から
肩へ突き上げそそり節を唄って出かける」姿というのが想像をこえすぎて
いて、大爆笑させていただいたのですが、
もうなんとも豪快な逸話ですっっ。

教授方ということで、安政5年に長崎海軍伝習所から江戸へ戻って、
築地の御軍艦繰練所の教授方になり、文久2年にオランダ留学するまでの
23歳から27歳の4年間のあいだの逸話となります。
まぁ、男盛りで、独身貴族で、給料もそれなりとくれば
吉原に遊びに行かないほうがどうかしてる!?かもしれません(笑)。
(時はまさに安政の大獄なんですけど、そんなの気にしない!?)

御軍艦繰練所が築地にあるので、てっきり金春芸者で有名な新橋界隈の花街で
遊んでいたかと思いきや、やはり江戸のディズニーランドこと(爆)吉原へ
繰り出していたわけですネ。しかも毎夜!!!!!(爆笑)

それにしても、やはり若いころから声の良さは自慢だったのか!
語学が堪能ということで、この人はかなり耳もよいと思っているので、
歌も上手かったと思うんです。
なので、そそり節も、素敵だったことでしょう!!

んで、男伊達の釜チャンですが、
この当時の吉原とくれば、あの人やこの人など
文久以降江戸や京都で大活躍する青年たちとも、
さりげなくすれ違っていたかもしれません。
といっても、すれ違った人達も、
後年オランダ帰りで、洋装姿となった榎本さんをみて
あの頬被りしてそそり節をうたっていた人と同一人物とは
よもや思うまい(笑)。

といっても、若い頃に長崎丸山や吉原で粋に遊んだ男なら、
中年にもなれば遊び飽きて、
立派な愛妻家になろうってもんです。
(まるで江戸の大店の若旦那の模範的な成長パターン……)
なので、加茂儀一さんの愛妻家説はあながち嘘ではないと
思うんであります。

それに若い時にたくさん女とかけひきを経験しておくと、
外交のかけひきも当然、うまくなりますから!
(人間同士の交渉事は、女としようが、外国人としようが根っこは一緒。
人間学に精通したもん勝ちです・笑)

と、フォローしてみました☆
by aroe-happyq | 2011-04-28 10:29 | 箱館または釜さん | Comments(4)