2006年 08月 03日
2008年大河は篤姫さん。
そしてこの時期になると、再来年の大河が発表となります。
それが・・・・・・。
またもや幕末モノ(パチパチ)!でも篤姫!!(・・・・)
宮尾さんの原作ということは、あくまでも篤姫メインでゆくのだろう・・・か。
(合戦シーンが少なく、室内ドラマだとすれば予算は・・・・・♪?)
彼女というと、和宮との交流がまず印象的。
和宮との確執は原因をつきつめてみると、彼女と和宮双方の侍女たち、女中たちの対立だったので、それを察した賢くも悩める青年将軍家茂は三人だけで会う場をつくった。すると嘘のように篤姫と和宮は仲がよくなった・・・・・というエピソードがありますが、つまりは、この話は・・・・家茂がエライ話ですね(汗)。←すいません、家茂ファンでもあります。
気を取り直して、では今度こそ彼女のエピソード。
いきなり大阪から東下してきた(現実逃避してきたともいう)慶喜を、個人的にはあんまり好きではないけど(爆)フォローしてあげたあたりはかっこいいと思います。
もちろん勝安房守(海舟)の巧みなる大奥へのプレゼン、とりなしがあったればこそかもしれませんが、いいお話です。
そして薩摩が迎えにきても、「徳川の人間ですから」と断るあたりも素敵です。
そういえばこの時をきっかけに勝安房と親しくなってしまった彼女。
明治になってから、勝さんの案内で吉原や下町を社会科見学(爆)して楽しんだ、なんて話も可愛い人かも、なんて思います。
慶喜がしらんぷりをきめこんだ徳川の親族の世話も彼女がやっていたというのも、かっこいいです。
というわけで、ドラマではできれば明治になってからの彼女も描いてほしいです。
・・・・それにしても、私の贔屓の幕臣さんたちは見事にスルーだ・・・このドラマ。
でも戦国はもう飽き飽きなので、この大河では幕末気分を楽しもう・・・・・。
さらに贅沢をいうと、例えば、大鳥圭介とか、榎本釜次郎とか、どーんと主役の大河・・・・・・・なんて無理でしょうか。視てみたいです。
ただのサクセスストーリーではない分、かなり見ごたえあると思いますが。
(そのときもちゃんと明治の彼らまでやってくれないと意味がない)
2006年 08月 02日
婿養子と部屋住み
まずこの二人に共通していること、それは二人ともザ・婿養子であること。
岩瀬は、設楽家の三男に生まれ、厄介(長男以外はこう呼ばれる)ゆえに22歳のとき、旗本・岩瀬家の婿養子となった。
永井は、三河松平家の藩主の庶子に生まれながら、両親が早くに他界したゆえに父親の弟、つまり尚志の叔父が藩主となった事情から、育ててはもらったけれど彼もまた厄介の身。25歳のときに旗本・永井能登守尚徳の婿養子に入る。
婿養子!?と思うけれど、この二人、舅さんとはうまくいっていた。
「ムコ殿~~!」と、いじめられた形跡もまったくない。
とくに岩瀬の場合は舅さんは彼に家の一切を任せてしまうぐらいに頼りにしていたよし。
永井家も、後に処分されて無一文になった尚志に、舅の尚徳は自分の屋敷を譲ってしまうほど大切に扱っているのをみると、同じだろうと察する。
この両家ともに、婿と舅には、血は繋がってはいないけれどても暖かい間柄を感じるのです。
さらにここに、堀織部正利熙にも登場してもらうと・・・・・この三人の共通は、部屋住みであること。
部屋住みとはつまり・・・・オヤジ、舅たちが彼らに家督を譲って隠居しないで、現役でいるということ。もちろんひとつ屋根の下で同居。
幕末ともなると、物価は高い。
のんびり隠居なんてして、ほんのこころばかりの隠居料なんてもらっても嬉しくないのだ。
なにせ100歳の役人もいた時代(80、90歳台の役人もたっくさんいた!)。
60歳ぐらいじゃまだまだ若いもんなのだ。
そして実は部屋住みのほうが都合がいい点もある。
当主になると原則として外泊できないし、細かい規定が多くて不自由千万。
(外泊といっても友人宅で飲んだ挙句に一晩中話し込むパターンが多い。議論好きなので)
そんなわけで彼らの父たちは家督を譲らない。
息子たちも、譲れといわない。
岩瀬や永井のように婿養子ならまだしも、堀のように実の親子でもそうなのだ。
婿養子に、部屋住みでは現代からするとちょっと・・・・・・ですが(実際に明治になって、「あんなに偉大な彼らが部屋住みだったなんてっっ」と各方面ですごく驚かれている)、それでも歴史的にとってもスペシャルな婿養子&部屋住みな彼らです☆
2006年 08月 02日
長崎海軍伝習所の日々
やはりこれを最初に紹介すべきでしょう。
実をいうと、この本を手にする予定はまったくなく(爆)、
当時は同じ東洋文庫の松本良順の自伝を探し求めておりました。
ネットで検索してもなかなかみつからず、古書店の目録の東洋文庫コーナーを
何件も見ていたとき、ふと目に入ったのがこの本。
値段もたいへんお手ごろで、つい衝動的にポチッとやってしまいました。
そして読んだら、幕末の長崎とそこにいる人々のなんとおおらかなこと!!
訳者さんの細かい解説もたいへん素晴らしいのですが、やはりこの本を書いた
カッテンディーケの冷静だけど暖かいまなざしにも感動しました。
前にも書いたように公儀の役人のみなさんのあっかるい感じにカルチャーショックを受け、
幕末そのものへの見方が変わっていくきっかけに。
そしてすでにこのなかで、勝麟太郎(海舟)は口で大活躍しているし、
若き榎本釜次郎が機械と戯れている様子も楽しいです。
カッテンさん(長いので省略)は外国の方なので、こちらが当たり前と思っているものをとても珍しがって書いているのをみていると、日本人のすぐ傍にある当たり前のイイモノ、ワルイモノも、なるほどなぁと新鮮な気持ちでみることができました。
この本があまりに楽しかったので続けて、赤松の本へと読み進んでしまいました・・・・。
これが底なし沼への第一歩でした・・・。
(ちなみに松本先生の本はその後、リーズナブル価格で手にいれることができました)

2006年 08月 01日
CUTとそして梁朝偉
それは二週間も前に出ていた、CUT最新号。
今更、手に取りました。
200号・・・・・。
もうそんなになりましたか、と感動しつつパラパラをページをめくったら。
まだ見たことないトニーレオン(梁朝偉)が!
この人の出ているCUTは全部ある!はずだがこの写真のこのアングルは
知らない~~~~。
というわけでレジへダッシュ!
そしてその写真を眺めながら、追憶に浸ってみた。
あまり正確には思い出すのもはばかられる、ファン歴10ン年。
出会いは「非情城市」日比谷のシャンテ。
台湾映画だったので、無知だった自分は彼を台湾の俳優かと勘違いした。
(パンフにはちゃんと香港の俳優と出てたのに)
なんとか香港の俳優だとわかって、いろいろな作品もみて、
今に至りました。
その間、10ン年。
CUTはそれよりも前からCUTだった。
かつてはあんなにたくさん香港映画特集をしてくれていた。
ほかの映画や音楽に関しての記事の中身も充実していた隔月発売の頃は特にすんばらしかった。
またああいう感じになったらいいなぁ、と200号のお祝いに軽いダメだししつつ。
トニーレオンも、新作「傷城」が楽しみ。
そろそろ本気で嫌な悪役を見せてほしいです・・・・・。
2006年 08月 01日
今日は八朔!
今寝ても醒めても関心のあるのが、徳川公儀IN幕末です。
もともと江戸時代は大好きだったけど、もっぱら元禄あたりのファンで。
幕末は人生のなかで、ずっと昔に加茂さんの文庫の「榎本武揚」と、
あとは勝海舟や徳川慶喜について中公新書を読み漁ったぐらいしか・・・・。
深入りすると底なし沼っぽくて、触らないようにしていた感はある。
それにずっと中国古代~中世史の政治史研究をやっていたので本腰入れられずという
のが大きな理由かと思われますが、そんな自分がまさか。
まさか、幕末にはまってしまいました。
香港映画に夢中だったのに、今では幕末。
2004年の新選組!が大好きだったけど(過去形ではなくフツーにDVDまだ観てます
し)、そこと微妙にスレ違う形で、幕末にはまるとはおもいませんでした。
しかも、きっかけが東洋文庫「長崎伝習所の日々」だなんて。
なんてマイナーな入り方!(爆)←自分らしいっす
なんとはなしに読み始めたこのオランダ海軍大臣さんの本。
そこに書かれていた、日本の役人(幕吏さんたち)のいつも明るく、エスプリがたま
らなく効いていて、そして爆笑、爆笑な様子。・・・・・・わたしの求めてきた爆笑
大好きな文化がこんな身近にあったなんて。香港まで探しにいかなくても目の前に
あったなんて・・・・という大きなカルチャーショックでした。
江戸がラテン的に明るいのは知っておりましたが、まさか江戸在住武士階級までだっ
たとは!
(時代劇だってもっと格式ばっているというのに!なんてラフな彼ら!)
もっと検証したくて外人さんの書いた幕末の本を読み始めることに。
続いて、エルギン卿の本。・・・・・・ここで、もう完全に恋に落ちました。
その名は岩瀬肥後守。眉目秀麗、俊才にして切れ者、日本開国の功労者。
・・・・・ところが、お笑い好き。といいますか、お笑いを巻き起こすのがもっと好
き。
おそらく日本史上で最初に英国ギャグを自在に操り、エルギン卿(怖い人です。いろ
いろな意味で)さえ笑らかしてしまった凄い人です。日本人には冗談はわからないと
言われ続けてきたというのに、150年余前にすでに軽くクリアしていたなんて!
わたしにとって開国の功労者というより、こちらのほうをもっと声を大にして叫びた
い功労です(汗)。
そしてその傍らには、「長崎伝習所」といえばこの人という永井玄蕃頭。
ただの佐藤B作ではなかった(爆)。
写真をみると、ほにゃんとした顔なのに、彼もまた切れ者です。
まったく正反対にみえる、岩瀬と永井。でもだからこそ分かり合えていたというのが
よくわかります。
書簡やエピソードにみえる、岩瀬との二人の篤い友情に涙しきり。
まさに愛しき友です(爆)。
そしてその二人の傍には、堀織部正。
蝦夷地・樺太を検分し(随行員に若き榎本釜次郎さんもおりました)、箱館奉行もや
りました。五稜郭とも深いつながりがあります。
学友にして、同僚。とても仲のよかった三人。
この三人を調べていくと、今まで知っていた幕末と違う風景がみえてきて、
そこにいろいろな人々が絡んで、たいへん面白いのです。
そして彼らのさまざまな運命の先にどうしたわけか、新選組や五稜郭がある。
そんなあれこれをつらつらと綴りながら日々過ごしてまいりたいと思います。