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東都アロエ

なんだかんだとシーズン1からみておりまして、
かつてドラマ版「踊る大捜査線」にハマッたほどの思い入れはありませんが、
昨日の最新シーズンの最終回があまりにひどすぎるので、思わず愚痴を書いちゃいます(笑)。

そもそも、『相棒』という言葉の意味は、江戸時代の駕籠やもっこの「棒」が
二人ひと組でしか成り立たないことから、互いに協力しあう相手を「相棒」と呼ぶように
なったことから来ているはず。

つまり、このドラマも「相棒」とタイトルがついている以上、
右京と亀山は同等、対等の相棒だったはず・・・・・・・が。
相棒解消=番組終了とならずに、亀山だけ卒業としたあたりから怪しくなってきて(笑)、
いつのまにか、上から右京固定の、交代相方という「相棒」という意味らしからぬドラマに
なってしまいました。

だけど、初代相棒の亀山の「卒業」はまだ良かった。
シーズン通して、きちんと亀ちゃんをお見送りする体制が整えられていて、
特命係を去る理由もしっかりしていました。

ところが、2代目の神戸くんあたりから、なんとも雑になり、
ついに昨夜、3代目の甲斐くんに至っては、「は?犯罪者じゃないですか」という
見るも無惨、テキトーなラストとなった。
しかも今回は、甲斐くんの彼女さんは妊娠&白血病という二重苦に、
(それも、なんとも唐突なんだな、その設定の出現が)
そこにきて彼氏の甲斐くんが懲戒免職で刑務所GOですか?!
こんな後味の悪い、悲惨な「相棒交代劇」って、あってもいいのでしょうか(笑)。
(あれなら、月並みですが、甲斐くん、殉職卒業のほうがまだマシ・・・・・・)

しかも、甲斐くんは3年前から断続的に「ダークナイト」なる名前で傷害事件を
起こしていたという、設定なんですね。
それなら、せめてこのシーズンの冒頭からなんだか「伏線」で匂わしておくべきだし、
(伏線ありましたっけ?と記憶を必死にたどってしまいましたが、とくに覚えなし)
そもそも3年前なら、右京と出会ったころにはもうダークナイトなんだから(笑)、
なにかしら、甲斐編の最初から「準備」しとけば・・・・
本当の意味で、センセーショナルな卒業になったものを。
(甲斐編では、右京が甲斐を相棒に選んだわけなので、右京の見る目がなさすぎる問題
が大きすぎて、右京というキャラへの信用度の低下も避けられず、
シリーズそのものの存続も、アウトな気がする・・・・)

だいたい、ダークナイトっていったら、タイトルみたとたん、アメリカの映画よりも先に
昨年の「MOZU」のダークナイト君こと、池松くんのすごすぎるキャラを思いだして
しまいましたですよ(笑)。
甲斐くんのダークナイトはあまりに陳腐で、ちょっと「ダークナイト」って使うのは
おこがましい様なクオリティでございましたが。

とにかく、このごろの「相棒」は相棒さんの追い出し方(美しくいえば、卒業)が、
全体的に愛がなく、雑すぎて、3年間を一瞬で無駄にしてしまうような終わり方。

もう次に決まる相棒がいるならば、すでに今から可哀相であります!!!

長いシリーズなんで、ひと頃のノリノリの時期のようなハイクオリティを
いつまでも維持しろなんて無茶はいいませんが、
いちおう、刑事ドラマ、そしてテレ朝ドラマの看板ともいえる存在なので、
もし次回があるなら、脚本をなんとかしていただきたいところです。

あるいは、このまま右京もいっそお払い箱にして、
まったく新しい二人の刑事による「新・相棒」ってのもいいかもしれません(笑)。

ええ、みますとも。
わたくし、シーズン1から亀ちゃんファンで、右京どーでもいい派なんで(爆)。
(むしろ、7とか8あたりから、なんか鼻についてきて上から右京が嫌いなんです)
ちなみに一番好きなのは、米沢さんだったりします☆
# by aroe-happyq | 2015-03-19 17:51 | ほんの世間話 | Comments(2)

監督が替わったからといって、急に強くなるものではないのですが、
やはり、新しい監督がくると、期待が高まってしまいまふ☆

記者会見の模様は→こちら


3年後のロシアW杯に向けて強い意気込み

よ・・・・よろしくお願いいたします~~~っっ


私がアルジェリア代表に来た時は52位だった。
アルジェリア代表は3年、私と仕事をして17位になった。
私は確信している。
日本も同じことができる。そのために来た。



嗚呼、なんて力強いお言葉・・・・(号泣)

もうですね、欧州組だろうか、調子の悪い奴は召集しないで、
(とくにPKで外すベテラン!(笑)←どんだけ、アジア杯の試合、根に持っているんだ自分)
どんどん国内の若手を育ててください!!!

オシムさんのお知り合いということで、
ゆるゆるの日本男子に、厳しさというものを注入してやってくださいませ。

わずかオファーから2週間で日本代表監督に決まったそうなので、
日本に詳しくもなさそうですし、かなり「賭け」の人選ですから、
もしもW杯に行けなかったら、監督のせいではありません。
日本サッカー協会と選手の問題です!(笑)

でも、できればロシアに行けるよう、お願いつかまつります!!!
# by aroe-happyq | 2015-03-13 19:45 | ほんの世間話 | Comments(0)

4年という歳月の重さ

3月11日です。

東京人としては、前日の3月10日の大空襲70年という大きな節目があり、
今年も新たな記録などが発掘されて、言いようのない哀しさや怒りで頭のなかでごちゃごちゃ
した、その気持ちを切り替える間もなく、11日を迎えています。

しかし実際には経験しておらず、親や祖母の体験を聞き、本や記事を読んで
想像するしかない70年前の東京大空襲と違い、
4年前の11日は、震度5強とはいえ、自分でも遠い震源地からもたらされた、
いわば同じ地震波による揺れを経験しているだけに、
その想いは大きくて、深いものがあります。

ただ、たまたま震源地から離れていたおかげで、なんとか都市機能を失うことなく
3月11日からほどなくして日常を取り戻すことのできた東京に住んでいて感じるのは、
4年を過ぎて、ますます増していく、後ろめたさです。

福島を苦しめている原発事故も、そもそもは首都圏の電力需要がもたらしたもの、
東京オリンピックやその周辺再開発で、限りある建築資材や人材を被災地から奪っているし、
中央政府の復興支援&対策はいいかげんにしかみえません。
(集中復興期間が来年で終わり、あとの残りは被災地の自治体の自助努力ってどういうことでしょうか)
東京は、あの日、恐怖を感じるほどの揺れを経験しているはず。
それなのに4年も過ぎると、おもてなしだの、爆買い客の取り合いなどとですね、
またまた自分だけよければいいという、
大都市のエゴの悪い部分が復活しているような気がします。

4年という歳月は長いというよりは、ずっしりと重い。

そうしたもろもろを自戒も含めて考えながら、この1日を過ごしたいと思います。
# by aroe-happyq | 2015-03-11 18:23 | Comments(2)

今度はハリルジャパン。

うっかりしているうちに2週間以上、あいてしましたっ。
ちょっと放置が長いので、ぼちぼち記事の更新ができたらと思います☆

で、久しぶりの記事だけど、サッカーネタ、行きます!!(笑)


ここ数日、ダダ漏れでマスコミに流れていた、サッカー日本代表の新監督のお名前。
やはり、そのままでしたネっっ

えっと、前アルジェリア代表監督のバヒド・ハリルホジッチさん、だそうです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの人ということで、オシム氏とは知り合いらしい・・・。

正直、今の日本代表の問題点は戦術とかそういうことではなく、
シンプルに、選手の、シュートをきめてやろうという貪欲さの欠如なので、
新しい監督さんがそのあたりのやる気を引き出してくれるといいな(笑)。
(って、本当はそういう問題は、監督さんがてこ入れするものではなく、
選手自らがなんとかしないと、本質的には何もかわらないんですけどっっ)

とにかく、ぐだぐだの日本代表をなんとかするのはたいへんな作業だと思いますが、
ハリルさん、どうにか、次のワールドカップに行けるように、
(そして、せめてW杯で1勝ぐらいはしてほしい・・・・・)
よろしくお願いいたします~~~~っ。
# by aroe-happyq | 2015-03-05 19:26 | ほんの世間話 | Comments(0)

パート1にあたる記事は、こちら

一年以上も前の記事に突如、続きができたのは、まったくの偶然にもうひとつ史料と
めぐりあったからであります(笑)。

1のほうは浅野側の談話ですが、2のほうは同じことを慶喜が伝えた書簡でして、
びみょうに両者の描写が違うので、これはおもしろい!と思いまして紹介する次第です。

今回の書簡史料は、『小笠原壱岐守長行』(近代デジタルライブラリーで公開中→こちら
この本の201Pに、その書簡が載せられております。

宛先は在京の板倉&水野老中。
慶喜としては東帰したときの様子を伝えようと思って書いたようです。
(ただ、こののちほどなく、将軍後見職を辞めるという流れがあることを頭に置いて読んだ
ほうがいいかもしれない書簡です(笑))

そのなかで、
(文久3年5月)八日八時前、金川(神奈川)へ着、其より同所奉行を呼出、

イギリスとの生麦賠償問題の経緯をたずねたりして、
その後慶喜が(それが使命なので)賠償金支払い拒否、そして鎖港談判実行の話に及んだところ、

両人大に怒気を含、如何成訳に而攘夷の御請致し帰府いたし候哉と種々及議論候故、
京師の御模様委細に相話、此度は是非とも攘夷不被遊而は御請の証も難相立、
御職掌へ被対御済不被遊候旨段々及説得候処、
たとへ上(家茂)の御身は如何様被為成候とも皇国の御ためにはかへられずと
更に取敢不申、猶及議論候処、此上強而攘夷被遊候に於而は
小子(慶喜)を差殺候もの必出来可申旨申聞候


となったという。

ポイント①は、浅野談話では語られていませんが、


両人大に怒気を含


となんだか最初からブチ切れていた様子だったこと。

浅野談話では、部屋の外には攘夷派の猛者で溢れかえっているので、
あまり大きな声を出さないほうがいいと慶喜に注意されていたにもかかわらず、
開港開市への熱い想いとこの数ヶ月に及ぶ賠償談判のストレスからか、
ついつい大きな声になってしまったのかも??

そしてポイント②は、
たとへ上(家茂)の御身は如何様被為成候とも皇国の御ためにはかへられず

これは浅野談話では「君家の禍害は君家の禍害にとどまりて、
日本不実・不信の名実は、わが皇国の安危存亡に関わるものなり

にあたる所だと思いますが、
慶喜書簡だと、「日本のためなら家茂の御身がどうなってもいい」という、
さらにセンセーショナルな言い回しになっています(笑)。

そして最大のポイントはその③。

此上強而攘夷被遊候に於而は
小子(慶喜)を差殺候もの必出来可申旨申聞候


これ以上、攘夷をすすめるならば、あなた(慶喜)を刺し殺そうとする者が
必ず現れる、とはっきりと脅迫された、というのです(笑)。

いろいろ慶喜の本とか史料をみてきましたが、
こんなに露骨に慶喜と対面している状態で、暗殺をほのめかすような脅迫をやらかした場面を
みたことがありません。神奈川奉行たち、なかなかツワモノであります。

それにしても、
浅野談話とは随分と違う雰囲気だったことが慶喜書簡では語られております。

慶喜書簡のほうが5月17日の書簡ということで、生々しいわけであり、
浅野さんは明治以後、公爵徳川家の家令となって、そのあとの談話でもあり、
まさか徳川家の人をブチ切れ状態で、脅迫しましたとは語れないし、
ひょっとしたら数十年たって、浅野のなかでは美しい思い出になっていて、
そういう都合の悪い記憶はなくなっていたのかもしれません(笑)。

ただ、慶喜もほうもこののち、後見職を辞めるわけ(20日に辞表提出)で、
「関東でこんなたいへんな目にあっているのだ」調の書簡演出がなかったかというと
さてさて、そのあたりは疑問だらけでございます。

どっちの言い分をとるというよりも、どちらの言い分の中庸をとっておけば、
このあとの厠へ立つ慶喜公のかっこいい演技(笑)はそのままいけそうなので、
(やはりこの部分は本当であってほしい一番のポイントかと(爆))
今のところは、そういうことにしておこうかと思います。
ただこれはわたしのただの私見ですので、みなさまそれぞれに、
解釈なさっていただければ幸いです☆
なにせ、解釈の自由こそが、こういう史料と接する醍醐味でありますから♪

(以下余談)
実は、浅野談話では神奈川奉行が浅野&竹本になっていますが、
慶喜の書簡だと浅野&山口になっています。

で、いろいろ調べた結果、山口信濃守が同行したことがわかりました。
『横浜市史』資料編5 260Pをみると、
この日、神奈川にいるのは浅野&山口なんです☆

とはいえ、『慶喜公伝』には浅野しか登場せず、もうひとりの神奈川奉行は出て来ません(笑)
だって、ずっと一人で喋り続けていたので・・・・・。
山口の影はめちゃめちゃ薄い・・・・・。
# by aroe-happyq | 2015-02-17 14:34 | 外国奉行ズ | Comments(4)