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東都アロエ

カテゴリ:江戸城の大旦那( 51 )

家光&家綱画伯の世界

日本の片隅で小さく話題になっている!?家光将軍の絵のセンス♪

画像と記事→こちら

代々、将軍様は絵をたしなむことになっているらしく、
なかなかヘタウマな絵が多数、存在します。
(慶喜はそう考えると、うまいなーと感心する)

で、家光さんの絵がなかなか、素敵。

まだ元和偃武だよなーという時代で、平和になりきっていない江戸時代の初期です。
そんな時代の公方様に求められるのは、まだまだ武張った物言いとか、威勢で他を圧倒するしぐさとか、
なんだけど、家光さんって、やっぱり乙女将軍だなと(笑)。
絵が可愛い~~~~~~~~~~。お目々がクリクリ!!!!
キュートではありませんか!
このテイストの絵を大名に配っていたなんて!!!えええ、欲しいわーーー(爆)。
(でも、貰ったほうは「かわいいですね♪」とか、徳川将軍に言えないし、なかなかリアクションしにくい時代でもあっただろう)

絵をみているだけでも、皆に期待されるものと、家光の個性はいまいちマッチしていなさそう。
たぶん、生きづらかっただろうなと、思えてしまう。

でも、そんななかでも、描き続けているのだから、ものすごく、こういうのが好きなんだろうなー。

もう少し、江戸後期の将軍だったら、良かったのにっっ。

で、息子の家綱の場合は、間違いなく、ただの下手である(汗)。

なんかもう、愛すべき徳川将軍画伯の世界でした♡



by aroe-happyq | 2019-01-17 20:23 | 江戸城の大旦那 | Comments(0)

読売新聞の記事→こちら


徳川記念財団が発見って、ずっとしまい込んで、忘れ去られていただけなんじゃ、などと
疑いつつ(笑)、外交文書に押していたものです。

日本政府の代表としての、印。

「経文緯武」って、言葉が素敵ですね♪

で、
重要な外交文書に限って用いられ、家茂から慶喜に引き継がれた国のしるしというべきもの
そうなのかー、なんか伝国璽(中国で代々の王朝と皇帝に受け継がれてきてきた、トップである証の印)
みたいで、なんかかっこいいわーーー。

西国のあれとかそれが、なんと言おうと、当時の世界に認められていた日本政府の代表は、大君こと徳川将軍だ!
ということが、これだけをみてもわかるというもの。

つまり、後世にどんなに美しく飾ったとしても、今年の大河ドラマの主人公連中は国家転覆を図る、あくどい反政府勢力なのよ。

そこのところ、150年経っても、「維新」とか「革命」って言葉で、いまいちぼかされてやがる。

だけど、この印が、はっきりと告げております。1868年のはじめまでの日本政府はどこだい~~?と。代表は誰だい~~~?とね(笑)。


新潟までは見に行けないので、いつか江戸博とかで、徳川展、またやってくださーい!





by aroe-happyq | 2018-08-20 20:22 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

Eテレの、趣味どき!の「幕末維新メシ」。

よーやく、前回、勝海舟が登場したけど、浦賀のうなぎの思い出が、明治ということで、
とくに拙ブログでは取り上げませんでしたが(笑)、今回は!!!!お知らせしますよーー!


幕末維新メシ 
第7回 徳川慶喜~勝負の“フレンチフルコース”~
3月21日(水)午後9時30分~

幕末維新の英雄たちが愛したグルメから素顔をひもとくシリーズ。
今回は最後の将軍、徳川慶喜が4か国の公使にふるまった「フレンチフルコース」。
フランス料理17品、菓子類10品などの豪華メニューを考え出した背景には
慶喜のどんな思いや戦略があったのか?
肉料理「パテ・ド・ヴォライユ」など3品を再現、当時の食卓外交に迫る。

公式サイト→http://www.nhk.or.jp/syumidoki/syumidoki-wed/index.html
(昨日から、エキサイトブログが、ぼろぼろであります。閲覧も、なにもできなかったのですが、
ようやく、こうして投稿できるかと思ったら、リンク機能が不具合~~~~~っ)

で、ポイントは、

肉料理「パテ・ド・ヴォライユ」など3品を再現、
当時の食卓外交に迫る。


考えてみれば、将軍家が、まさか、フレンチフルコースを、外国公使たちに振る舞う時代がこようとは!
って、考えると、恐ろしいやら、わくわくやらですよね。
それを、やってのける、慶喜さんは、やはり、タダモノではない!!!!

再現料理がみられるなんて、とても、楽しみです♪

おまけ。
この番組が、完全に西郷関連なので、まー、しょーがないですけど、
もし、私だったら、幕末維新メシのラインナップは、

〇 ペリーが残した八百善フルコース

〇 大目付伊澤家の焼きたてパン

〇 外国奉行たちの、条約の味がする、シャンパンとフォアグラのパテ 

〇 留学生・榎本釜次郎の阿蘭陀軍艦メシは、ナシゴレン

〇 軍艦奉行木村摂津守のハマッた、めりけんビスケット

〇 慶喜の長身の秘密は、毎朝の牛乳一杯

〇 長崎海軍伝習生の出会った、出島スイーツの世界

なんかもう、はいからさんだなぁぁぁぁーーーーーーっっ。
幕末より、少し古いけど、「川路聖謨の奈良で松茸食べ放題」とか
「阿部正弘の長命寺桜餅は、恋の味」もあるぞ~~~~(笑)。




by aroe-happyq | 2018-03-19 10:20 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

まずは、二つの記事を紹介します。

東洋経済 「徳川家康は「日本人に嫌われる性格」の典型だ」→こちら

毎日新聞「家康なぜ嫌われる? 平和主義者、軍部の不評買い」→こちら


そもそも秀吉嫌いな私としては(信長も、家康のさほど好きでもないけど。ダントツで秀吉嫌い。理不尽に他国へ迷惑かけたから!)、
意味がわからないのですが、家康は不人気らしいです(笑)。

やり方は強引だけど、元和偃武を実現しただけで、家康も徳川家も天晴れな政権だと思いますケドねー?
褒めてあげるべきかと……。

清水克行著『喧嘩両成敗の誕生』という本をご存じでしょうか?(アマゾン→こちら

この本によると、中世の日本人はとにかく切れやすく、すぐ命のやりとりまで至ってしまったそうで、戦国時代へなだれこんだのもそうした下地が
あったから。日本人は戦国時代のせいで殺伐としていたわけでなく、その前からやばかったわけです。

その荒ぶる日本人は、江戸時代に江戸を発信源にして、秩序ある平和な世の中と教育の充実のおかげで、驚くほど落ち着いたのではありませんか?
それは徳川家康の政権だったから、実現できたからではないのかしら??
(もっとも、日本の端っこで、江戸発信の平和の風を拒絶し、中世日本人で有り続けた長州とか薩摩とか、そういう荒ぶる人々に「明治」という時代とともに
パクス・トクガワーナはぶっ壊されて、日本はもとの殺伐とした中世に戻されたわけですけどネ(汗))

毎日新聞の記事にあるように、明治という朝鮮やアジアを侵略した時代は、
秀吉の「唐入り」前例を賞賛したわけなので、アジアと平和で良好な関係を結んだ徳川家康は都合悪いし、嫌われていたわけですな。

そんな日本と逆に、現在進行形ですが、韓国や中国では家康さん、すげー人気者ですヨ(笑)。
このギャップ、そろそろ埋まりませんかね~~~~?

というか、今年の真田丸の家康、めちゃめちゃ可愛いのになーーーー。
嫌われる要素が見当たらないんですけどーーーー。

ふと、家康さんについて、いろいろと考えさせられちゃいました。




by aroe-happyq | 2016-10-11 17:58 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)

家斉の良いところ

とうとうドラマの「大奥」で家斉時代が取り上げられたようで、
友人から「家斉について教えて」というリクエストをいただきました。

家斉といいますと、歴代将軍でいちばん大奥を満喫した人で(笑)、
この超子だくさん将軍のおかげで、「大奥三千人」みたいなデカイ話が伝説化して
しまいました。

わたしもそんなに詳しくないのですけど、家斉という人物について
大奥でのエピソード(ま、このエリアが似合う将軍NO.1だし)で、
「やるじゃん、家斉」と見直したポイントがありまして、
それにして書いてみたいと思います。
(たぶん前にもどこかで記事にしている内容の再録の気がします(笑))

①アホではないんですよ

 3年前に国立公文書館で開催された「旗本御家人Ⅲ」展で、
山添宗積という奥医師の日記『朝廷日記』(朝廷って徳川公儀のことを指すらしい(汗)。
後世ならば水戸斉昭に激怒されちゃうような危険なタイトルっす)というのが展示されていました。

家斉の子供たちが次々に病気で死んでいくのですが、その原因について27歳の若き家斉も
いろいろ考えたらしく、「こどもたちの死が早すぎるのは、医師たちの治療が過剰なのが原因では?」
と思ったようなのです。なんでもこどもの容態がかわるたびに新しい薬を投与するとかで、
たしかにそれではこどもの体がもちませんね。
そこで家斉は寛政10年5月6日、満3歳の敦之助が危篤状態となると、「下々之小児」に
施すように治療いたせ、と奥医師たちに「上意」を伝えたそうです。
つまり、市井のこどもと同様の治療をおこなえ、というわけです。
うーむ、なかなかのアイデアです!
(はい左様ですかと、頑固な奥医師会が言うことをきいたかどうかは不明ですが)
女の尻ばかり追いかけていただけの凡庸な好色将軍ではなかった、
こどものことも真面目に考えるパパさんでもあった、
という気がしたエピソードでした。


②臨機応変に対応できます

これは勝海舟のエピソードでもあります。
(勝部真長『勝海舟』335P~)
ご存じとおり、放蕩三昧の父勝小吉のために、旗本勝家は御家人同様の貧しい暮らしを
していました。勝麟太郎は子供のころ、満足に三食の飯にもありつけなかったとか。
勝小吉の兄の娘婿の伯母に、お茶の局という大奥呉服之間に勤める人がいました。
ドラマの大奥では「男子禁制」になっていますが、昼間は柳営官吏(エライ人)や
御三家御三卿などはOKですし、男児は大奥に住むことも可能でした。
で、大奥勤めの人は外の親類の子をよく大奥に遊びにこさせて、寂しさを紛らわせます。
お茶の局も6歳の勝麟太郎を遊びに大奥へ招きます。
するとわんぱく盛りの麟太郎がはしゃいで大騒ぎしている様子が、
大御所の家斉の眼にとまってしまいます。
「初之丞の遊び相手にちょうどよい。お茶の部屋へあげよ」
初之丞は家斉の孫、将軍家慶の子。その遊び相手として大奥で暮させよという。
お茶の局は、しかし辞退しようとします。
「有り難き仰せにございますが、いたって貧しく、本日の衣服も実は親類より借用いたしたもの。
行き届かないことも多いかと」
つまり、麟太郎が貧しく、服も大奥の生活に見合ったレベルのものを着せることができかねるので、
という理由で断ろうとしたのです。
すると、家斉は「苦しからず」と。
かくして、麟太郎はのちに一橋家に入る、初之丞の学友として数年間、大奥で暮しました。
(勝さん、初之丞が死ななければ一橋家用人やってかも(笑))

で、ここで家斉を見直したのは、人を身なりで判断しない、という点。

ふつう、古今東西、みすぼらしい衣服を着ているだけで、宮殿から叩き出されるのが常ですよね。
よくそういうシーンをみます。海外ドラマでも、日本でも。
ところが家斉はなかなか合理的なおっさんで、多少小汚くても(ま、洗えばいいわけだし)、
麟太郎のなかにほかの男児にない元気で賢いところを見出して、
それを可愛い孫のそばにおきたいと思ったわけです。
先見性があったかどうかわかりませんが、あの勝海舟を選んだわけですから、
なかなか人物鑑定眼があったんじゃないの?とさえ思ってしまいます。

以上、駆け足で家斉さんの良いところを2つあげてみました☆
by aroe-happyq | 2016-01-23 11:53 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

慶喜公に関して師匠とあがめるお方より、教えていただいた展覧会のお知らせです☆
(つまり行ってはいないので、ただのお知らせ記事であります)

茨城県立歴史館サイト→こちら

さすが水戸!だと思いましたのは、
展示解説のタイトルが慶喜を表現するのに的を射ている以上に、
超カッコ良すぎる点です!!!

①「動乱の貴公子」
②「異形の将軍」
③「官賊交錯」


さらに公式サイト内でPDFでみられる、チラシの言葉も素晴らしい!!!

最後の将軍は正統なる英傑(カリスマ)か。
異形の異端児(アウトサイダー)か。


おお~~!!どっちもそうだといえる慶喜公な気がいたしますっっ(笑)。

とにもかくにも、武家政権といえば、鎌倉政権、足利政権の最期がしょぼしょぼで終わったなか、
その総仕舞いの徳川政権ラストに、
こんなに聡明でユニークな人物がトップに立ったというのは、
実に世界史的にも珍しく、まだまだ研究の余地ありまくりな出来事だったと思うのは、
わたしだけでしょうか??

ちょうど前回の記事が信長なのでからめると(彼も天下人だったから)、
日本人にたくさんのファンを持つ信長公ですが、
最期は全幅の信頼を寄せていた部下(爆)に裏切られ、殺されるという結末を迎えてしまいます。
慶喜の場合、どんなに嫌われようと(笑)、暗殺もされず、天寿をまっとうしている点で、
トップに立った人間としては、信さんよりも上だな、と思うのですが、
その割には人気がないのが、ホントに悔しゅうございます。

というわけで、昨年に続き、慶喜公の展覧会が、しかも水戸で開催中ということで、
嬉しいかぎりですが、さてはてわたしは期間中に行けるでしょうかっっ(汗)。
・・・・なんていう情けないぼやきをこめつつ、お知らせがてら、記事にしてみました♡
by aroe-happyq | 2015-02-11 09:54 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)

うっかり、記事にしわすれていた些細な件です。

昨年の11月、松本良順の慶喜への治療時期について。
では、松本良順の上洛時期について、拙ブログでは軍艦奉行の木村摂津守日記を使って
確認をとりました次第ですが、
勝さん祭り中にじっくりと勝海舟日記を眺めた流れもあって、
だめ押し的に、勝海舟日記のほうも引用しておきたいと思います☆


文久3年1月22日
  午後、春嶽殿御乗船、従属八拾余人、
  監察杉浦正一郎、奥御右筆西尾錦之助、松平太郎外(ほか)、
  便船奥医師石川玄貞、松本良順、徒目付弐人、小目四人

29日 湊川江御上陸、午後大坂に到る。
  ○本日春嶽公御上陸 ○我輩上陸。

(『勝海舟関係資料 海舟日記(一)』 東京都江戸東京博物館都市歴史研究室編 45P)

この春嶽公を乗せた順動丸は勝サンが船将(艦長)として乗船していたので、
それはもう、詳しいわけです。
(この『勝日記』、毎回図書館でチェックしているわけですが、江戸博・・・再版してくれないものか・・・・)

で、この船旅に目付杉浦が同行していたのなら、
ということでダメダメ押し的に杉浦の日記もチェック。
(松本の名は出てこないですが、日程だけでもということで)

正月22日順動丸乗組、23日品川出航、同29日着坂。

2月3日夜於伏見、春嶽御下ケ・・・・・・・


(『杉浦梅潭 目付日記』 89P、90P)


1月29日に大坂到着(勝はここから神戸へ行ってしまう)、杉浦日記では2月3日夜に伏見着いているので
前の記事で紹介いたしました、yu-さんの検証の裏はさらに確実にとれましてございます♡
by aroe-happyq | 2014-08-29 17:33 | 江戸城の大旦那 | Comments(0)

書店の幕末コーナーをうろついていたら、こんな本が目に入りました☆

3月に出ていた本のようなので、今さらですけど、
ちょっと記事にしてみました。


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あの世からの徳川慶喜の反論  
           鳥羽伏見の戦いの真相を語る

佐藤 泰史 著


東洋出版

アマゾン→こちら






店頭で本を開いて、衝撃だったのは、
ほぼ全編、慶喜さんのインタビュー本だということです!(笑)

たしかに、ここまで思い切った「インタビュー形式」本って、今までみたことありません。
なかなか斬新~~~~!!

しかも、内容が鳥羽伏見前後のみ。

これはなかなか・・・・『昔夢会筆記』でも突っ込んで聞けない、
慶喜公的にはタブーに近いあたりです。


著者の方は、元は公安にお勤めだったようですが、
この本のほかにも、鳥羽伏見の戦いについての本を出されて
いらっしゃるようなので、鳥羽伏見について、
かなり、いえ、相当にこだわっておられる。
なので、今回の本でも、かなり細かいやりとりが展開されています。


ちょっと面白かったので、じっくり読んでみたいのですが、
いろいろ読まなくてはならない本がたまっているので、泣く泣く本を元の位置に
戻しましたが、いずれポチるか、書店でゲットしようと存じます♪

パラパラ~っと読んでいたなかに、
『徳川慶喜公伝 史料編』の浅野氏祐の談話のなかの、
慶喜さんが大坂城を脱出する日前後について、永井尚志の語った内容が
紹介されていまして、その内容が信じられると思う・・・・的な文章が出てきますが、
永井はいつの時でも真面目で、でたらめを言わぬ男ですから、
本気で信じていいと思います!!ということをここでひっそりと太鼓判を
押させていただきます☆
※ちなみにうちのブログで紹介した浅野談話記事はこちらから。
(パート3まであります(笑))


というわけで、ちょっと気になった本を紹介させていただきました。
by aroe-happyq | 2014-04-24 14:21 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

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家近 良樹 著

人物叢書 新装版『徳川慶喜 』

吉川弘文館 1月8日発売


アマゾン→こちら
吉川弘文館のこの本の紹介ページ→こちら







吉川弘文館の人物叢書シリーズには昔からお世話になってきましたが、
あれ・・・・!??
慶喜公って・・・・・・まだだったっけ!??(笑)
島津斉彬とか、松平春嶽とか、井伊直弼とか、勝海舟とか、荒井郁之助(以下省略)とか、
わたしがお世話になった幕末の叢書だけでもこーんなにいましたけど、
意外にも、徳川慶喜の本は今までなかったんだ!ということに
この新刊案内をみて、気がつきました(笑)。

ただ、内容説明をみていると「鳥羽伏見戦争後、江戸に逃げ帰り」とあるので、
どう~~~なんでしょ、って感じ(笑)。
「逃げた」のか、「大坂城戦争を回避した、東帰」なのか。
意見は分かれるところですが、新しい研究をもとに書くのなら、
安易に「逃げ帰り」と書いたら客は逃げちまうんだけど(って自分か!?)。

著者の方は九州のお生まれのよし。
この頃、勝海舟について調べていますが、勝海舟のことを深く理解できている本を
書いている方は大抵東京生まれの方だったりしまして(笑)、
しみじみ、地元のことは地元の人が最もよくわかるものだと思うことが多いです。
生まれ育った水と空気が、百年の時を越えて、ツーカーの以心伝心を呼んでくれる、
そういうことって、歴史研究でも大きいように思います。

わたしには西国志士の心がさっぱりわからないのと同じように(笑)、
慶喜をより理解できるのは水戸や東京を含む東国の人のように思います。
できれば、東京を含む関東生まれの研究者さんに慶喜を含む江戸史研究をお願いしたいのですが、
なかなか難しいのでしょうか。
(なので江戸っ子旗本の気持ち、行動を少しでもみなさんに理解していただけるよう、
絶滅危惧種の東京人として、これからも頑張りますっっ!)


わたしのなかで慶喜伝は、史料編も含めて、渋沢栄一著が鉄板ですが、
そろそろ渋沢を超える慶喜伝が読んでみたいのですが・・・・。
今回のはさてはて、いかに!??

しかしなにはともあれ、伝統の人物叢書に、慶喜公が加わったということは、
ひとまず、めでたいことですネ!!!
(昨年発売なら「没後100年」って帯に入れられただろうにのう・・・・・・・)
by aroe-happyq | 2014-01-07 19:10 | 江戸城の大旦那 | Comments(8)

春のほうは、うっかり行きそびれてしまったので、
今回は数日前に、ちゃんと行ってきましたっっ☆


記念展第一期  11/29〜12/5
「徳川慶喜生誕と終焉の地ぶんきょう」 @文京シビックセンターアートサロン

(入場無料)

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↑ 文京シビックセンターの1階で開催していました
(文京区区役所も入っているわけですが、いやはやゴージャス!うちの区役所なんて
超ボロっちいので、思わず、見上げてしまいました(笑))

徳川慶喜は、水戸藩上屋敷(現:後楽園)で生まれ、
亡くなったのは小石川第六天町なので、いわば、ザ・文京区の人。

今年はいろいろと偲ぶ企画が催されていたようですが、この展示会(二期もあります♪)
がラストスパートといった感じで、会場は小さいけれど、そしてパネル展だけど、
すごく気合いが入っている展示会でした!

内容は生涯を振り返るパネルが並んでいる+御屋敷の模型、資料本等々読み放題スペースなど
があり、これから徳川慶喜を知りたい!という方にオススメの、
とても優しい企画展でした。

そして平日なのに、たいへん混雑していました!

慶喜公、地元で人気があって、よかった~~~~♡

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↑入場者に配布している冊子です。
慶喜年表や美賀子夫人のことなどなど、充実した内容デス!

この展示をみた人のなかには、数分でたどり着ける小石川後楽園(入場料300円)
へとハシゴする人もいました。
(しかし!紅葉シーズンで、後楽園・・・混んでました~~~っ・・・ので私は撤収しました・笑)


今週末からは、二期展示がはじまります。

12/7~12/20 記念展第二期 「徳川慶喜生誕と終焉の地ぶんきょう」
        

会場が変ります→ 国際仏教学大学院大学 春日講堂展示室
by aroe-happyq | 2013-12-05 18:48 | 江戸城の大旦那 | Comments(11)